鷲尾城(わしおじょう) ここは戦国時代に倉科氏の居城として知られています。築城時期は明確ではありませんが、倉科氏は信濃村上氏の庶流とされ、埴科郡坂城町を中心に北信濃で勢力を持っていました。
のにの武田信玄の信濃侵攻により倉科氏は城を追われ、安曇野へと逃れたと伝えられています。その後、鷲尾城は武田氏によって善光寺平を守る支城・砦として改修され、川中島城塞群の一つとして、鞍骨城主・清野氏(長野県水内郡)の属城として存続していたと推測されています。
1598年(慶長3年)に清野周防守長範が上杉景勝の会津移封に従った際に廃城となったと考えられています。
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Read more鷲尾城跡 千曲市倉科にある標高520m(比高160m)ほどの山に築かれています。 登山口(写真⑩)から急勾配の道を徒歩約15分で登ると主郭に到着。 写真①のような信濃特有の石垣が周囲を囲んでおり見応えがあります。 主郭から北東の尾根には二重堀切(写真⑤⑥⑦⑧)が連続しており倉科将軍塚古墳(写真⑨)へと続きます。 この古墳跡は曲輪と見られ、背後にも大きな堀切があります。 【歴史】 城主は村上氏の一族倉科氏とされます。武田信玄の信濃侵攻によって村上義清が越後へ逃れた頃に、倉科氏が安曇野方面へ逃れたようです。 【アクセス】 南麓に登山口があります。 近くの倉科の里広場の駐車場が利用できます。
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Read more倉科氏の城といわれる。 鷲尾城は清野氏の本城といわれる鞍骨城の外郭の役割を果たしていたとのこと。 城域南側392号線沿い「倉科の里広場」に駐車し、100mほど東に進むと北側に登り口標識があります。大善寺跡を過ぎ急な登りを進む。 城郭は本郭と二の郭からなり、 本郭は楕円形で周囲を板状の石を積んだ石垣で構築している。 南側の虎口は左右を石壁で築いている。 東側には石垣積のある土塁があり東側の二の郭間に二重堀切がある。 二の郭は長方形の平坦地で本郭のような石垣が見られず北東側には3重の堀切を設けている。 この先山手には倉科将軍塚古墳があります。 さらに鞍...
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