伊達市に在る、霊山(りょうぜん)神社に行って来ました。(れいざんではありません) 到着すると入口に別格官弊社(べっかくかんぺいしゃ)霊山神社と書いてある石柱が建っています。 明治の頃に整備された様です。 御由緒にもその様なことが書かれています。 入口から車で上に登って行くと、目前に階段が見えて来て、あれっ?バックで戻るしかないかなと思ったのですが、右手側の一段低い所に駐車場が有ります。 登り途中の右にハンドルを切るかたちなので、前が見えないので慎重になりました。 車を降りて階段で上に登って行くと、赤い屋根の門が見えます。 手前側が神楽殿になっていたと思います。 そこには、"霊山鳴龍開運神"と書かれているんだと思います(薄くて見づらい) 赤い門の右側に百度参り用のカウンターが有ります。 中から"チリーン"とこの気温には響きの良い音が聞こえてきます。 風鈴が吊るされているようです。 拝殿も本殿も赤い屋根です。 途中から雨が結構な勢いで降ってきたので、木の下で雨宿りをしました。 この時期、葉がしっかりと付いているので、短時間の結構な雨でしたがしのげました。 お参りをして、御朱印を頂きに社務所に行くと日枝神社と福日稲荷神社の御朱印も扱われていました。 日枝神社は、来る途中に在ったと思っては居たの出すが、駐車場は有りますか?と聞くとこちらから行くと鳥居の手前の道を上に登って行けるとの事でした。 稲荷神社は何処に在るのですか?と聞くと霊山神社の拝殿の右側奥に在ると言うので、御朱印を頂い...
Read more霊山神社(りょうぜんじんじゃ)。福島県伊達市霊山町大石。
旧別格官幣社。建武中興十五社の一社。
主祭神:北畠親房、北畠顕家、北畠顕信、北畠守親。 建武の新政以降、陸奥の鎮定にあたり、南朝に従った北畠親房、北畠顕家、北畠顕信、北畠守親の親子を祭神とする。鎮座地の霊山は親房以降の北畠氏の本拠地で、顕家が陸奥国府を置いた地である。 とあります。
資料によると、 1817年(文化14年)、松平定信がこの地に霊山碑を建てた。 1868年(明治元年)、米沢藩の儒者・中山雪堂と医師・西尾元詢が顕家らの英霊を祀る神社の創立の運動を起こした。1876年(明治9年)の明治天皇の東北巡幸を機会として、陸奥国府があったことにより建武の新政にゆかりのある霊山が選定。1879年(明治12年)11月に創立が請願され、1880年(明治13年)6月、霊山の西方山麓の北畠氏の支城があった地に社殿が造営された。 1881年(明治14年)5月11日に鎮座祭が行われ、1885年(明治18年)に別格官幣社に列せられた。 明治期、元会津藩筆頭家老であった西郷頼母が神社の神職を勤め、親族の西郷四郎を養子として育て境内で柔術を教えていたが、四郎は後に上京し講道館の嘉納治五郎に師事し柔道修業に励んだ。小説や映画で有名な姿三四郎は彼がモデルと...
Read more2025.4.28 前回は大雪のため参詣できず、本日 改めてお参りしてきました。 「山笑う」と言うように 折からの新緑真っ盛り、この季節に深山の神社に参詣することができ とても清々しい心地がしました。
この神社は 明治14年の創建です。 明治維新の精神的支柱のひとつが 天皇の親政を理想とする建武政権の新政策、所謂 建武の中興です。 かつて 朝廷が南北に分かれ 混乱していた時代に、後醍醐天皇のリーダーシップのもと 南朝の正統性を掲げ 建武の新政の実現に向けて尽力したのが 親房以降の北畠一族でした。 一族は霊山を本拠地としており、若くして鎮守府将軍に任ぜられた顕家に至っては、多賀城から当地に陸奥国府を移すほどでした。そうした縁から ここ霊山に神社を創建することになったようです。 …などと 分かったようなことを つらつら述べましたが、いつものように 間違いも多々ありそう。どうぞ ご勘弁を。 なお 当然ながら 主祭神は、北畠親房、顕家、顕信、守親です。
その昔( 30年以上前 )、NHK大河ドラマ「太平記」では、戦う美少年 顕家を後藤久美子が演じて話題になりました…って 知ってるひと あまりいないだろうなぁ。
2025.1.10 大雪につき 参詣を断念 いずれ...
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