須佐神社(すさじんじゃ)。和歌山県有田市千田(ちだ)。
式内社(名神大)、旧県社。 鎮座地名に因み「千田神社」「お千田さん」とも。
主祭神:素戔嗚尊 (すさのおのみこと)。
『古事記』の「根の堅洲国」訪問の段では、大穴牟遅神(大国主)が「須佐能男命の坐します根の堅洲国」に参向するに際して、まず「木国」(紀伊国の古名)を目指したと記載されている。すなわち、紀伊は根の堅洲国(根の国)への入り口として想定されており、根の国に坐す「須佐能男命」と入り口の紀伊の「須佐神」(当社祭神)との関係性が見られる。松前健は、これと当社の海神的性格とを併せ見て、全国に展開するスサノオ信仰の原郷が当社であり、海の彼方の常世国としての根の国から豊穣をもたらすため、時期を定めて来訪するのが本来の神格であろうと推測している。 とあります。
資料によると、 『続風土記』の引く社伝によれば、和銅6年(713年)10月初亥日に大和国吉野郡西川峰(場所不明)から中雄山の山頂に勧請されたのが創祀という。また同記では、当初は海に面して西向きであったが、往来する船が恭意を表さないと転覆させるなどの神異を示したため、元明天皇(在位:707年-715年)の勅命により海が見えないよう中腹の現在地に移し南向きに改められたという。 当社が勧請されたという和銅6年10月初亥日は、伊太祁曽神社が現在地(和歌山市伊太祈曽)へ遷座したと伝える年月日と一致する。『続風土記』では、このことから両社の縁故を指摘している。
『古事記』の根の堅州国説話に見えるように、紀伊地方には古くからの信仰があったとされる。その時代、およそ古墳時代中後期(5・6世紀)の対朝鮮外交では紀伊の豪族・紀氏(紀伊国造家)が重要な役割を担ったとされることから、当時紀氏に率いられた海人によってすでに当社は祀られていたとする見方もある。 また須佐神社の鎮座地は、古代の紀伊国在田郡(有田郡)須佐郷に属する。この「須佐」の地名については『万葉集』の歌「あぢの住む 渚沙(すさ)の入江の 荒礒松(ありそまつ) 我(あ)を待つ子らは ただ独りのみ」に見える「渚沙」と同一視する説がある。また当地の中雄山の北端には6・7世紀の岡崎古墳群があり、考古学的に当社との関連が指摘される。 とあります。
参考として、 スサノオは一般的には出雲国(現在の島根県東部)の神とされており、これを証するように『出雲国風土記』出雲国飯石郡須佐郷の条にスサノオが己の魂を鎮めて大須佐田・小須佐田を定めたのでその地を須佐と呼ぶ旨を記しています。
これに関連して出雲国飯石郡の式内社に「須佐神社」(島根県出雲市佐田町須佐に鎮座)があり、現在ではここがスサノオの本宮とされています。
スサノオの他にも出雲と紀伊の間に共通する地名や神社があることは古くから知られており、例えば「クマノ(熊野)」「イタテ(伊達 / 伊太弖)」「カタ(加太 /...
Read more2024年9月18日(水)。歴史とパワーが宿る、静寂の聖地
和歌山県有田市千田にある須佐神社は、古くから人々に親しまれてきた歴史ある神社です。和銅6年(713年)の創建と伝えられ、素戔嗚尊(すさのおのみこと)を主祭神として祀っています。境内は、静けさに包まれ、心身ともにリフレッシュできる空間です。
特に、神社の木の彫刻は圧巻!その繊細な技術と美しさは、見る者を圧倒します。まるで物語が動き出すかのような、生きた彫刻の数々。歴史と芸術が融合した、この独特な空間は、他では味わえない感動を与えてくれます。
須佐神社は、古くから人々に崇敬されてきたパワースポットとしても知られています。素戔嗚尊は、海の神、雷の神、疫病の神として信仰されており、人々の願いを叶えてくれるとされています。境内には、神聖な空気が漂い、訪れる人の心を清めてくれるような感覚になります。
自然豊かな環境に囲まれた神社は、心身をリフレッシュさせるのに最適です。都会の喧騒を忘れ、静寂の中で自分自身と向き合うことができるでしょう。歴史とパワーが宿るこの場所で、心静かに過ごして...
Read moreこの地域のただ一つの延喜式内社ですので、お参りしてきました。素戔嗚尊が御祭神で、元は、大和国吉野郡から勧請したとのことです。713年とのこと。 天正年間に、豊臣秀吉によって攻められた時に、神器、霊宝、縁起などが失われたとのことで、伝承によってのみ伝えられたそうです。 徳川時代には、紀州徳川家が保護し、社殿の造営・修復に関しては藩費によって賄われたとのこと。大社にふさわしい社殿・拝殿でした。吉宗が奉納した重要文化財の太刀が保管されているとのことです。 本殿にお参りして、次に行こうかと思っていたのですが、約20分で元宮の地に行けるとのことなので、山上に登ってきました。元宮の石碑が祀られていました。途中、周りの風景を見ると、素晴らしい景色で大変良かったです。 もともと、山上に祀られていましたが、海上往来の船舶の事故が多く起こったため、元正天皇の勅命で現在地に遷座したそうです。 御朱印と縁起...
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