皆さんの眺望の良さに惹かれて行ってみました。最初、駐車場からの道を誤り、左側の舗装路を進んでしまい、倒木やら水の流れる箇所を越え進み行きましたが、行き止まり。ほぼ駐車場まで戻り、暑さと疲れ、コース間違いのショックから気を取り直し、再度上りましたが、その甲斐がありました。絶景かな、絶景かな。南は関空の連絡橋から淡路島、明石海峡大橋、南港の咲洲庁舎、港大橋、あべのハルカス、かろうじて大阪城まで見えました。 というのも、双眼鏡を持ち合わせていたので。でも、その際に撮った写真にも写っていました。NHK大阪ホールのベージュの建物から少し右、多分帝国ホテルの建物の右下あたりに、緑青の緑がかった三角の天守と下層の屋根が写っていました。天気と運が良ければ見えます。誰も来ず、貸し切り状態だったので、思い切り堪能できました。もう一度来てみたいです。※追記:駐車場を背にして、右側に案内の看板がありますので、そちらを登ります。くれぐれも、私のようにお間違えの無いようにお気をつけください。(案内板が草で...
Read more上赤坂城は、日本の城。「上赤阪城」と書くこともある。別名、楠木城。小根田城、桐山城とも言う。楠木七城の一つ。
元弘の乱の主要な舞台となった。元弘2年(1332年)の正成再挙兵後、新たに築いた当城が楠木氏の城の一つとなり、幕府軍に対抗した。元弘3年/正慶2年に発生した上赤坂城の戦いでは、平野将監入道と楠木正季が、鎌倉幕府の阿蘇治時・長崎高貞・結城親光らと戦った。閏2月1日に上赤坂城は落城したものの、幕府軍を苦しめ、千早城で発生した千早城の戦いと合わせて、元弘の乱での後醍醐天皇勝利に大きく貢献した。
周辺の金剛山の尾根上には下赤坂城とともに猫路山城・国見山城・枡形城等の出城が築かれており、赤坂城塞群を形成していた。この城塞群は南北朝期にも南朝方の拠点となったが、延文5年/正平15...
Read more国指定史跡楠木城跡(上赤阪城跡) 鎌倉時代から南北朝時代に存在した中世山城で、楠木正成の本城であった。上赤阪城とも呼ばれており、遺構としては横堀と曲輪が残っています。 城は大きく分けて西側の本丸と東側の二の丸から形成され周囲に曲輪が連なっているのがわかります。 本丸には石碑があり眺望が開けています。 昭和9年(1934年)国の史跡に指定され登山道も整備されていますが、2021年5月現在では草が伸び放題になっています。 【アクセス】 給食センター南に入ると登山口があり、その前に数台の駐車スペースがあります。 #お城 #城 #城跡 #山城 #城巡り #大阪府 #千早赤阪村 #楠木城 #楠木城跡 #上赤阪城...
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