城は大きく分けると山城(やまじろ)、平城(ひらじろ)に分かれるがこの難波田城は平城の類になる。 江戸時代前期に幕府が統括する諸藩に提出させた見取り図から分類されたようだが、作成者の主観が大きく働き、山城、平城そもそもの分類が曖昧とも言われている。因みに江戸城は更に曖昧な平山城だと言われている。 本城門の先に「難波田氏館趾」の石碑があり、その先(石碑の北側)に本城があったことが諸国古城之図から分かる。 今は難波田氏の城ではなく、現代の一国一城の主の一軒家がある。 城の一部でも見られればと思って来たが少々残念…...
Read more城址公園、古民家、資料館がセットで、楽しめます。資料館は、難波田氏だけでなく、富士見市の中世~現代までの歴史がわかるような展示物、ビデオがあります。ビデオは、全部見ると相当な時間がかかるくらいのボリュームです。これが無料ですから、歴史、特に郷土史マニアには、おすすめです。小生も、ここでかなりの時間を過ごすことが出来ました。この手が好きな人は一度伺ってみる価値があると思います。マニア...
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