奄美市立 奄美博物館 〒894-0036 鹿児島県奄美市名瀬長浜町517
訪問日は、2023年11月28日です。 奄美市立奄美博物館は、令和元年(2019)8月24日にリニューアルオープンしています。 「奄美博物館公式ガイドブック 博物館が語る奄美の自然・歴史・文化 (2021年3月30日) 奄美市立奄美博物館編 株式会社南方新社」P18~P20にリニューアルのコンセプトが書かれているので引用しておきます。 これを読めば展示内容に興味が持てます。私は、こちらでは、ケンムンはじめ、『南島雑話』の挿絵を興味を持って見ることができました。
『今回のリニューアルでは年表をあえて使用せず、奄美群島の歴史的事件をストーリーとして叙述するように努めている。 また「奄美の衣」「奄美の食」「奄美の住」「奄美の信仰」「シマ(集落)の空間構造」等の暮らしに関わるトピック展示等も幅広く設けて、展示項目は「奄美事典」となるように網羅的に工夫してある。三階展示室にとどまらず、全館を「環境文化博物館」として統一的にまとめあげ、自然・歴史・文化がひとつに繋がり醸成されてきた奄美の人びとの暮らしに触れていただけるように展示を構成している。 そして「環境文化」を基軸とした展示構想と、奄美大島の自然・歴史・文化について記された『南島雑話』の内容は、整合的でよく合致しているので、全館の壁面には当館所蔵『南島雑話』の挿絵をふんだんに使用した。当館独自の展示空間を演出できたのではないかと思う。 リニューアルされた奄美博物館には、奄美の自然・歴史・文化に親しみ、理解を深めるための視点が、あちこちにちりばめられている。シマッチュのみなさんも観光で来島されたみなさんも、奄美博物館を見学していただいて、新しい視点や情報を携えながら、あまくま奄美旅を楽しんでいただきたいと願う。』
ケンムン 「南島雑話 (なんとうざつわ)」に出てくる妖怪(ようかい)「ケンムン」を紹介(しょうかい)します。 妖怪と言っても、こわくない妖怪です。 ケンムンのいろいろを知ってください。
奄美(あまみ)のケンムン ◆特徴(とくちょう) ・からだから変なにおいがする ・砂浜(すなはま)に足跡(あしあと)を残す ・人の家を見たら逃(に)げ出す(人の家の中には入らない) ◆住んでいるところ ・ガジュマルやアコウなどの樹の上や岩山のほら穴 ◆好きなもの ・貝や魚の目玉 ・イノシシの目玉 ・すもう ◆きらいなもの ・タコ (ヤツデマル) ◆ケンムンのいいところ ・恩返しをする ・人の手伝いをする ◆ケンムンのこまったところ ・漁のじゃまをする ・すもうを取りたがる ・人の目を突(つ)く ・人に石を投げる
ケンムンの嫁(よめ)入り 宇検村(うけんそん)の屋鈍(やどん)がカツオ漁で盛んなころは、ケンムンもたくさんいた。 あるとき、屋純のケンムンが集落の家を回って、 「自分はこれから、大和村(やまとそん)の今里(いまざと)の立神にお嫁(よめ)にゆく。」と言って、一軒(けん)一軒あいさつしていった。 それから屋純のカツオがとれなくなったといわれ ている。
語り手:奄美大島・宇検村屋鈍 東八次郎 出典:「奄美諸島の昔話」 田畑英勝編・日本放送出版協会刊
ケンムンのがぶ(こぶ)とり 大和浜(やまとはま)と大棚(ふだな)との間のイシキュル(海辺の作業場)というところに、がぶ(こぶ)のある漁師のおじさんがいた。 ある日、火をたいてあたっていたら、そこにケンムンがきて、 「おじさん、おじさん、あなたのそのがぶは何をするものなの?」と聞くので、 「このがぶがあれば、魚でもなんでもいっぱいとれるんだよ。」と言った。 ケンムンは感心して、「そうか、では、そのがぶを自分にくれないか。」という。 おじさんに「さぁ、こっちへ来て。」と言ってそのがぶをとったので、おじさんのがぶはなくなって、ケンムンにがぶがくっついた。 あくる日、また火をもやしていたら、別のがぶのついたおじさんがきて、 「あれ、あなたのがぶはどうなった?」と言うので、 「ケンムンが 「そのがぶは何をするものなのか」とたずねたので、「このがぶがあれば魚でもなんでもよくとれるよ」と言ったら、「ぜひ自分にくれ」というので、くれてやった。」と説明した。 「へぇー、では、自分もそうしよう。」と、そのがぶおじさんが火をおこしてあたっていたら、ケンムンがきて「「魚でもなんでもよくとれる」と言ったのに、なんにもとれやしない。こんなものはもういらない。お前にくっつけてやるよ。」と言って、がぶをくっつけた。そのおじさんは、がぶが二つになってしまったそうだ。 語り手:奄美大島・大和村大棚 児玉モチャ 出典:「奄美諸島の昔話」田畑英勝編・日本放送出版協会刊
●シマ唄の楽器 シマ唄は、サンシン(三線)のみ、あるいはチヂンと呼ばれるクサビ締めの太鼓の演奏で行われる。また、ハトと呼ぶ指笛で調子をとったり、場を盛り上げたりする。 サンシンの由来は、15世紀中ごろから16世紀のころに中国から琉球国に入り、奄美群島にも伝わり、16世紀の中ごろには大阪に三味線として伝わったとされている。 琉球王府の保護のもと、 三線製作者の指導が行われて次つぎと名工が現れ、競って名品が作られた。三線の良し悪しは、棹(さお)といわれており、黒檀や紫檀の木の芯で作られたものを最上級としている。三線の棹を家宝としている人も多く、戦時中は棹を持って避難した。戦後の物資不足のときには、胴体の代わりに空き缶を取り付けた「カンカラ三線」も登場した。
●南島雑話に見る奄美
「南島雑話』は、江戸時代末期の奄美大島の人々の衣食住や生業、動植物などが描かれている史料である。この『南島雑話』という名称は、1冊の史料名称ではなく、「南島雑話」・「南島雑話附録」・「南島雑記」・「大嶹竊覧(だいとうせつらん)」・「大嶹便覧(だいとうびんらん)」・「大嶹漫筆(だいとうまんぴつ)」などの巻で構成されている史料群の総称である。原本は現在のところ確認されておらず、写本といわれるものは当館のほかに東京大学史料編纂所や鹿児島大学附属図書館などで所蔵されている。当館の 『南島雑話』の特徴は、トカラ列島関係について書かれた「川辺郡七島記」が含まれている点がほかの所蔵機関の写本とは異なっている。 『南島雑話』は当初、著者不明の史料だったが、昭和9年(1934)に生物学者の永井亀彦が「高崎崩(たかさきくずれ)の志士 名越左源太翁(なごやさげんたおう)」において、名越左源太が著者であると特定した。弟の永井龍一が同年に謄写版の 『南島雑話』を刊行していることが調査のきっかけだったという。 現在では『南島雑話』の著者について、新たな見解が示され、「『南島雑話』の構成と成立背景に関する一考察(平成16年(2004)・河津梨絵)」により、『南島雑話』...
Read moreHighly recommended to learn about history, people, and nature of the island. First floor has good video programs; select English subtitles, then the video you wish to see. A detailed relief model of the island on the first floor is great for planning. First floor exhibits focus on life by the sea, second floor is about history and culture, third floor focuses on nature. Most labels are only in Japanese, so Google Lens is handy to translate. You can also pick up an English map of the island. And there are outside exhibits of a traditional house and storage shelters. Open daily except closed 3rd Monday of month and 28 December-1 January. Individual adult...
Read moreThis is a very cute little museum. Overall, it’s not very extravagant but if you do wanna learn more about the island and the culture, then I do recommend going here. There are multiple levels in the museum who are allowed to take pictures and videos. Honestly, I just thought it was pretty nice. It’s quaint and not...
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