2025·R7.9.6 初訪問の予定でしたが、ナントまさかの"立入禁止"でした。2日前の9月4日に熊が出没したとのことで、表参道も裏参道もダメ、仕方がないので二風谷コタン方面はしっかり見学するとして、こちらは"要リベンジ"です。 ちなみに、北海道神社庁HPの"義経神社の由来"として、「寛政10年(1790)(和西暦不整合ですけど"原文ママ")の頃、幕府巡検使近藤重蔵は、この地の先住民達が、源九郎判官義經公を慕い神と敬仰しているのを知り、小祠をハヨピラの巌峰に祀り、後に江戸神田住大仏工法橋善啓に公の尊像1体を彫らしめ奉安(背面に寛政11年巳末4月28日、近藤重蔵藤原守重、比企市良右衛門藤原可滿の彫あり)。明治9年2月村社列格。[-中略-]同34年水害のためホンスマンナに社殿造営。[−中略−]大正9年8月15日社殿造営。[−中略−]昭和16年3月25日郷社列格、同年10月10日義經社を義經神社に変更。[−中略−]同36年8月15日現社殿造営。···」となっていますが、この「この地の先住民達が、源九郎判官義經公を慕い神と敬仰しているのを知り、···」という点については別の見方があるようです。それは、元々この地の先住民の方達は「オキクルミ」を祖神として尊崇していたのに、その事を近藤重蔵にうまく説明できず、よく理解できなかった近藤重蔵が勝手に...
Read more源 義経(牛若丸)の北海道伝説を伝える、貴重な拠点です。
800年も前の事だから、証拠が残るのは不可能に近いが、アイヌの人が口伝で伝えてくれ『平取』だけは残っているようなのでぜひ訪れたいものです。
慣れない土地で生きるには、アイヌの人に 色々お世話になった事でしよう。 その
ーーーーーーーーーー 鎌倉時代 源 頼朝 室町時代 足利尊氏 江戸時代 徳川家康 と
江戸時代まで『清和源氏』でなければ 将軍になれない慣習があるほど 将軍を出した『清和天皇の末裔の源氏』。
義経は、若いのに強すぎて 兄、頼朝の側近がねたみ、悪口炎上させ 殺す命令がでてしまい『平泉』他、二度も 死んだ報告がされているのに 『義経が援軍連れて復讐に来る❗』と 関東のサムライをびびらせたサムライ。 (つまり死んだ決定的な証拠が怪しい)
平取だけは残っている
ロシアのウラジオストクには 義経の家紋『笹りんどう』(清和源氏) がある建物が残っていたり。
中国のモンゴル近くには 『判官(はんがん)』名前の河岸公園があり、昔は弁慶のような僧侶の巨大像があつたと言われ
その道の先には
『成吉思汗(ジンギスカン)』名の駅や、墓や、史跡がある。
これは中国語には? だが、平安貴族の歌なら 「私は成功した❗そして水干を思う」と読め、 水干は巴御前白拍子の衣装です。
何ともロマンある 訪れたい サムライロードじゃないですか?❗
ちなみに、ジンギスカンを フランス語イタリア語では 「geng is kan」≒源氏の王 の意味となる。
【義経の強さ】 義経は「牛若丸」だつた子供時代、 サナートクマラが地球上で最初に降りた有名な霊山『鞍馬山』で天狗相手に修行した強者。
おじさんも源...
Read more2024.02.24 ・太くて大きい鳥居が目を引きます。つなぎ目の感じがタケノコの節を連想するのは私だけでしょうか・・参道から階段が続いていて社殿は見えません。 ・階段に御神燈が飾られとても綺麗です。でもかなり長い階段が続いています。 ・社殿の手前左手に手水舎がありますが、茅葺きのとても趣のある屋根です。 ・社殿は屋根が黒く、重厚感があります。奉納された提灯がたくさん飾られています。入口には茅の輪くぐりが置かれています。実物を見たのは初めてです。 ・社殿の中です。ピンクの怪しいネオンが点いているのではなく、カーペットの赤が影響してなんとなくピンクに写ってしまいました。天井も高く綺麗に飾られ立派な祭殿です。 ・社殿の入口には授与所がありました。色々なものを取り扱っています。 ・授与所には、御朱印について色々と説明が書かれています。本日は宮司不在のため、書き置き御朱印は送料込みで初穂料1,000円とのこと。住所等を書いた袋にお金を入れて賽銭箱に投函するようです。 ・書き置き御朱印を依頼したところ、2週間くらい経って送られてきました。馬産地日高らしく躍動する馬のスタンプ、アイヌ文様という御朱印。カムイ義経と書かれています。個性的でオリジナル感が強い御朱印です。 ・参拝した2月24日は初午祭で、私たちの参拝前に。寒中みそぎや矢刺しの神事などが神社で行われたと、後で知りました。時間が合えば是非見たかったです。それで、綺麗に御神燈が飾られていたり、茅の輪くぐりがあったのでしょうか?ホントのところはよくわかりませんが、神社の綺麗な景色や貴重な体験をさせていただきました...
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