安曇追分駅で下車。駅前にあるレンタサイクルを借り、いざ踏切を越え、一直線に道を上る。道中は田んぼのさざなみに癒され、進む。やや勾配がキツくなってきたなあ、と思い始めた頃、周りは木立に覆われていく。そして鳥居との遭遇。徐々に近づいていることに感謝し、これをくぐると更なる上り道。しばらくして突き当たりに出くわす。有明霊社なる神社と出くわす。グーグルマップを開くと此処より右に折れるとのこと。工事中なのか片側交互通行の橋(ここで安曇川の急流を目にできます)を過ぎ、看板を頼りに右折すると、目的地の有明山神社にたどり着くことが出来ました。北アルプスの中でも一つだけ特異な形をしている有明山をご神体とする社で、苦労して来たためか、ひときわ霊験あらたかなものを感じました。殊に日光東照宮の陽明門を模して明治期に造営されたという裕明門の精美な彫刻と天井画には時を忘れて眺めてしまいました。くぐると吉運となる招福の石の穴は身体の硬い私には無理でした。楽しみの一つと考えていたお蕎麦屋さんが休業していたのが残念でしたが、期待以上のパワースポットであ...
Read more有明山を御神体とする山岳信仰の神社で、本宮(里宮)のほか、有明山山頂(中岳・南岳)に奥大宮がある。
祭神は、手力雄命(力)、八意思兼命(知)、大己貴命(財力)、天照大神(総親神)、天鈿女命(和)(舞)、金毘羅権現(交通安全)。
戸隠神社の影響を受け、有明山は天岩戸に隠れた天照大神の岩戸を手力雄命が開け投げ飛ばしたところ天下が明るくなり山になったとの伝説が流布され、社伝では孝元天皇5年(紀元前210年)に戸放権現を勧請し、社殿が造営され後に有明山神社と呼ばれるようになったと伝えられている。
延暦24年(805)、安曇郡に巣くい悪事を繰り返した八面大王を掃討するため当地に派遣された坂上田村麻呂が戦勝祈願を行い、見事念願成就した事から、八面大王を討った宝刀が納められたと伝えられている。
日光東照宮の陽明門に模して建てられた神門は、唐風八脚門、別名「信濃日光裕明門」とも呼ばれ、十二支、二十四孝などを彫刻師清水寅吉が掘彫り、格天井絵は村田香谷が画き、手水舎は山口權之正作の建物で、神楽殿と共にそれぞれ安曇野市...
Read moreSuch a great place to go and visit. The wood craftsmanship was superb. I loved how peaceful and quiet it was being up in the...
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