同じ赤松系の白旗城、置塩城とセットで赤松氏城跡として国の史跡に指定されています。 この三城の中では最も登るのが楽な城です。あくまでも他の二城と比較してなので、単体で見ると感状山城も長い階段、広い城域となかなか歩きごたえのある城。 感状山城は標高301mの感状山の山頂及び尾根上に曲輪を配置した連郭式の山城である。比高は220m。 車は羅漢の里の駐車場を利用することができるため便利。 城内では多くの石垣遺構を確認することができる。高石垣とまではいかず、また崩れている石垣も多いが、赤松三城では最も石垣が目立つ。 他に虎口や大手門跡、搦手門跡、井戸跡などが残るが、一周周回できる見学コースからは門や井戸は離れているので注意が必要である。 感状山城の詳しい歴史はわかっていない。鎌倉時代に瓜生左衛門尉によって築かれたとも南北朝時代に赤松則祐によって築かれたとも言われる。感状山の由来はこの赤松則祐が播磨に侵攻してきた南朝の新田義貞の大軍を防いだことで足利尊氏に感状をもらったことからきている。 最後もよくわかっていないが、石垣遺構は赤松氏によるものではなく戦国時代後期に侵攻してきた宇喜多氏によるものでは...
Read more2021年9月下旬に訪問。
駐車場から登山口はすぐ近くです。 案内板もあり、感状山城まで迷うことなく進むことができます。
途中まで木の階段が続きますが、山道は綺麗に整備されていて、初心者でも問題なく登れます。
南北朝の争乱期、足利尊氏を追う新田義貞率いる後醍醐天皇方の軍勢を、当時の城主・赤松則祐(赤松円心の三男)がこの城で50日余り足止めをして、足利尊氏に反撃の機会を与えました。この功績により、後に室町幕府を開いた足利尊氏が、赤松則祐に感状(感謝状)を与えたことから、感状山城と呼ばれるようになったといわれています(HPより抜粋)。
縄張は中々に広く、礎石も残っているため想像を巡らすとわくわく心が踊ります。
頂上の主郭は展望も良く、お昼休憩も取れます。 また、駐車場近くの鍛刀場前の広場にベンチもあるので、そちらでお弁当休憩もできます。
主郭から三の丸までの戻り道は井戸を見られるルートがあるようです。 自分たちは気づかず、来た道を引き返してしまいました。
西播磨山城11の一つです。そちらのHPでは当時を再現したアプリもあるので、活用するとより一層...
Read moreRead more2024.06.13 相生駅からバスで瓜生東下車(運賃460円)し、羅漢の里へ歩いて行きました。 羅漢の里から登山道があります。 途中まではひたすら階段を登って行きます。まあまあしんどいですけど頑張って登ります^^;。 途中で大手門への分かれ道があって、そちらへ進んだのですが、井戸までは行けたのですが、大手門はよくわかりませんでした(´∀