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Tanzan Jinja — Attraction in Asuka

Name
Tanzan Jinja
Description
Tanzan Shrine, also known as the Danzan Shrine, the Tōnomine Shrine and the Tōnomine Temple, is a Shinto shrine in Sakurai, Nara Prefecture, Japan. It is located 5km from Ishibutai Kofun.
Nearby attractions
Tanzan Jinja Jusanjunoto (Thirteen Story Pagoda)
432 Tonomine, Sakurai, Nara 633-0032, Japan
Nearby restaurants
Nearby hotels
Tounomine Kanko Hotel
432 Tonomine, Sakurai, Nara 633-0032, Japan
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Keywords
Tanzan Jinja tourism.Tanzan Jinja hotels.Tanzan Jinja bed and breakfast. flights to Tanzan Jinja.Tanzan Jinja attractions.Tanzan Jinja restaurants.Tanzan Jinja travel.Tanzan Jinja travel guide.Tanzan Jinja travel blog.Tanzan Jinja pictures.Tanzan Jinja photos.Tanzan Jinja travel tips.Tanzan Jinja maps.Tanzan Jinja things to do.
Tanzan Jinja things to do, attractions, restaurants, events info and trip planning
Tanzan Jinja
JapanNara PrefectureAsukaTanzan Jinja

Basic Info

Tanzan Jinja

319 Tonomine, Sakurai, Nara 633-0032, Japan
4.3(1.4K)
Open 24 hours
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Ratings & Description

Info

Tanzan Shrine, also known as the Danzan Shrine, the Tōnomine Shrine and the Tōnomine Temple, is a Shinto shrine in Sakurai, Nara Prefecture, Japan. It is located 5km from Ishibutai Kofun.

Cultural
Outdoor
Family friendly
attractions: Tanzan Jinja Jusanjunoto (Thirteen Story Pagoda), restaurants:
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Phone
+81 744-49-0001
Website
tanzan.or.jp

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Reviews

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Tanzan Jinja Jusanjunoto (Thirteen Story Pagoda)

Tanzan Jinja Jusanjunoto (Thirteen Story Pagoda)

Tanzan Jinja Jusanjunoto (Thirteen Story Pagoda)

4.5

(75)

Closed
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Things to do nearby

Indulge in Nara bar culture with a local bar hoper
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Sat, Dec 6 • 6:30 PM
630-8215, Nara, Nara, Japan
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Make traditional Japanese handmade udon noodles
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Sat, Dec 6 • 9:45 AM
630-8113, Nara, Nara, Japan
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Make your own ink painting and stone seal
Make your own ink painting and stone seal
Sun, Dec 7 • 1:30 PM
582-0005, Osaka, Kashiwara, Japan
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Reviews of Tanzan Jinja

4.3
(1,363)
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5.0
4y

〇2022年11月16日。念願の「🍁紅葉のころ」に訪れることができました。 「全国旅行支援」事業が始められているのですが、平日でもあって「談山神社第1駐車場」の以外は、駐車場に空きスペースがあり、また、観光バスも全く見かけませんでした。

〇以前、訪れた時は「🍁紅葉のころ」ではなく、周りの木々は、まだ🌿青葉(新緑)でした。ただ、「紅葉」シーズン真っ盛りには、観光客がこの狭い谷間に押し掛けて乗用車が近づけないくらいに混雑するようなところです。 1.御祭神 御祭神は、藤原鎌足(ふじわらのかまたり)です。

2.藤原鎌足(Fujiwara-no-Kamatari) 藤原鎌足は、古代史の大きな事件の645年「乙巳の変(いっしのへん)=大化の改新」を中大兄皇子(なかのおおえのおうじ=のちの天智天皇(Tenji-Emperor))と起こした人物です。彼は元々、ヤマト王権の祭祀を忌部氏(いんべうじInbe-uji)と共に担った中臣氏(なかとみうじNakatomi-uji)の出身でした。そのためヤマト王権(Ancient -Government of YAMATO)では、政治を執り行う立場ではありませんでした。(UJI is the Japanes...

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5.0
1y

【2024年11月3日更新】 2024年4月訪問時の下掲口コミからの更新点は次の通りです。

・第1駐車場の駐車料金が同年4月訪問時は無料でしたが、同年11月1日から有料の定額500円に変わっていました。受付の方に秋のシーズンだけ有料ですか?と念のためお聞きしたところシーズンにかかわらず有料になると思われますとのことでした。因みに第5駐車場は500円が1000円に変わっていました。 ・藤原鎌足お墓の裏側は展望スポットになっています。同年4月訪問時は周辺の樹木で景色が隠されていましたが、同年11月2日訪問時は樹木が伐採されていて展望が開けている状況に様変わり。写真を載せておりますが当時は霧く大和平野を覆うように雲海が広がり遠くに生駒山系と二上山がみえ、中景は耳成山、藤原宮跡のみどりなど大和平野の美しい景色が観えました。余談ですが発掘品から藤原鎌足のお墓と推定されています大阪府高槻市の阿武山古墳から観える摂津、河内の風景が展開しこちらも絶景です。談山神社背後の御破裂山山頂の藤原鎌足墓の遺骨は摂津国安威から改葬されたとの言い伝えがあるとの事です。古代、中世といった日本の政治をリードした藤原氏の始祖に相応しい場所でお眠りしているんだなと想像が巡ります。 ・4月訪問時は拝殿と神廟拝所の2箇所に入れましたが、11月2日訪問時はこれら2箇所に加え、芸能の神様をお祀りしております権殿も入るいることができました。この時は写生作品の展示会場になっておりましたので特別に開放されていたのかもしれません。

【前回投稿内容...

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5.0
1y

I liked our visit at Tanzan Jinjia. It is a very quiet place surrounded by nature and located on the side of a small hill.

The ascent to the top is very peaceful and from there you will have a nice view. To get to the top the train in the forest is also a picturesque one. When we were there not many people were visiting which made it a better experience.

Close to the entrance there is a parking spot if you are coming with a car but we used the one located next to the convenience store which was free and empty considering that there were not many...

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吉川康彦吉川康彦
〇2022年11月16日。念願の「🍁紅葉のころ」に訪れることができました。 「全国旅行支援」事業が始められているのですが、平日でもあって「談山神社第1駐車場」の以外は、駐車場に空きスペースがあり、また、観光バスも全く見かけませんでした。 〇以前、訪れた時は「🍁紅葉のころ」ではなく、周りの木々は、まだ🌿青葉(新緑)でした。ただ、「紅葉」シーズン真っ盛りには、観光客がこの狭い谷間に押し掛けて乗用車が近づけないくらいに混雑するようなところです。 1.御祭神 御祭神は、藤原鎌足(ふじわらのかまたり)です。 2.藤原鎌足(Fujiwara-no-Kamatari) 藤原鎌足は、古代史の大きな事件の645年「乙巳の変(いっしのへん)=大化の改新」を中大兄皇子(なかのおおえのおうじ=のちの天智天皇(Tenji-Emperor))と起こした人物です。彼は元々、ヤマト王権の祭祀を忌部氏(いんべうじInbe-uji)と共に担った中臣氏(なかとみうじNakatomi-uji)の出身でした。そのためヤマト王権(Ancient -Government of YAMATO)では、政治を執り行う立場ではありませんでした。(UJI is the Japanes clan.) 彼は、遣唐使に伴われて唐から帰国した留学生・留学僧の影響を受けたと言われています。大陸に誕生した巨大な中央集権の帝国(唐)が支配力を強める中で、周辺の国々で起こった政治体制の整備の動きに連動しての動きだと考えられています。 ヤマト王権の他の氏族との軋轢(あつれき)の中で中大兄皇子と大海人皇子(おおあまおうじ)を支えて政治改革の「大化の改新」を行ったと伝えられます。 ※蘇我馬子(そがのうまこ)の墓と言われる飛鳥の「石舞台古墳」に近い、こんなところで、645年「乙巳の変(いっしのへん)=大化の改新」を起こし、蘇我入鹿(そがのいるか)を討つという危険な相談をしていたとは到底思えません。「談山」とは、相談をしていたという意味ですが、ひそひそ声が周りの山に反響しそうな狭い谷間の場所です。 3.おこり 中臣鎌足(なかとみのかまたり)は、669年大津宮(おおつのみや=近江京)に遷都していた王権の関係で、山科(やましな=京都市山科区)での猟(りょう)で落馬、背中を強打し、背骨を折ったと伝わります。これが原因で亡くなったとされます。死の床にあった彼を見舞った天智天皇より、最高位の官職を示す「大職冠(だいしょくかん)」の冠と姓(かばね)「藤原」を賜ったとされます。 息を引き取った鎌足の遺骸は、殯(もがり)が開けた後に、仮埋葬が飛鳥で行われた後、中臣氏ゆかりの「安威」(あい=大阪府茨木市安威)の山に本埋葬されたと伝わります。 その後、678年に唐への留学を終えて、帰国した鎌足の長子(一番歳上の息子)の僧の定慧(じょうえ=定恵)が、天智天皇に勧められて、埋葬地の「摂津国三嶋郡安威山(つのくにのみしまのこおりのあいやま)」より、この地へ改葬したのが始まりとされます。 4.神社名 「談山神社(たんざんじんじゃ)」という名前は、古代に始まる日本の神社名としては奇妙な名前です。 神社の名前のルールでは、漢字で名前を書いていても「訓読み(くんよみ)」という和語(日本語)であるはずです。大阪市内の「坐摩神社(いかすりじんじゃ)」、京都市内の「上賀茂神社(かみがもじんじゃ)=賀茂別雷神社(かものわけいかづちかみのやしろ)」のようになるものです。 しかし、「談山神社(たんざんじんじゃ)」は中国語風の「音読み(おんよみ)」ばかりです。 それには、理由があります。 1867年の「明治維新」で生まれた新政府が、国学(こくがく)の平田篤胤(ひらたあつたね)の流れを汲む「平田派神道」の一派の影響を受けて「国家神道」を創設して、政治の中に「国家神道」を組み込んでしまったのです。 そのため、日本の神と仏教とが共生する「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」によって、神社と仏教寺院とが一つになっていたものを無理やり引き離す「蛮行(ばんこう=野蛮な行為)」を行ったのです。 やむなく、各神社・寺院は、どちらかになる選択を行ったわけです。(因みに江戸時代までの天皇は「仏教徒」です。) 「談山神社」は僧定慧が父の墓所として開いたわけですから本来は仏教寺院であり「多武峰(とうのみね)妙楽寺(みょうらくじ)」となっていたものです。それを仏教を捨てさせて、僧侶を神官に変わらせて「談山神社」としたものです。 (他の「音読み」の神社の多く、「明治神宮(めいじじんぐう)」「平安神宮(へいあんじんぐう)」も、明治以後の創設です。) ※近年、近くに新しく開基した仏教寺院が「妙楽寺」を名乗ったと報じられました。 歴史ある名前を「乗っ取り」されることになりました。 神社として、「使用していない」名前の使用を差し止めることは困難です。宗教法人「神社本庁」や「神道」を支援するという人たちも手出しできません。「歴史の過ち」です。 5.貴人の墓 私は、本物の「藤原鎌足の墓」だと言われる「貴人の墓」のある山の山裾に住んでいるものですから、一度は訪ねたいと思っていました。 鎌足の長子の僧定慧が、唐からの帰国後に、天智天皇に勧められて父の墓を訪ねたという「阿威山(あいやま)」は、摂津国安威郷(つのくにのあいのごう=茨木市安威)には、存在しません。 現在、安威地区の山(丘陵)の一つに「大職冠神社(だいしょくかんじんじゃ)」があります。石の鳥居には、子孫の藤原氏の建立したものと刻まれています。 しかし、そこには鎌足の時代より、かなり古い時代の古墳の石室がむき出しにあるだけです。古墳時代が終わってからの藤原鎌足とは時代が合いません。 鎌足は、蘇我氏を討つために、奈良の飛鳥(あすか)を辞して、三島の地(大阪府北部)に隠居生活を行っていたといいます。三島の太田の地には、中臣太田連氏(なかとみのおおだのむらじうじ)が住んでいたり、安威には、鎌足の一族の中臣藍連氏(なかとみのあいのむらじうじ)が住んでいましたので、関係は深いと思います。(安威地区を流れる安威川から「五社井堰(ごしゃいせき)=小型のダム」で水を取り入れた「五社井路(ごしゃせいろ)」という用水路が太田地区へと流れています。) ですから、その付近の山ということになります。 「藤原鎌足」の墓のありかがあいまいに定慧に伝わったのには理由があります。鎌足が亡くなった後の672年「壬申の乱」がおこり、ヤマト王権に大混乱が起こります。鎌足の嗣子である藤原不比等(ふじわらのふひと)はこの時14歳にしかなっていなくて、文字で王権に仕えた渡来系の東漢(やまとのあや)氏の系統の田辺史(たなべのふひと)氏の田辺史氏大隅の庇護を受けていました。藤原氏はまだ有力貴族ではありませんでした。(そのため「不比等」を「史」と書く例もあります) 「貴人の墓」のある山は、安威地区の東側の川を隔てた地区を見下ろすところにそびえており、名を「阿武山(あぶやま)」と言います。この山の山頂を少し尾根に沿って南に下った付近にある墳丘を持たない質素な円墳から、「玉枕(ぎょくちん=緑色や藍色のガラス玉を糸で連ねてつくった枕)」をして、傍らには金糸の刺繍を施した布の「冠(「大職冠」?)」を持つ男性の遺体が「莢宁棺(きょうちょかん=棺の各面が籠編みになっていて表面を漆塗りにしてある棺)」に納められていたのが確認されています。 京都大学に残っている当時のX線写真によると背骨に骨折が見られて「落馬事故」が原因で亡くなったといわれる点も合致して、真の「藤原鎌足」の墓と見られています。
山口裕一山口裕一
【2024年11月3日更新】 2024年4月訪問時の下掲口コミからの更新点は次の通りです。 ・第1駐車場の駐車料金が同年4月訪問時は無料でしたが、同年11月1日から有料の定額500円に変わっていました。受付の方に秋のシーズンだけ有料ですか?と念のためお聞きしたところシーズンにかかわらず有料になると思われますとのことでした。因みに第5駐車場は500円が1000円に変わっていました。 ・藤原鎌足お墓の裏側は展望スポットになっています。同年4月訪問時は周辺の樹木で景色が隠されていましたが、同年11月2日訪問時は樹木が伐採されていて展望が開けている状況に様変わり。写真を載せておりますが当時は霧く大和平野を覆うように雲海が広がり遠くに生駒山系と二上山がみえ、中景は耳成山、藤原宮跡のみどりなど大和平野の美しい景色が観えました。余談ですが発掘品から藤原鎌足のお墓と推定されています大阪府高槻市の阿武山古墳から観える摂津、河内の風景が展開しこちらも絶景です。談山神社背後の御破裂山山頂の藤原鎌足墓の遺骨は摂津国安威から改葬されたとの言い伝えがあるとの事です。古代、中世といった日本の政治をリードした藤原氏の始祖に相応しい場所でお眠りしているんだなと想像が巡ります。 ・4月訪問時は拝殿と神廟拝所の2箇所に入れましたが、11月2日訪問時はこれら2箇所に加え、芸能の神様をお祀りしております権殿も入るいることができました。この時は写生作品の展示会場になっておりましたので特別に開放されていたのかもしれません。 【前回投稿内容 2024年4月末訪問時】 4月末の土曜日に枚方市楠葉から自動車で移動。国道24号を通過、大和郡山市から京奈和道路を利用して、橿原神宮の橫を抜け、談山神社から見ると西方面の明日香村方面から県道155号を通って神社へ向かうことにしました。道は、蛇行する区間が一部ありましたが二車線の道路で安全運転でスムーズに走ることが出来ました。因みに神社からの帰り路は、このあと天理市の石上神宮へ向かうため近道の東方面から抜ける道路を選択しましたが一車線の区間が多くありましたので、大阪方面から車で来られる場合は西方面からのルートを選択した方が先述のとおり二車線の道路を通過できるため走り易いと個人的には思いました。 神社の周辺には多武峰駐車場が第1から第5まであります。第5以外は無料(バスは2千円)で、神社に最も近い第5駐車場は有料で500円。この日私は第1駐車場を利用しましたが、第5駐車場とは距離はそれほど離れていない位置にありましたので、こちらの第1駐車場の利用で十分便利でした(ただし、第1駐車場から神社入り口との間に標高差が目測で20メートルほどあり階段もしくはスロープを利用した昇降が必要。一方の第5の方は、第1と比べるとほとんど高低差なく神社までアクセス可能。この利便性の差を料金を払ってまで獲得する利益があるのかは人によって違うと思いましが私にとっては第1駐車場で十分でした)。 第1駐車場の場所は明日香村方面から県道155号を進み、山頂から下り勾配に変わりしばらく走ると神社付近となり、まず左手方向に観光客用トイレや売店を備えた駐車場が見え、少し進んだ先右手側に多武峰第一駐車場の看板が立った駐車場入り口があります。この日は土曜日の午前9時少し前に到着しましたが、到着時点の第一駐車場の利用率はほとんど無くガラガラの状態でした。到着時の第一駐車場の様子や駐車場の位置関係を示した看板の写真を掲載していますので参考にしてください。第1駐車場から神社へ向かう途中に第5駐車場がありましたので写真にうつしておきましたが収容可能台数は数えると普通車30台程度のようです。 神社入り口の前には道沿いに3軒の土産物店があり奈良漬けや地酒、焼きもちなど販売しています。神社からの帰りに奈良漬けと地酒「鎌足」、豆もちを購入しました。 拝観料は大人ひとり600円。料金を支払うと同時に2箇所で靴を脱いで入る場所があると説明されビニール袋を渡されます。入り口から本殿へ通じる長い階段を登っていくと途中左手に定慧が679年に父、藤原鎌足を供養するために創建した妙楽寺の旧講堂が建っていて一番最初こちらへと向かいました。靴を脱いで建物の中へ入り、写真は撮影可、SNSへの公開可能との張り紙があり、まだ時間が早かったのか建物内には自分以外の観光客は居らずゆっくりと鑑賞と写真撮影ができました。 次に、十三重塔に向かいました。談山神社といえばテレビでは必ずと言ってよいほどに紹介される建造物で写真撮影の人気スポットです。この時は、自分以外は2人ほどの方が撮影されていましたが、時間に余裕がありましたので誰も被写体に入らないタイミングは数多くありましので気に入った角度や距離で存分に撮影できました。自撮りの台も置かれています。 このあとは、拝殿の中へ再び靴を脱いで入り、本殿におまいり。東西透廊に吊り下げられた灯籠が幾つも連なり美しい景色を作っていました。拝殿、本殿、その他の建造物自体の美しさはもとより、周辺の緑や花木との景色と融合して言葉に尽くせないくらいの風景をつくっていました。外国人にもとてもうけそうに思いましたがこの日は数人見かけただけ大半の観光客は日本人のようでした。 最後に、藤原鎌足お墓を参拝。雨の翌日などは足元は湿った枯れ葉で滑りやすいので、滑りにくい靴を履いておくなど注意が必要です。 これまで私が各地の建造物や史跡を巡った中でのあくまでも個人的な感想ですが、私の中では最上位に値する国内屈指のパワースポットとなりました。また必ず訪れます。
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〇2022年11月16日。念願の「🍁紅葉のころ」に訪れることができました。 「全国旅行支援」事業が始められているのですが、平日でもあって「談山神社第1駐車場」の以外は、駐車場に空きスペースがあり、また、観光バスも全く見かけませんでした。 〇以前、訪れた時は「🍁紅葉のころ」ではなく、周りの木々は、まだ🌿青葉(新緑)でした。ただ、「紅葉」シーズン真っ盛りには、観光客がこの狭い谷間に押し掛けて乗用車が近づけないくらいに混雑するようなところです。 1.御祭神 御祭神は、藤原鎌足(ふじわらのかまたり)です。 2.藤原鎌足(Fujiwara-no-Kamatari) 藤原鎌足は、古代史の大きな事件の645年「乙巳の変(いっしのへん)=大化の改新」を中大兄皇子(なかのおおえのおうじ=のちの天智天皇(Tenji-Emperor))と起こした人物です。彼は元々、ヤマト王権の祭祀を忌部氏(いんべうじInbe-uji)と共に担った中臣氏(なかとみうじNakatomi-uji)の出身でした。そのためヤマト王権(Ancient -Government of YAMATO)では、政治を執り行う立場ではありませんでした。(UJI is the Japanes clan.) 彼は、遣唐使に伴われて唐から帰国した留学生・留学僧の影響を受けたと言われています。大陸に誕生した巨大な中央集権の帝国(唐)が支配力を強める中で、周辺の国々で起こった政治体制の整備の動きに連動しての動きだと考えられています。 ヤマト王権の他の氏族との軋轢(あつれき)の中で中大兄皇子と大海人皇子(おおあまおうじ)を支えて政治改革の「大化の改新」を行ったと伝えられます。 ※蘇我馬子(そがのうまこ)の墓と言われる飛鳥の「石舞台古墳」に近い、こんなところで、645年「乙巳の変(いっしのへん)=大化の改新」を起こし、蘇我入鹿(そがのいるか)を討つという危険な相談をしていたとは到底思えません。「談山」とは、相談をしていたという意味ですが、ひそひそ声が周りの山に反響しそうな狭い谷間の場所です。 3.おこり 中臣鎌足(なかとみのかまたり)は、669年大津宮(おおつのみや=近江京)に遷都していた王権の関係で、山科(やましな=京都市山科区)での猟(りょう)で落馬、背中を強打し、背骨を折ったと伝わります。これが原因で亡くなったとされます。死の床にあった彼を見舞った天智天皇より、最高位の官職を示す「大職冠(だいしょくかん)」の冠と姓(かばね)「藤原」を賜ったとされます。 息を引き取った鎌足の遺骸は、殯(もがり)が開けた後に、仮埋葬が飛鳥で行われた後、中臣氏ゆかりの「安威」(あい=大阪府茨木市安威)の山に本埋葬されたと伝わります。 その後、678年に唐への留学を終えて、帰国した鎌足の長子(一番歳上の息子)の僧の定慧(じょうえ=定恵)が、天智天皇に勧められて、埋葬地の「摂津国三嶋郡安威山(つのくにのみしまのこおりのあいやま)」より、この地へ改葬したのが始まりとされます。 4.神社名 「談山神社(たんざんじんじゃ)」という名前は、古代に始まる日本の神社名としては奇妙な名前です。 神社の名前のルールでは、漢字で名前を書いていても「訓読み(くんよみ)」という和語(日本語)であるはずです。大阪市内の「坐摩神社(いかすりじんじゃ)」、京都市内の「上賀茂神社(かみがもじんじゃ)=賀茂別雷神社(かものわけいかづちかみのやしろ)」のようになるものです。 しかし、「談山神社(たんざんじんじゃ)」は中国語風の「音読み(おんよみ)」ばかりです。 それには、理由があります。 1867年の「明治維新」で生まれた新政府が、国学(こくがく)の平田篤胤(ひらたあつたね)の流れを汲む「平田派神道」の一派の影響を受けて「国家神道」を創設して、政治の中に「国家神道」を組み込んでしまったのです。 そのため、日本の神と仏教とが共生する「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」によって、神社と仏教寺院とが一つになっていたものを無理やり引き離す「蛮行(ばんこう=野蛮な行為)」を行ったのです。 やむなく、各神社・寺院は、どちらかになる選択を行ったわけです。(因みに江戸時代までの天皇は「仏教徒」です。) 「談山神社」は僧定慧が父の墓所として開いたわけですから本来は仏教寺院であり「多武峰(とうのみね)妙楽寺(みょうらくじ)」となっていたものです。それを仏教を捨てさせて、僧侶を神官に変わらせて「談山神社」としたものです。 (他の「音読み」の神社の多く、「明治神宮(めいじじんぐう)」「平安神宮(へいあんじんぐう)」も、明治以後の創設です。) ※近年、近くに新しく開基した仏教寺院が「妙楽寺」を名乗ったと報じられました。 歴史ある名前を「乗っ取り」されることになりました。 神社として、「使用していない」名前の使用を差し止めることは困難です。宗教法人「神社本庁」や「神道」を支援するという人たちも手出しできません。「歴史の過ち」です。 5.貴人の墓 私は、本物の「藤原鎌足の墓」だと言われる「貴人の墓」のある山の山裾に住んでいるものですから、一度は訪ねたいと思っていました。 鎌足の長子の僧定慧が、唐からの帰国後に、天智天皇に勧められて父の墓を訪ねたという「阿威山(あいやま)」は、摂津国安威郷(つのくにのあいのごう=茨木市安威)には、存在しません。 現在、安威地区の山(丘陵)の一つに「大職冠神社(だいしょくかんじんじゃ)」があります。石の鳥居には、子孫の藤原氏の建立したものと刻まれています。 しかし、そこには鎌足の時代より、かなり古い時代の古墳の石室がむき出しにあるだけです。古墳時代が終わってからの藤原鎌足とは時代が合いません。 鎌足は、蘇我氏を討つために、奈良の飛鳥(あすか)を辞して、三島の地(大阪府北部)に隠居生活を行っていたといいます。三島の太田の地には、中臣太田連氏(なかとみのおおだのむらじうじ)が住んでいたり、安威には、鎌足の一族の中臣藍連氏(なかとみのあいのむらじうじ)が住んでいましたので、関係は深いと思います。(安威地区を流れる安威川から「五社井堰(ごしゃいせき)=小型のダム」で水を取り入れた「五社井路(ごしゃせいろ)」という用水路が太田地区へと流れています。) ですから、その付近の山ということになります。 「藤原鎌足」の墓のありかがあいまいに定慧に伝わったのには理由があります。鎌足が亡くなった後の672年「壬申の乱」がおこり、ヤマト王権に大混乱が起こります。鎌足の嗣子である藤原不比等(ふじわらのふひと)はこの時14歳にしかなっていなくて、文字で王権に仕えた渡来系の東漢(やまとのあや)氏の系統の田辺史(たなべのふひと)氏の田辺史氏大隅の庇護を受けていました。藤原氏はまだ有力貴族ではありませんでした。(そのため「不比等」を「史」と書く例もあります) 「貴人の墓」のある山は、安威地区の東側の川を隔てた地区を見下ろすところにそびえており、名を「阿武山(あぶやま)」と言います。この山の山頂を少し尾根に沿って南に下った付近にある墳丘を持たない質素な円墳から、「玉枕(ぎょくちん=緑色や藍色のガラス玉を糸で連ねてつくった枕)」をして、傍らには金糸の刺繍を施した布の「冠(「大職冠」?)」を持つ男性の遺体が「莢宁棺(きょうちょかん=棺の各面が籠編みになっていて表面を漆塗りにしてある棺)」に納められていたのが確認されています。 京都大学に残っている当時のX線写真によると背骨に骨折が見られて「落馬事故」が原因で亡くなったといわれる点も合致して、真の「藤原鎌足」の墓と見られています。
吉川康彦

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【2024年11月3日更新】 2024年4月訪問時の下掲口コミからの更新点は次の通りです。 ・第1駐車場の駐車料金が同年4月訪問時は無料でしたが、同年11月1日から有料の定額500円に変わっていました。受付の方に秋のシーズンだけ有料ですか?と念のためお聞きしたところシーズンにかかわらず有料になると思われますとのことでした。因みに第5駐車場は500円が1000円に変わっていました。 ・藤原鎌足お墓の裏側は展望スポットになっています。同年4月訪問時は周辺の樹木で景色が隠されていましたが、同年11月2日訪問時は樹木が伐採されていて展望が開けている状況に様変わり。写真を載せておりますが当時は霧く大和平野を覆うように雲海が広がり遠くに生駒山系と二上山がみえ、中景は耳成山、藤原宮跡のみどりなど大和平野の美しい景色が観えました。余談ですが発掘品から藤原鎌足のお墓と推定されています大阪府高槻市の阿武山古墳から観える摂津、河内の風景が展開しこちらも絶景です。談山神社背後の御破裂山山頂の藤原鎌足墓の遺骨は摂津国安威から改葬されたとの言い伝えがあるとの事です。古代、中世といった日本の政治をリードした藤原氏の始祖に相応しい場所でお眠りしているんだなと想像が巡ります。 ・4月訪問時は拝殿と神廟拝所の2箇所に入れましたが、11月2日訪問時はこれら2箇所に加え、芸能の神様をお祀りしております権殿も入るいることができました。この時は写生作品の展示会場になっておりましたので特別に開放されていたのかもしれません。 【前回投稿内容 2024年4月末訪問時】 4月末の土曜日に枚方市楠葉から自動車で移動。国道24号を通過、大和郡山市から京奈和道路を利用して、橿原神宮の橫を抜け、談山神社から見ると西方面の明日香村方面から県道155号を通って神社へ向かうことにしました。道は、蛇行する区間が一部ありましたが二車線の道路で安全運転でスムーズに走ることが出来ました。因みに神社からの帰り路は、このあと天理市の石上神宮へ向かうため近道の東方面から抜ける道路を選択しましたが一車線の区間が多くありましたので、大阪方面から車で来られる場合は西方面からのルートを選択した方が先述のとおり二車線の道路を通過できるため走り易いと個人的には思いました。 神社の周辺には多武峰駐車場が第1から第5まであります。第5以外は無料(バスは2千円)で、神社に最も近い第5駐車場は有料で500円。この日私は第1駐車場を利用しましたが、第5駐車場とは距離はそれほど離れていない位置にありましたので、こちらの第1駐車場の利用で十分便利でした(ただし、第1駐車場から神社入り口との間に標高差が目測で20メートルほどあり階段もしくはスロープを利用した昇降が必要。一方の第5の方は、第1と比べるとほとんど高低差なく神社までアクセス可能。この利便性の差を料金を払ってまで獲得する利益があるのかは人によって違うと思いましが私にとっては第1駐車場で十分でした)。 第1駐車場の場所は明日香村方面から県道155号を進み、山頂から下り勾配に変わりしばらく走ると神社付近となり、まず左手方向に観光客用トイレや売店を備えた駐車場が見え、少し進んだ先右手側に多武峰第一駐車場の看板が立った駐車場入り口があります。この日は土曜日の午前9時少し前に到着しましたが、到着時点の第一駐車場の利用率はほとんど無くガラガラの状態でした。到着時の第一駐車場の様子や駐車場の位置関係を示した看板の写真を掲載していますので参考にしてください。第1駐車場から神社へ向かう途中に第5駐車場がありましたので写真にうつしておきましたが収容可能台数は数えると普通車30台程度のようです。 神社入り口の前には道沿いに3軒の土産物店があり奈良漬けや地酒、焼きもちなど販売しています。神社からの帰りに奈良漬けと地酒「鎌足」、豆もちを購入しました。 拝観料は大人ひとり600円。料金を支払うと同時に2箇所で靴を脱いで入る場所があると説明されビニール袋を渡されます。入り口から本殿へ通じる長い階段を登っていくと途中左手に定慧が679年に父、藤原鎌足を供養するために創建した妙楽寺の旧講堂が建っていて一番最初こちらへと向かいました。靴を脱いで建物の中へ入り、写真は撮影可、SNSへの公開可能との張り紙があり、まだ時間が早かったのか建物内には自分以外の観光客は居らずゆっくりと鑑賞と写真撮影ができました。 次に、十三重塔に向かいました。談山神社といえばテレビでは必ずと言ってよいほどに紹介される建造物で写真撮影の人気スポットです。この時は、自分以外は2人ほどの方が撮影されていましたが、時間に余裕がありましたので誰も被写体に入らないタイミングは数多くありましので気に入った角度や距離で存分に撮影できました。自撮りの台も置かれています。 このあとは、拝殿の中へ再び靴を脱いで入り、本殿におまいり。東西透廊に吊り下げられた灯籠が幾つも連なり美しい景色を作っていました。拝殿、本殿、その他の建造物自体の美しさはもとより、周辺の緑や花木との景色と融合して言葉に尽くせないくらいの風景をつくっていました。外国人にもとてもうけそうに思いましたがこの日は数人見かけただけ大半の観光客は日本人のようでした。 最後に、藤原鎌足お墓を参拝。雨の翌日などは足元は湿った枯れ葉で滑りやすいので、滑りにくい靴を履いておくなど注意が必要です。 これまで私が各地の建造物や史跡を巡った中でのあくまでも個人的な感想ですが、私の中では最上位に値する国内屈指のパワースポットとなりました。また必ず訪れます。
山口裕一

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