美和神社(みわじんじゃ)。山梨県笛吹市御坂町二之宮。
国史見在社、甲斐国二宮。旧県社。
主祭神:大物主命(おおものぬしのかみ)
資料によると、 美和神社は甲府盆地東部に位置し、町域北西部の二ノ宮地区に鎮座する。古代甲斐国においては盆地中央北縁にあたる笛吹市春日居町に前期国府が所在し、笛吹市御坂町国衙近辺に移転したと考えられている。御坂町域は亀甲塚古墳や姥塚古墳など古墳時代の中小古墳や二之宮遺跡などの集落遺跡が分布し、古代には国衙関係の遺構や史跡が分布している。
律令制下では山梨郡井上郷に比定され、「二ノ宮」は国衙にも近接し美和神社に由来する。近世には二之宮村が成立し、美和神社を中心としてきた。二ノ宮地区に所在する美和神社は里宮として位置付けられており、二ノ宮から東に位置する尾山地区には山宮として杵衡神社がある。
美和神社は三輪山を神体とする大和国(奈良県)の大神神社から勧請され、尾上郷の杵衡神社へ遷された後に新たに二之宮に遷座されたとする伝承が一般的で、『甲斐国社記・寺記』や『甲斐国志』に拠れば、由緒は景行天皇のころ甲斐国造の塩海足尼が勧請を行ったといわれる。初見史料は『日本三代実録』863年(貞観5年)6月8日条記事で、同日に美和神社は従五位に叙せられ、一条天皇から二宮の号を与えられたという。 一宮浅間神社、三宮玉諸神社とともに、甲斐国の水防の祭儀を執行した。
式内・桙衝神社の論社で、 三代実録の貞観五年(863)六月八日に「甲斐國從五位下勳十二等物部神。美和神從五位上」と その名が見える国史見在社。 桙衝神社のもう一つの論社に、八代町の鉾衝神社があり、多くは、そちらを式内社としている。 とすると、二之宮として崇敬され、三代実録にも記された美和神社が、なぜ、式内社とならなかったのか、気にな...
Read more長い参道に広い境内ですが、そのほとんどが公園になっているので、神社の敷地自体は街中のコンパクトな神社といった感じです。
とはいえ甲斐国二之宮にあたる歴史の古い神社で、その由緒は景行天皇の時代(4世紀前半)にまで遡るとのことです。 武田氏から厚い保護を受け、社領の寄進を受けたりしています。 特に信玄公の嫡男・義信公が厚く信仰しており、銭や太刀を奉納しています。 義信公が美和神社で謀反の決起集会を行ったという説もあるそうです。
社宝は「朱礼紅糸素懸縅胴丸佩楯付(あかざねべにいとすがけおどしどうまるはいたてつき)」というとても長い名前の甲冑で、武田信玄公が元服の際に着用した甲冑と言われています。
境内には保管する文化財の目録の説明板もあり、...
Read more甲斐国二之宮ですが、立派な参道に神楽殿、倒れてしまった御神木をお祀りした神社など、見応えがあります。拝殿手前には、大きな角のような石が地面からそそり立っています。普段は、社務所は開いてないようですが、宮司さんの電話番号が書かれており、タイミングよければ御朱印などいただけるようです。拝殿手前左に手水舎があり、水鉢は明治頃に造られたとか。トイレは、拝殿左奥にありました。また、駐車場は、本殿の裏手にありますが、砂利地なので、天候によっ...
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