第7番札所 光明山 蓮華院 十楽寺 (こうみょうざん れんげいん...
Read more四国遍路7番札所「十楽寺」は、徳島県阿波市の東に位置する。6番札所の安楽寺からわずかに西進するとたどり着く。 この地に留錫された弘法大師(空海)は、阿弥陀如来様を感得し、傍に樹齢何年かは定かではないが、太さが110センチ以上あろうかという御神木の楠に、国家安泰を祈念して阿弥陀如来様を刻まれ、御本尊として安置したのが寺のはじまり。 人間のもつ八つの苦難(生・老・病・死・愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦)を離れ、十の光明に輝く楽しみが得られるようにと、寺号を光明山十楽寺とした。 そのころは現在地から離れた十楽谷の奥に広大な伽藍を擁していたが、天正年間の長曽我部元親の兵火ですべてを焼失した。この時の住職が本尊を背負い、弟子に経本を背負わせて避難させようとしたが、火に包まれ、経本も焼失し現在そのあとが経塚として残っている。御本尊阿弥陀如来様を現在の土成町まで命からがら運んで来て、寛永十二年に十楽寺が再建された。 本堂は明治に再建されたが、その後、平成4年に本堂が新たに落慶した。脇仏の勢至菩薩様と観音菩薩様は鎌倉時代の作とされている。御本尊阿弥陀如来様は秘仏の為一般公開していない。 十楽御詠歌 人間の八苦を早くはなれなば いたらんかたは九品(くぼん)十楽 納経所がある宿坊の建物も美しい白さが際立って清潔感があります。 ここをあとにすると、8番札所へは西へ進みな...
Read more立派な門のあるお寺さんです。 手入れもよく気持ち良かったです。
【十楽寺の歴史・由来】 山門 寺は現在地から北3キロほど奥の十楽寺谷の堂ヶ原にあったと推定される。大同年間に弘法大師がこの地を巡教して逗留されたときに阿弥陀如来を感得し、如来像を刻んだのが本尊として祀られたと伝えられている。その際に、大師は生・老・病・死など人間として避けることのできない苦難に、10の光明と、輝く楽しみが得られるようにと「光明山十楽寺」の寺名を授けたといわれる。 創建からしばらくは、阿波の北方きっての広大な七堂伽藍を誇っていたが、天正10年(1528)長宗我部元親による兵火で、すべての堂塔が焼失した。幸い、本尊は時の住職が背負い難を免れたという。寛永12年(1635)に現在の地に移り、再建された。
竜宮門 明治時代になり本堂が再建され、本格的な大師堂、書院などを整え、さらに平成6年には立派な木造の本堂を建立している。本堂左前にある「治眼疾目救済地蔵尊」は、古くから眼病、失明した人たちの治療に霊験があるとされ、眼病に悩むお遍路さんの参詣が多い。尊像の前には熱心に祈る人の姿がよく見られ、信仰者のなかには、開眼したという例も数多く伝えられている。四国霊場には、24番最御崎寺、39番延光寺の目洗い井戸、52番太山寺の一畑薬師など、目の不自由なお遍路さんの祈願所が多く、霊験の力をお祈...
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