炎のピラミッド②国造神社
駐車場🅿有り トイレ🚻有り 車椅子♿は参道からは難しいです☹
御祭神
速瓶玉命(健磐龍命の第一子) 雨宮媛命 高橋神 火宮神
の四柱です
阿蘇北宮と呼ばれる国造神社 こくぞうじんじゃと読みます
阿蘇には火口湖の水抜きによる国造り伝承がありまして、健磐龍命が蹴破り水抜きをしたそうです。😮体格に恵まれてらっしゃれます(笑)
駐車場は参道の左手にありました。 鳥居を潜りしばらくすると川の瀬の音が響いて心地良いです。
国造神社の御祭神は小国両神社の御祭神でした。この宮は阿蘇神社の「北宮」とも言います。☺ 境内は右手の方が広くなっています。そこには杉の神木が祀ってありました。 平成3年の台風19号で倒れた杉が丁寧に磨かれて祀られています。でっかいです😮
この国造神社の対となる神社が草部吉見神社です。草部吉見神社は逆に左手が広くなっていて、これまた造りが逆になっててびっくりしますよ。 フィボナッチ数列の黄金比 国造神社が右回り 草部吉見神社が左回りに対をなしています🐈
「炎のピラミッド」によると、境内は三角形になっています。
その特徴は、参道の正中線が阿蘇神社の拝殿を通って高岳山頂三角点を正確に指しているところに驚きます😮
帰り道に参道から一の鳥居を見たら木々が邪魔してますが、高岳の裾が見え、阿蘇神社拝殿が正確に突き抜けています。 その距離とその間に外輪山の北壁を介在していることを考えると。どのようにしてここに建立、境内を配置したのでしょう🤔
草部吉見神社との対称性も驚くばかりですが、正確に阿蘇神社境内地面積の10分の1で 国造神社は設計されています😮😮
炎のピラミッドより抜粋 国造神社と阿蘇神社の境内地面積の間には特に密接な関係がある。国造神社の神域と本境内地面積の合計は1.678.58㎡は 阿蘇神社境内地面積16.786㎡の (10分の1)の面積である。 おっもしろい😮😮😮
国造神社由緒略記を見ると、 四柱の神とはこの四神となります。
炎のピラミッド①小国両神社では速瓶玉命は 健磐龍命(草部吉見)の第一子として考え、速瓶玉命は大山咋命で 考察しています。 大山咋=速瓶玉命を同一と見て 草部吉見は健磐龍命 と市杵島姫(宗像三女神)の子である事を考えると、国造神社の祭神が雨宮姫と高橋大神、速瓶玉命。 草部吉見神と市杵島姫が親神だったら格式が高いので、祀られててもおかしくないです。もうちょっと残っているとおもったのですが。考えすぎですかね(笑)🐈
で。雨宮姫の系統から阿蘇氏の初代が産まれているので阿蘇氏が雨宮姫の系統に祭神が替えられているのではないかと考えます。が
鯰神が拝殿右にあります(豊玉姫)が祀られていることもその象徴ではないかと思います。 鯰は地震を起こすと江戸時代は考えられていました。ですが江戸より前はこの鯰は龍でした、龍が鯰に変わったのは江戸時代からです 龍神信仰も鯰に変えられたとも考えられます
悪く言うつもりはありませんよ☺ 「古事記」「日本書紀」を左右したのは阿蘇氏を起源とする藤原氏です。 彼らの故郷は肥後、その内容が記紀に反映されているとしても不思議ではないですけどね🐈考えすぎですけど影響力あるならもっと阿蘇を大々的に書いてほしいものです(笑)
お帰りのさいは一の鳥居から高岳を眺めてみてくださいね。その手前には阿蘇神社があることも感じながら見ていただくと古代のなにかを感じ取れるかもです☺
田尻宮司は阿蘇の神々は阿蘇山を見て徳を積んでいたとのことでした。
是非とも行かれてください🐈 お気をつけて🚗 ...
Read more熊本県肥後国阿蘇郡古城村大字手野 県社 国造(クニノミヤツコノ)神社 祭神 国造速瓶玉(クニノミヤツコハヤミカタマノ)命 相殿 雨宮媛(アメノミヤヒメノ)命 高橋(タカハシノ)神 火宮(ホノミヤノ)神
速瓶玉ミコトは健磐龍命の子にして、阿蘇国造なり、国造本紀に「阿蘇国造瑞籬朝御世火国造同祖神八井耳命孫速瓶玉命定賜国造とあり、景行天皇十八年、勅して社殿を造営し、速瓶玉命を祭らしめ給ふ(社田)延喜の制式内小社に列す(神名帳考証、神社■録、神祇志料、大宰管内志、)続日本紀に、「仁明天皇承和十四年七月丁卯、修造肥後国阿蘇郡国造神為官社」土俗北宮と称す、宮地村なる阿蘇神宮の北に当たるを以てなり(肥後国志、陳迹志、地名辞書)、明治五年県社に列す、社殿は本殿、祓殿、拝殿、社務所を具備し、境地二千四百十七坪(官有地第一種)あり、境内に陰陽杉と称する老杉二株あり、一株は周囲十三抱、一株は十一抱に及び、矗々として天に聳ゆ、凡そ九百年に及べりといふ(大宰管内志、肥後国志)、又この地は、速瓶玉命の石隠れし給ふ所なりとて、御穴の故蹟あり、土俗御蔵穴と称す、上下の二あり、外形は円形の小丘にして上に竹藪繁茂せり、穴の口は西南に開きて、形竈の口の如く、五間程匍匐して入れば、高さ九尺、上下左右石を以て畳む、奥に幅二間、高さ八尺余りの切石あり、之を障子石といふ、その前に幅三尺、長さ七尺、高さ三尺の石棺あり、下御蔵の穴は、埋れて入ることを得ず、弘化元年手野の里長某が、字古城といふ岡山を開墾せし時、岩穴三つに開き当れり、この穴の中より直刀、短刀、鏃、轡、玉、土器等種々の古器を得たり、骸骨とおぼしきものもありしも、朽ちてさだかならずといふ、(太宰管内志、蘇渓温故、地名辞書)。 附言、式内国造神社に就ては、神社覈(?)録、神祇志料等の書、共に同郡宮地村阿蘇神宮の三宮なりとなす、なほ後考を俟つべし。 境内神社 鯰神社 闇神(クラオカミノ)社 水(ミクマリノ)神社 例祭日 七月二六日 会計法適用指定年月日 明治四十一年九月二十九日 県令第十二号 神饌幣帛料供進指定年月日 明治四十年二月十六日県令第七号 氏子戸数 百九十戸 崇敬者数 二百二十人
明治神社誌料 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 国造神社由緒略紀 御祭神 阿蘇初代国造速瓶玉命外三座 御由緒 肥後一の宮阿蘇神社の御主神健磐龍命の「第一の御子で延喜式内社(官社)に列せられ阿蘇神社と同格に取りあつかわれて来た神社で阿蘇国土開発と共に庶民に農耕の道を教え畜産に植林にと■■を与え衆庶を愛撫し仁恵を施された御聖徳と御功業により、第十代崇神天皇の朝に阿蘇初代国造と定められ同十八年阿蘇国造の神としてお祀りされた歴史ある古い神社で現在の御社殿は寛文十二年 肥後藩主細川五代綱利公の御造営なされたものであります。 主なる祭典 春祭(祈念祭)三月二十八日 例祭(おんだ祭) 七月二十六日(古式神幸式あり) 秋祭(田実神事)九月二十三日 二...
Read moreWe stopped by on a whim when we saw the signs off the road on our way to Kurokawa Onsen. It’s a very quiet, peaceful shrine in the woods. We met an older woman who was very excited to see us. She doesn’t speak English, but she wants everyone to visit here if they are able. I also recommend stopping by if you want a tranquil moment.
Goshuin are sold in the small building next to the...
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