The food at the small soba udon shop across from Horinji Temple was excellent. I arrived there on foot on a December day with cold windy weather, but that nice soba perked my right up. That's how I remember where I took the photo and later made a...
Read more第9番札所 正覚山 菩提院 法輪寺 (しょうかくざん ぼたいいん...
Read more駐車場も広くて階段もないお寺さんです。 道もメッチャ狭いわけでもなく、対向車に気をつけるぐらいかな。
【法輪寺の歴史・由来】 鐘楼 古くは「白蛇山法林寺」と称され、現在の地より北4キロほど山間の「法地ヶ渓」にあって、壮大な伽藍を誇っていたと伝えられる。その礎石や焼土がのこっており、これは天正10年(1582)の戦乱のさいに長宗我部元親による兵火で焼失した遺跡である。縁起によると、弘法大師がこの地方で巡教されていたときの弘仁6年、白蛇を見つけた。白蛇は仏の使いであるといわれていることから、大師は釈迦の涅槃像を彫造し、本尊として寺を開基したとされている。涅槃釈迦如来像は、北枕でお顔を西向きに、右脇を下に寝ている涅槃の姿を表しているが、そばの沙羅双樹は白く枯れ、釈迦を慕い嘆き悲しむ羅漢や動物たちの像も安置されている。開帳は5年に1度で、最近では平成14年2月15日に行われた。
現在地に移転し、再建されたのは正保年間(1644〜48)で、当時の住職が「転法林で覚をひらいた」とされ、山号と寺名をいまの「正覚山法輪寺」と改めた。しかし、安政6年(1859)にまたしても罹災している。これは村人が浄瑠璃芝居の稽古をしていた際に、堂内から出火したと伝えられ、鐘楼堂だけを残して全焼した。明治時代になって再建されたのが現在の堂塔である。寺宝に「弘法大師御おころも衣」が伝えられている。高野山奥の院で入定されている御衣替えの恒例にちなんで、明治15年(1882)、明治天皇が法輪寺に下賜されたも...
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