ちょうど、大祭の日でした。
次の日、島前内航船で西ノ島から「後鳥羽院御遷幸八百年記念/突き牛奉納神事」牛突き大会を見に再訪。
気性が荒い仔牛は、突き牛として育てられる。勝負を決める東西の牛の対戦では、負けた牛は、肉になる。基本的には黒毛和牛の隠岐牛は、肉牛だが。
牛突きも、10分以上も続き、血だらけになりながらも闘い続ける、その迫力に見入ってしまったが、港への帰り道、「夏場カニが渡るので注意してください」との表示を見ながら自転車で走っていると、「こんにちは!」と若いお父さんが、微笑みながら、あいさつ。こちらも「こんにちは」慌ててあいさつ。
港に着いて、トイレに入ると、まだ自分で用を済ませられるかギリギリであろう、年端のいかない子が、「こんにちは!」と目を見て、しっかりと大きな声であいさつ。すごいな、これは。あいさつされて、嫌な気分になる人は、まずいないとは思うが、自分の気分の変化にも、驚いた。
生活習慣や家庭教育、地域の習慣のたまもの。豊潤な文化資産と言ってもいい。海士町、ないものはない。海士町だけでなく、西ノ島でも、こんばんは、と今度は、自転車に乗っていた高校生が、あいさつ。
確かに東京でも、中高学校の構内に入れば、来校者にあいさつする学校は、少なくない。が、それはあくまで構内だけの話。
とは言え、牛突きのような人が集まるイベントで、こんにちは、と皆が声かけ合っているわけではない、多くは会釈である。
ようは規模感の大小の話かもしれません。誰でも構えず、声掛...
Read more昭和14年(1939年)後鳥羽上皇の崩御700年に合わせて建てられた、比較的新しい神社です。隠岐造りと呼ばれる隠岐の伝統的な建築様式で造られており、その重厚さから厳かな雰囲気を感じさせます。周辺には、後鳥羽上皇が住まいとしていたお寺の跡地や、和歌に秀でていた後鳥羽上皇が和歌に読み込んだ「勝田池」などがあり、当時の後鳥羽上皇がどのような思いで過ごされていたのかを垣間見ることができます。参道の途中には相撲の土俵もあります。また、参道の両脇に後鳥羽上皇が詠まれた「隠岐百選」の和歌が書かれた幟が立ってます。当日はたまたま団体さんが昇殿参拝に訪れており、私は音を立てないように注...
Read more御祭神は後鳥羽天皇。19年の在島後に崩御され源福寺に遺骨を納め奉られていた。その後、松江藩により御廟を造られるも荒廃していったそうです。
没後700年である1939年に現在地に創建。1万坪を超える広い境内には立派な本殿や拝殿が建っています。参道の桜並木は隠岐で一番の花名所と言われている。
境内は全体的にキレイ。平日は参拝者が少ないので落ち着いた雰囲気です。 御朱印は書置きの物が拝殿の傍らに料金箱と共に置かれています。
駐車場は後鳥羽院資料館と共通。30台停めれるスペースです。神社に向かって右側の道路からも境内へ登っていけますが基本的に資料館へ停...
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