HTML SitemapExplore

Tanzan Jinja — Attraction in Asuka

Name
Tanzan Jinja
Description
Tanzan Shrine, also known as the Danzan Shrine, the Tōnomine Shrine and the Tōnomine Temple, is a Shinto shrine in Sakurai, Nara Prefecture, Japan. It is located 5km from Ishibutai Kofun.
Nearby attractions
Tanzan Jinja Jusanjunoto (Thirteen Story Pagoda)
432 Tonomine, Sakurai, Nara 633-0032, Japan
Nearby restaurants
Nearby local services
Mausoleum Hall
432 Tonomine, Sakurai, Nara 633-0032, Japan
Koyu Teahouse
319 Tonomine, Sakurai, Nara 633-0032, Japan
Goharetsuzan
Tonomine, Sakurai, Nara 633-0032, Japan
Goharetsuzan
Tonomine, Sakurai, Nara 633-0032, Japan
Nearby hotels
Tounomine Kanko Hotel
432 Tonomine, Sakurai, Nara 633-0032, Japan
Related posts
Keywords
Tanzan Jinja tourism.Tanzan Jinja hotels.Tanzan Jinja bed and breakfast. flights to Tanzan Jinja.Tanzan Jinja attractions.Tanzan Jinja restaurants.Tanzan Jinja local services.Tanzan Jinja travel.Tanzan Jinja travel guide.Tanzan Jinja travel blog.Tanzan Jinja pictures.Tanzan Jinja photos.Tanzan Jinja travel tips.Tanzan Jinja maps.Tanzan Jinja things to do.
Tanzan Jinja things to do, attractions, restaurants, events info and trip planning
Tanzan Jinja
JapanNara PrefectureAsukaTanzan Jinja

Basic Info

Tanzan Jinja

319 Tonomine, Sakurai, Nara 633-0032, Japan
4.3(1.5K)
Closed
ticket
Get
tickets
Save
spot

Ratings & Description

Info

Tanzan Shrine, also known as the Danzan Shrine, the Tōnomine Shrine and the Tōnomine Temple, is a Shinto shrine in Sakurai, Nara Prefecture, Japan. It is located 5km from Ishibutai Kofun.

Cultural
Outdoor
Family friendly
attractions: Tanzan Jinja Jusanjunoto (Thirteen Story Pagoda), restaurants: , local businesses: Mausoleum Hall, Koyu Teahouse, Goharetsuzan, Goharetsuzan
logoLearn more insights from Wanderboat AI.
Phone
+81 744-49-0001
Website
tanzan.or.jp
Open hoursSee all hours
Fri8:30 a.m. - 4:30 p.m.Closed

Plan your stay

hotel
Pet-friendly Hotels in Asuka
Find a cozy hotel nearby and make it a full experience.
hotel
Affordable Hotels in Asuka
Find a cozy hotel nearby and make it a full experience.
hotel
The Coolest Hotels You Haven't Heard Of (Yet)
Find a cozy hotel nearby and make it a full experience.
hotel
Trending Stays Worth the Hype in Asuka
Find a cozy hotel nearby and make it a full experience.

Reviews

Live events

Learn kawaii wagashi making near Nara deer park
Learn kawaii wagashi making near Nara deer park
Thu, Jan 29 • 4:00 PM
630-8393, Nara, Nara, Japan
View details
Nara Half Day Trip Walking Tour
Nara Half Day Trip Walking Tour
Fri, Jan 23 • 10:00 AM
630-8215, Nara, Nara, Japan
View details
Nara Park and Hidden Gems Walking Tour
Nara Park and Hidden Gems Walking Tour
Mon, Jan 26 • 9:30 AM
630-8214, Nara, Nara, Japan
View details

Nearby attractions of Tanzan Jinja

Tanzan Jinja Jusanjunoto (Thirteen Story Pagoda)

Tanzan Jinja Jusanjunoto (Thirteen Story Pagoda)

Tanzan Jinja Jusanjunoto (Thirteen Story Pagoda)

4.5

(76)

Closed
Click for details

Nearby local services of Tanzan Jinja

Mausoleum Hall

Koyu Teahouse

Goharetsuzan

Goharetsuzan

Mausoleum Hall

Mausoleum Hall

4.3

(18)

Click for details
Koyu Teahouse

Koyu Teahouse

4.6

(10)

Click for details
Goharetsuzan

Goharetsuzan

3.9

(8)

Click for details
Goharetsuzan

Goharetsuzan

3.9

(9)

Click for details
Get the Appoverlay
Get the AppOne tap to find yournext favorite spots!
Wanderboat LogoWanderboat

Your everyday Al companion for getaway ideas

CompanyAbout Us
InformationAI Trip PlannerSitemap
SocialXInstagramTiktokLinkedin
LegalTerms of ServicePrivacy Policy

Get the app

© 2025 Wanderboat. All rights reserved.

Reviews of Tanzan Jinja

4.3
(1,508)
avatar
5.0
4y

〇2022年11月16日。念願の「🍁紅葉のころ」に訪れることができました。 「全国旅行支援」事業が始められているのですが、平日でもあって「談山神社第1駐車場」の以外は、駐車場に空きスペースがあり、また、観光バスも全く見かけませんでした。

〇以前、訪れた時は「🍁紅葉のころ」ではなく、周りの木々は、まだ🌿青葉(新緑)でした。ただ、「紅葉」シーズン真っ盛りには、観光客がこの狭い谷間に押し掛けて乗用車が近づけないくらいに混雑するようなところです。 1.御祭神 御祭神は、藤原鎌足(ふじわらのかまたり)です。

2.藤原鎌足(Fujiwara-no-Kamatari) 藤原鎌足は、古代史の大きな事件の645年「乙巳の変(いっしのへん)=大化の改新」を中大兄皇子(なかのおおえのおうじ=のちの天智天皇(Tenji-Emperor))と起こした人物です。彼は元々、ヤマト王権の祭祀を忌部氏(いんべうじInbe-uji)と共に担った中臣氏(なかとみうじNakatomi-uji)の出身でした。そのためヤマト王権(Ancient -Government of YAMATO)では、政治を執り行う立場ではありませんでした。(UJI is the Japanes...

   Read more
avatar
5.0
1y

【2024年11月3日更新】 2024年4月訪問時の下掲口コミからの更新点は次の通りです。

・第1駐車場の駐車料金が同年4月訪問時は無料でしたが、同年11月1日から有料の定額500円に変わっていました。受付の方に秋のシーズンだけ有料ですか?と念のためお聞きしたところシーズンにかかわらず有料になると思われますとのことでした。因みに第5駐車場は500円が1000円に変わっていました。 ・藤原鎌足お墓の裏側は展望スポットになっています。同年4月訪問時は周辺の樹木で景色が隠されていましたが、同年11月2日訪問時は樹木が伐採されていて展望が開けている状況に様変わり。写真を載せておりますが当時は霧く大和平野を覆うように雲海が広がり遠くに生駒山系と二上山がみえ、中景は耳成山、藤原宮跡のみどりなど大和平野の美しい景色が観えました。余談ですが発掘品から藤原鎌足のお墓と推定されています大阪府高槻市の阿武山古墳から観える摂津、河内の風景が展開しこちらも絶景です。談山神社背後の御破裂山山頂の藤原鎌足墓の遺骨は摂津国安威から改葬されたとの言い伝えがあるとの事です。古代、中世といった日本の政治をリードした藤原氏の始祖に相応しい場所でお眠りしているんだなと想像が巡ります。 ・4月訪問時は拝殿と神廟拝所の2箇所に入れましたが、11月2日訪問時はこれら2箇所に加え、芸能の神様をお祀りしております権殿も入るいることができました。この時は写生作品の展示会場になっておりましたので特別に開放されていたのかもしれません。

【前回投稿内容...

   Read more
avatar
5.0
1y

I liked our visit at Tanzan Jinjia. It is a very quiet place surrounded by nature and located on the side of a small hill.

The ascent to the top is very peaceful and from there you will have a nice view. To get to the top the train in the forest is also a picturesque one. When we were there not many people were visiting which made it a better experience.

Close to the entrance there is a parking spot if you are coming with a car but we used the one located next to the convenience store which was free and empty considering that there were not many...

   Read more
Page 1 of 7
Previous
Next

Posts

✅ Kansai Travel Guide | Top 10 Must-Visit Love Shrines ❤️⛩️
pixel.craftpixel.craft
✅ Kansai Travel Guide | Top 10 Must-Visit Love Shrines ❤️⛩️
吉川康彦吉川康彦
〇2022年11月16日。念願の「🍁紅葉のころ」に訪れることができました。 「全国旅行支援」事業が始められているのですが、平日でもあって「談山神社第1駐車場」の以外は、駐車場に空きスペースがあり、また、観光バスも全く見かけませんでした。 〇以前、訪れた時は「🍁紅葉のころ」ではなく、周りの木々は、まだ🌿青葉(新緑)でした。ただ、「紅葉」シーズン真っ盛りには、観光客がこの狭い谷間に押し掛けて乗用車が近づけないくらいに混雑するようなところです。 1.御祭神 御祭神は、藤原鎌足(ふじわらのかまたり)です。 2.藤原鎌足(Fujiwara-no-Kamatari) 藤原鎌足は、古代史の大きな事件の645年「乙巳の変(いっしのへん)=大化の改新」を中大兄皇子(なかのおおえのおうじ=のちの天智天皇(Tenji-Emperor))と起こした人物です。彼は元々、ヤマト王権の祭祀を忌部氏(いんべうじInbe-uji)と共に担った中臣氏(なかとみうじNakatomi-uji)の出身でした。そのためヤマト王権(Ancient -Government of YAMATO)では、政治を執り行う立場ではありませんでした。(UJI is the Japanes clan.) 彼は、遣唐使に伴われて唐から帰国した留学生・留学僧の影響を受けたと言われています。大陸に誕生した巨大な中央集権の帝国(唐)が支配力を強める中で、周辺の国々で起こった政治体制の整備の動きに連動しての動きだと考えられています。 ヤマト王権の他の氏族との軋轢(あつれき)の中で中大兄皇子と大海人皇子(おおあまおうじ)を支えて政治改革の「大化の改新」を行ったと伝えられます。 ※蘇我馬子(そがのうまこ)の墓と言われる飛鳥の「石舞台古墳」に近い、こんなところで、645年「乙巳の変(いっしのへん)=大化の改新」を起こし、蘇我入鹿(そがのいるか)を討つという危険な相談をしていたとは到底思えません。「談山」とは、相談をしていたという意味ですが、ひそひそ声が周りの山に反響しそうな狭い谷間の場所です。 3.おこり 中臣鎌足(なかとみのかまたり)は、669年大津宮(おおつのみや=近江京)に遷都していた王権の関係で、山科(やましな=京都市山科区)での猟(りょう)で落馬、背中を強打し、背骨を折ったと伝わります。これが原因で亡くなったとされます。死の床にあった彼を見舞った天智天皇より、最高位の官職を示す「大職冠(だいしょくかん)」の冠と姓(かばね)「藤原」を賜ったとされます。 息を引き取った鎌足の遺骸は、殯(もがり)が開けた後に、仮埋葬が飛鳥で行われた後、中臣氏ゆかりの「安威」(あい=大阪府茨木市安威)の山に本埋葬されたと伝わります。 その後、678年に唐への留学を終えて、帰国した鎌足の長子(一番歳上の息子)の僧の定慧(じょうえ=定恵)が、天智天皇に勧められて、埋葬地の「摂津国三嶋郡安威山(つのくにのみしまのこおりのあいやま)」より、この地へ改葬したのが始まりとされます。 4.神社名 「談山神社(たんざんじんじゃ)」という名前は、古代に始まる日本の神社名としては奇妙な名前です。 神社の名前のルールでは、漢字で名前を書いていても「訓読み(くんよみ)」という和語(日本語)であるはずです。大阪市内の「坐摩神社(いかすりじんじゃ)」、京都市内の「上賀茂神社(かみがもじんじゃ)=賀茂別雷神社(かものわけいかづちかみのやしろ)」のようになるものです。 しかし、「談山神社(たんざんじんじゃ)」は中国語風の「音読み(おんよみ)」ばかりです。 それには、理由があります。 1867年の「明治維新」で生まれた新政府が、国学(こくがく)の平田篤胤(ひらたあつたね)の流れを汲む「平田派神道」の一派の影響を受けて「国家神道」を創設して、政治の中に「国家神道」を組み込んでしまったのです。 そのため、日本の神と仏教とが共生する「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」によって、神社と仏教寺院とが一つになっていたものを無理やり引き離す「蛮行(ばんこう=野蛮な行為)」を行ったのです。 やむなく、各神社・寺院は、どちらかになる選択を行ったわけです。(因みに江戸時代までの天皇は「仏教徒」です。) 「談山神社」は僧定慧が父の墓所として開いたわけですから本来は仏教寺院であり「多武峰(とうのみね)妙楽寺(みょうらくじ)」となっていたものです。それを仏教を捨てさせて、僧侶を神官に変わらせて「談山神社」としたものです。 (他の「音読み」の神社の多く、「明治神宮(めいじじんぐう)」「平安神宮(へいあんじんぐう)」も、明治以後の創設です。) ※近年、近くに新しく開基した仏教寺院が「妙楽寺」を名乗ったと報じられました。 歴史ある名前を「乗っ取り」されることになりました。 神社として、「使用していない」名前の使用を差し止めることは困難です。宗教法人「神社本庁」や「神道」を支援するという人たちも手出しできません。「歴史の過ち」です。 5.貴人の墓 私は、本物の「藤原鎌足の墓」だと言われる「貴人の墓」のある山の山裾に住んでいるものですから、一度は訪ねたいと思っていました。 鎌足の長子の僧定慧が、唐からの帰国後に、天智天皇に勧められて父の墓を訪ねたという「阿威山(あいやま)」は、摂津国安威郷(つのくにのあいのごう=茨木市安威)には、存在しません。 現在、安威地区の山(丘陵)の一つに「大職冠神社(だいしょくかんじんじゃ)」があります。石の鳥居には、子孫の藤原氏の建立したものと刻まれています。 しかし、そこには鎌足の時代より、かなり古い時代の古墳の石室がむき出しにあるだけです。古墳時代が終わってからの藤原鎌足とは時代が合いません。 鎌足は、蘇我氏を討つために、奈良の飛鳥(あすか)を辞して、三島の地(大阪府北部)に隠居生活を行っていたといいます。三島の太田の地には、中臣太田連氏(なかとみのおおだのむらじうじ)が住んでいたり、安威には、鎌足の一族の中臣藍連氏(なかとみのあいのむらじうじ)が住んでいましたので、関係は深いと思います。(安威地区を流れる安威川から「五社井堰(ごしゃいせき)=小型のダム」で水を取り入れた「五社井路(ごしゃせいろ)」という用水路が太田地区へと流れています。) ですから、その付近の山ということになります。 「藤原鎌足」の墓のありかがあいまいに定慧に伝わったのには理由があります。鎌足が亡くなった後の672年「壬申の乱」がおこり、ヤマト王権に大混乱が起こります。鎌足の嗣子である藤原不比等(ふじわらのふひと)はこの時14歳にしかなっていなくて、文字で王権に仕えた渡来系の東漢(やまとのあや)氏の系統の田辺史(たなべのふひと)氏の田辺史氏大隅の庇護を受けていました。藤原氏はまだ有力貴族ではありませんでした。(そのため「不比等」を「史」と書く例もあります) 「貴人の墓」のある山は、安威地区の東側の川を隔てた地区を見下ろすところにそびえており、名を「阿武山(あぶやま)」と言います。この山の山頂を少し尾根に沿って南に下った付近にある墳丘を持たない質素な円墳から、「玉枕(ぎょくちん=緑色や藍色のガラス玉を糸で連ねてつくった枕)」をして、傍らには金糸の刺繍を施した布の「冠(「大職冠」?)」を持つ男性の遺体が「莢宁棺(きょうちょかん=棺の各面が籠編みになっていて表面を漆塗りにしてある棺)」に納められていたのが確認されています。 京都大学に残っている当時のX線写真によると背骨に骨折が見られて「落馬事故」が原因で亡くなったといわれる点も合致して、真の「藤原鎌足」の墓と見られています。
Your browser does not support the video tag.
901 Kohrista901 Kohrista
大化の改新で有名な中臣鎌足(藤原朝臣鎌足)をご祭神に祀る寺院です。 大化の改新で中大兄皇子と蘇我氏を滅ぼす算段をココ談山でおこなったことから談山神社と言われるようですが、中臣鎌足が死に息子が供養の為に建てた十三重塔は見事な雰囲気を醸し出してました。 本殿も参拝しぐるっと廻って下りる途中にある中臣鎌足像が無造作に置かれた神廟拝所と呼ばれる建物は、重要文化財なのになにか親近感持てるお堂でした。 これまた無造作に置かれた運慶作と伝わる狛犬もおわします。 ゆっくり歴史のいぶきを感じながら参拝できる素晴らしい神社でした。
See more posts
See more posts
hotel
Find your stay

Pet-friendly Hotels in Asuka

Find a cozy hotel nearby and make it a full experience.

✅ Kansai Travel Guide | Top 10 Must-Visit Love Shrines ❤️⛩️
pixel.craft

pixel.craft

hotel
Find your stay

Affordable Hotels in Asuka

Find a cozy hotel nearby and make it a full experience.

Get the Appoverlay
Get the AppOne tap to find yournext favorite spots!
〇2022年11月16日。念願の「🍁紅葉のころ」に訪れることができました。 「全国旅行支援」事業が始められているのですが、平日でもあって「談山神社第1駐車場」の以外は、駐車場に空きスペースがあり、また、観光バスも全く見かけませんでした。 〇以前、訪れた時は「🍁紅葉のころ」ではなく、周りの木々は、まだ🌿青葉(新緑)でした。ただ、「紅葉」シーズン真っ盛りには、観光客がこの狭い谷間に押し掛けて乗用車が近づけないくらいに混雑するようなところです。 1.御祭神 御祭神は、藤原鎌足(ふじわらのかまたり)です。 2.藤原鎌足(Fujiwara-no-Kamatari) 藤原鎌足は、古代史の大きな事件の645年「乙巳の変(いっしのへん)=大化の改新」を中大兄皇子(なかのおおえのおうじ=のちの天智天皇(Tenji-Emperor))と起こした人物です。彼は元々、ヤマト王権の祭祀を忌部氏(いんべうじInbe-uji)と共に担った中臣氏(なかとみうじNakatomi-uji)の出身でした。そのためヤマト王権(Ancient -Government of YAMATO)では、政治を執り行う立場ではありませんでした。(UJI is the Japanes clan.) 彼は、遣唐使に伴われて唐から帰国した留学生・留学僧の影響を受けたと言われています。大陸に誕生した巨大な中央集権の帝国(唐)が支配力を強める中で、周辺の国々で起こった政治体制の整備の動きに連動しての動きだと考えられています。 ヤマト王権の他の氏族との軋轢(あつれき)の中で中大兄皇子と大海人皇子(おおあまおうじ)を支えて政治改革の「大化の改新」を行ったと伝えられます。 ※蘇我馬子(そがのうまこ)の墓と言われる飛鳥の「石舞台古墳」に近い、こんなところで、645年「乙巳の変(いっしのへん)=大化の改新」を起こし、蘇我入鹿(そがのいるか)を討つという危険な相談をしていたとは到底思えません。「談山」とは、相談をしていたという意味ですが、ひそひそ声が周りの山に反響しそうな狭い谷間の場所です。 3.おこり 中臣鎌足(なかとみのかまたり)は、669年大津宮(おおつのみや=近江京)に遷都していた王権の関係で、山科(やましな=京都市山科区)での猟(りょう)で落馬、背中を強打し、背骨を折ったと伝わります。これが原因で亡くなったとされます。死の床にあった彼を見舞った天智天皇より、最高位の官職を示す「大職冠(だいしょくかん)」の冠と姓(かばね)「藤原」を賜ったとされます。 息を引き取った鎌足の遺骸は、殯(もがり)が開けた後に、仮埋葬が飛鳥で行われた後、中臣氏ゆかりの「安威」(あい=大阪府茨木市安威)の山に本埋葬されたと伝わります。 その後、678年に唐への留学を終えて、帰国した鎌足の長子(一番歳上の息子)の僧の定慧(じょうえ=定恵)が、天智天皇に勧められて、埋葬地の「摂津国三嶋郡安威山(つのくにのみしまのこおりのあいやま)」より、この地へ改葬したのが始まりとされます。 4.神社名 「談山神社(たんざんじんじゃ)」という名前は、古代に始まる日本の神社名としては奇妙な名前です。 神社の名前のルールでは、漢字で名前を書いていても「訓読み(くんよみ)」という和語(日本語)であるはずです。大阪市内の「坐摩神社(いかすりじんじゃ)」、京都市内の「上賀茂神社(かみがもじんじゃ)=賀茂別雷神社(かものわけいかづちかみのやしろ)」のようになるものです。 しかし、「談山神社(たんざんじんじゃ)」は中国語風の「音読み(おんよみ)」ばかりです。 それには、理由があります。 1867年の「明治維新」で生まれた新政府が、国学(こくがく)の平田篤胤(ひらたあつたね)の流れを汲む「平田派神道」の一派の影響を受けて「国家神道」を創設して、政治の中に「国家神道」を組み込んでしまったのです。 そのため、日本の神と仏教とが共生する「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」によって、神社と仏教寺院とが一つになっていたものを無理やり引き離す「蛮行(ばんこう=野蛮な行為)」を行ったのです。 やむなく、各神社・寺院は、どちらかになる選択を行ったわけです。(因みに江戸時代までの天皇は「仏教徒」です。) 「談山神社」は僧定慧が父の墓所として開いたわけですから本来は仏教寺院であり「多武峰(とうのみね)妙楽寺(みょうらくじ)」となっていたものです。それを仏教を捨てさせて、僧侶を神官に変わらせて「談山神社」としたものです。 (他の「音読み」の神社の多く、「明治神宮(めいじじんぐう)」「平安神宮(へいあんじんぐう)」も、明治以後の創設です。) ※近年、近くに新しく開基した仏教寺院が「妙楽寺」を名乗ったと報じられました。 歴史ある名前を「乗っ取り」されることになりました。 神社として、「使用していない」名前の使用を差し止めることは困難です。宗教法人「神社本庁」や「神道」を支援するという人たちも手出しできません。「歴史の過ち」です。 5.貴人の墓 私は、本物の「藤原鎌足の墓」だと言われる「貴人の墓」のある山の山裾に住んでいるものですから、一度は訪ねたいと思っていました。 鎌足の長子の僧定慧が、唐からの帰国後に、天智天皇に勧められて父の墓を訪ねたという「阿威山(あいやま)」は、摂津国安威郷(つのくにのあいのごう=茨木市安威)には、存在しません。 現在、安威地区の山(丘陵)の一つに「大職冠神社(だいしょくかんじんじゃ)」があります。石の鳥居には、子孫の藤原氏の建立したものと刻まれています。 しかし、そこには鎌足の時代より、かなり古い時代の古墳の石室がむき出しにあるだけです。古墳時代が終わってからの藤原鎌足とは時代が合いません。 鎌足は、蘇我氏を討つために、奈良の飛鳥(あすか)を辞して、三島の地(大阪府北部)に隠居生活を行っていたといいます。三島の太田の地には、中臣太田連氏(なかとみのおおだのむらじうじ)が住んでいたり、安威には、鎌足の一族の中臣藍連氏(なかとみのあいのむらじうじ)が住んでいましたので、関係は深いと思います。(安威地区を流れる安威川から「五社井堰(ごしゃいせき)=小型のダム」で水を取り入れた「五社井路(ごしゃせいろ)」という用水路が太田地区へと流れています。) ですから、その付近の山ということになります。 「藤原鎌足」の墓のありかがあいまいに定慧に伝わったのには理由があります。鎌足が亡くなった後の672年「壬申の乱」がおこり、ヤマト王権に大混乱が起こります。鎌足の嗣子である藤原不比等(ふじわらのふひと)はこの時14歳にしかなっていなくて、文字で王権に仕えた渡来系の東漢(やまとのあや)氏の系統の田辺史(たなべのふひと)氏の田辺史氏大隅の庇護を受けていました。藤原氏はまだ有力貴族ではありませんでした。(そのため「不比等」を「史」と書く例もあります) 「貴人の墓」のある山は、安威地区の東側の川を隔てた地区を見下ろすところにそびえており、名を「阿武山(あぶやま)」と言います。この山の山頂を少し尾根に沿って南に下った付近にある墳丘を持たない質素な円墳から、「玉枕(ぎょくちん=緑色や藍色のガラス玉を糸で連ねてつくった枕)」をして、傍らには金糸の刺繍を施した布の「冠(「大職冠」?)」を持つ男性の遺体が「莢宁棺(きょうちょかん=棺の各面が籠編みになっていて表面を漆塗りにしてある棺)」に納められていたのが確認されています。 京都大学に残っている当時のX線写真によると背骨に骨折が見られて「落馬事故」が原因で亡くなったといわれる点も合致して、真の「藤原鎌足」の墓と見られています。
吉川康彦

吉川康彦

hotel
Find your stay

The Coolest Hotels You Haven't Heard Of (Yet)

Find a cozy hotel nearby and make it a full experience.

hotel
Find your stay

Trending Stays Worth the Hype in Asuka

Find a cozy hotel nearby and make it a full experience.

大化の改新で有名な中臣鎌足(藤原朝臣鎌足)をご祭神に祀る寺院です。 大化の改新で中大兄皇子と蘇我氏を滅ぼす算段をココ談山でおこなったことから談山神社と言われるようですが、中臣鎌足が死に息子が供養の為に建てた十三重塔は見事な雰囲気を醸し出してました。 本殿も参拝しぐるっと廻って下りる途中にある中臣鎌足像が無造作に置かれた神廟拝所と呼ばれる建物は、重要文化財なのになにか親近感持てるお堂でした。 これまた無造作に置かれた運慶作と伝わる狛犬もおわします。 ゆっくり歴史のいぶきを感じながら参拝できる素晴らしい神社でした。
901 Kohrista

901 Kohrista

See more posts
See more posts