從沒見過這樣的城跡一一沒剩一屋半瓦、不留殘垣斷壁,彷彿它從不存在! 別稱「志濃里之館」、「志濃里之城」、「志乃利」的志苔館,是座位於北海道函館市志海苔町與赤坂町的一處城跡,建築屬「平山城」,也就是獨立山體或是丘陵地的城堡,也叫做「丘城」,落成年代不確定,有人推測是日本南北朝時代(西元13371392年)小林重政所建;有人推測是康正年間(西元1455年1457年)小林良景所建的十二館之一。 館址在距市中心9公里、離海岸線140公尺的海岸段丘(階梯狀丘陵)上,高1725公尺、東西長7080公尺、南北長50~65公尺。東、南、北面是「土壘」( ...
Read more도남 12관중 하나 아이누와의 전쟁으로 소실되었다고 한다. 지금은 터만 남아있을 뿐 아무것도...
Read more2025年5月24日に見学しました。 室町時代に渡党(わたりとう)と呼ばれた和人が、蝦夷地に入植し、道南に12の館を築いたと伝えられています。 この館を築いた小林太郎左衛門良景の祖父次郎重弘は、上野国(現在の群馬県)から渡島したといわれます。 康正2年1456年にコシャマインの戦いが起こりました。小林太郎左衛門良景は、討ち死にしてしまい、翌年長禄元年1457年に志苔館は攻め落とさてしまいました。逃げ延びた小林氏の子孫が、館を復活させますが、永正9年1512年にショヤコウジ兄弟の戦いが起こります。館主になっていた良景の息子小林彌太郎良定は、自害したと言います。その後、小林氏は、松前氏に従属することとなり、志苔館は廃館となりました。 丘の上部は、四角い土塁で囲まれ、その斜面下には、壕が掘られています。西側には、二重に壕が切られており、橋を渡らないと館内に入れないようになっています。 昭和43年1968年に志苔館から約300mの道路工事現場から「北海道志苔中世遺構出土銭」が見付かりました。この大量の古銭は、四銖半両(よんしゅはんりょう)紀元前175年初鋳から洪武通寳1368年初鋳まで、1500年にわたって鋳造された銭貨です。3個の附甕(つけたりかめ)から約38万枚も発見されました。その中には、皇朝十二銭の内の8種類15枚も含まれていました。永楽通宝1408年初鋳が含まれていないことから、この附甕が埋められた時期が推定されています。附甕は、越前焼(福井県産)と珠洲焼(石川県産)のものでした。志苔館は、方形をしている砦だったため、箱館の地名の由来ともされているそうです。発掘された古銭は、市立函館博物館...
Read more