吉備津神社/広島県福山市(Kibitsu Jinja,Fukuyama-shi,Hiroshima,Japan) ☆備後国一宮 広島県福山市にある吉備津神社に参拝。山麓にある大きな神社。白い石の第1鳥居をくぐり、アスファルト参道をゆく。右に社号標、左に由緒板。正面に黒瓦屋根の神門。参道をゆく。左に大きなイチョウの木。更に左に御鎮座1200年祭奉賛者御芳名石碑、向い側にも同じ趣旨の石碑、一宮会館竣工記念碑。境内はイチョウ、スギ、クスノキなどの巨木の森。参道をゆく。右に桜山神社あり。左の一段高い所に桃太郎の石像、忠魂碑。桜山神社の参道をゆく。正面に黒瓦屋根の社殿。前に獅子狛犬1対。玉乗り型、阿吽像の配置は正常、大正3年6月奉納( 1914年)。 表参道に戻る。左に大山祇神社、青黒屋根の小社。参道に戻る。正面の石段を登る。上に神門。右に手水舎。神門をくぐると正面に神楽殿。右に社務所、左に蔵。本殿は工事中だった。石段を登ると焦げ茶屋根の本殿。獅子狛犬が2対居た。1対目は、備前焼の陶器製。阿吽像の配置は正常、奉納年不明。2対目は、玉乗り型、阿吽像の配置は正常、慶応2年丙寅季秋奉納( 1866年)。 本殿の右側へ行く。ブロンズの神馬像。摂末社あり。祖霊社、彰徳宮、白髭神社、吉備津天満宮、厩戸皇子神社、武内神社、疱瘡神社。石段を登り、十麻里二柱神社(とまりふたはしらじんじゃ)。石段を下りて、秋葉神社、四所神社。最後に御池に戻って厳島神社あり。 ☆祭神 〇主祭神 ・大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと) :第7代孝霊天皇の第三皇子。崇神天皇10年に四道将軍の1人として山陽道に派遣され吉備を平定した。 〇相殿神 ・大日本根子彦太瓊命(おおやまとねこひこふとにのみこと): 第7代孝霊天皇(大吉備津彦命の父)を指す。 ・細比売命(くわしひめのみこと): 孝霊天皇皇后(大吉備津彦命の生母ではない)。 ・稚武吉備津彦命(わかたけきびつひこのみこと):...
Read more2022.12.30...
Read more備後国一宮。旧社格は国幣小社。 地元では「一宮さん(いっきゅうさん)」と通称される。 備後国の総鎮守(近くの府中市は備後国の国府のあった地)。
資料によると、 吉備国が三国に分離された後の806年(大同元年)、吉備国一宮であった吉備津神社より勧請して創建されたと伝えられる。しかし、その約百年後の905年から967年にかけて編纂された『延喜式神名帳』に記載がないことから、実際の創建はもっと後であるとする説がある。現在、神社の名前が最初に確認できる史料は1148年(久安4年)の八坂神社の記録『社家条々記録』であり、境内の発掘調査でも12世紀以降のものしか出土していない。
2月と9月に正中の光(正中光)という、ご神体が朝日を反射し正中を貫くといった神秘的な現象がみられる。これは約100m先の石鳥居手前まで、拝殿、神楽殿、上随身門、下随身門などの建造物の中をピンポイントで、すり抜けて到達する。 とあります。
主祭神は、大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)。 第7代孝霊天皇の皇子。大吉備津日子命とも記し、別名を比古伊佐勢理比古命とも。崇神天皇10年、四道将軍の一人として山陽道に派遣され、若日子建吉備津彦命と協力して吉備を平定した。その子孫が吉備の国造となり、古代豪族・吉備臣へと発展した...
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