小野神社(おのじんじゃ)。神奈川県厚木市小野。
式内社(小)、旧郷社。
主祭神:日本武命、天下春命
資料によると、 小野神社の小野は地名を意味し、祭神は知々夫国造の祖、天下春命を祀つたと考えられる。 古事記に、「さねさし相摸の小野に燃ゆる火の火中に立ちて、問ひし君はも」とある「相摸の小野」は当地のことだと伝える。 中世「閑香大明神」と称していた。「カンカ」とも読まれるが本来は「アヰコウ」と訓み、 愛甲郡の明神の意味であろう。 日本武尊が祭神となるのは閑香大明神から小野神社へと社号を改めた明治の初年頃と考えられる。 もと南西400mの「神(上とも)の山」に鎮座していたといい、現在頂上に秋葉神社の小祠を祀つている。 嘉永初年頃(あるいは文政の終)に現在地に遷座。
扁額に現在も残っている「閑香大明神(あいこうだいみょうじん)」は江戸時代に称していた名で、小野の「閑香さま」と一般には呼ばれていた。江戸時代に編纂された『新編相模国風土記稿』からは、当時の社名が「閑香大明神」、祭神は「下春命」であったことがうかがえる。祭神が現在の日本武命となったのは明治時代に入ってからで、「日本武尊が東国に遠征する際に野火の焼きうちにあった」という『古事記』の記述の地が、小野と関係するとされたことによる。 とあります。
参考として、 小野神社と言えば、隣国の武蔵国で武蔵国一宮を称する東京都多摩市一ノ宮に鎮座する小野神社を思い浮かべる。 そちらの小野神社のところでは、 小野神社につては、兄武日命がこの地の国造となり、天下春命を御祖神として奉斎したとあり、兄武日命は兄多毛比命で、その児とされる4人が、胸刺(武蔵)、波伯(鳥取西部)、大嶋(周防大島)、菊麻(上総市原菊間)の国造に任じられています。 ヤマトタケルと関東東北を平らげた後、随行していたタケヒが胸刺(武蔵)の国造となり、 「兄多毛比」とは「大伴武日」のこと、と推定...
Read more小野宮前というバス停から、徒歩3-5分で到着します。 小さな神社ですが歴史はとても古いようです。 周辺には川が流れていたり、遠くの方に丹沢の山々が見えたりして、晴れた日はのどかな雰囲気です。 歩くのが好きな方で、石段を昇るのも苦にならない方は、小町神社や、子安神社(小野地区の)と一緒に訪れても楽しいと思います。 小町神社を参拝するには、小町緑地のハイキングコースの一部になっている石段を結構昇る必要があります。 子安神社は、石段はそれほど長くありませんが、小野神社からだと1キロ弱歩きます(小野橋というバス停からだともう少し近いかもしれませんが)。 境内や周囲に自販機等は無いので、暑い時期に小町神社または子安神社に行かれる方は飲み物等用意した方がよいかもしれません。 小野宮前(バス停)の近くにはコンビニと複数の飲食店があります。 小野宮前を通る路線は、小田急の丹沢・大山フリーパスの乗り降り自由エリアに含まれています。 このフリーパスで行けるエリアの神社・仏閣は、大山阿夫利神社と大山寺はもちろん、比々多神社、日向薬師、飯山観音、蓑毛バス停近くのお寺など色々あり、神社・仏閣が好きな方にとってはすごく楽しいと思います。有効期間も購入...
Read more927年に京都でまとめられ書かれた神名牒の 延喜式 にこの神社名が載っている、という。 古い神社といえる。
❷【参考 神奈川県神社誌 1981年】
小野神社 (1981年のこの神社の紹介文となる)
徳川家康公の帰依による愛甲郡の総鎮守であったという。 殊に愛甲三郎季隆 厚く崇敬して、祖の子孫もまた度々参詣におよんでいる。 としている。
[鎮座地] 厚木市小野428 [祭神] 日本武尊 [境内社] 春日神社(天児屋根命) 阿羅波娑神社(あらはばき神社)(天下春命・小野神社の本来の祭神であった、という) ❶【参考 新編相模風土記稿 1830年】
閑香明神社(かんか明神社) (江戸の頃の紹介文となる)
小野村の鎮守である。 延喜式(えんぎしき)に載っている 小野神社 である。 祭神 下春命という。神体は木像。本地仏の薬師如来を安置し、阿羅婆娑枳(あらはばき)、春日の2座を合殿としている。
天正19年(1591年)2石5斗の御朱印を賜る。
[鎮座地] 小野村 [例祭日] 8月12日 [末社] 大六天 稲荷 淡島 金比羅...
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