To be clear - there isn't a castle. It's the site a castle was on, with several spots with remains of the rock walls of the castle. But it's 5 stars for the fantastic walking/hiking trails leading to breathtaking views of the ocean. The trails also lead to the lighthouse (itself run-down, but again with a great view) and down to the rocky beach, to see Joro island - a small, uninhabitated island by the looks. If you visit Hiketa, this is a must. (There's not too much...
Read more国指定史跡引田城跡 引田城は讃岐国東の拠点で中世より播磨灘の要地であった引田港を囲むように岬状に突き出した城山(標高82m)の山頂に築かれた戦国時代末期(織豊期)の城跡です。天正年間に長宗我部氏が讃岐に侵攻した際には重要な軍事拠点となって天正15年(1587年)生駒親正が入城、以来生駒氏は高松城、丸亀城を築き領国支配を行い、引田城は元和元年(1615年)一国一城令で廃城。 史跡としては平成12年(2000年)「城山国有林(引田城址)」として市指定史跡に指定され、令和2年(2020年)3月10日国の史跡に指定されました。
引田城はいわゆる織豊系城郭のひとつで特に北の郭に残存の良い石垣があり見所になっています。 上段2~3m、下段5~6mの野面積みの高石垣です。
【歴史】 築城年代定かではないが永正年間(1504年〜1521年)に昼寝城主寒川元政の家臣四宮右近が城主であった。元亀3年(1572年)寒川氏は阿波国の三好長治によって大内郡を奪われ、長治の家臣矢野駿河守が引田城主となった。天正10年(1582年)長宗我部氏の侵攻を受け羽柴秀吉は家臣仙石秀久を派遣します。 その後秀吉の四国征伐によって讃岐国は仙石秀久に与えられ引田城主となったが、九州征伐での戸次川合戦での失態により秀久は改易、生駒親正が讃岐国を与えられると引田城に入ります。 現在の引田城へと改修したのは生駒親正で天正15年(1587年)讃岐に移り高松城を中心とし、西は丸亀城、東は引田城を拠点としました。 【アクセス】 駐車場は登り口にあります。 城跡は周遊ができてぐるっと約2km徒歩70分程度で見学ができます。
#お城 #城 #城跡 #国指定史跡 #城巡り #山城...
Read more戦国時代の終わりごろ、豊臣秀吉の家臣、生駒親正さんにより築かれたお城です。 自然石を積んだ、いわゆる野面積の石垣が残されており、当時の城の威容を感じられました。
登山口に教育委員会さん作成のパンフレットがあるので必ずもらってください。 攻城と現地の理解が格段に捗ります。 登山口からの登り始めがややきつく、途中も足元厳しい山道が続きますが、城山の高さは80メートルくらいなので、ぐるっと攻城しても1時間くらいで回れます。途中本当にこの道で合っているのかと心配にもなりますが、教育委員会さんがここぞという場所には標識を立ててくださっているので、まず迷うことはないと思います。攻城中の1時間、3人しか人と会わなかったので、何かあったときの助けも期待できませんし、道が怪しいと思ったら引き返す方が無難です。 ちなみに僕は、東かがわ限定のスタンド「シヅ子」のブギウギに導かれるままに無事に攻城できました。
冬に攻城しましたがシダ植物が山道を覆うほどに生い茂っていたので暖かい時期の攻城は相当植物達が元気かもしれません。
頂上はじめ随所から引田のまち並みや瀬戸内海が眺められました。 北二の丸跡の石垣が続日本百名城のスタンプになるほど立派な様ですが保全のためにシートが掛けられており拝見できませんでした。一個人の知的探求より文化財の保護の方が、比べるべくもなく重要なことなので、これは仕方ないところです。 本丸跡の石垣も立派なので見ど...
Read more