真言宗醍醐派に属し、鷲尾山と号します。 役行者の創建と伝え、本尊が製作安置さ れた平安時代に建立されていたと思われます。辻子谷を隔てて南に位置する三昧尾山 に立つ石造十三重塔には鎌倉時代の永仁 7年(1299)の年号と、興法寺の古称で鷲山寺の名が刻まれています。『大日本史料」 所収の『南行遺文」には、延元 2年3月31日の 「尾井神寺城郭」の名が見え南北朝時代の延年(1337)の頃、本寺は神感寺の(暗峠の南方に位置した山岳寺院)とともに南朝方の城塞となって正平の戦いをむかえたことが知られます。 この戦いで兵火に 遭った後、河内国守護となった畠山基国により再建されましたが、 応仁の乱により再び焼失し永禄年間に復旧したのちも火災に遭うなど、度重なる羅災を伝 えています。本尊の木造十一面観世音菩薩立像は 像高106cm、 楠材一木造りで、本堂の須弥檀上の厨子内に安置されています。 本 面の右脇に菩薩面、 左脇に 怒面を大きくあらわす三面手像で、頭上に十一の仏面をつけています。...
Read more登山道であり、修験道である逗子谷を生駒山へ登る中腹に建立されています。 一歩中へ踏み入れると、厳かな雰囲気と、役行者が修行されるのだとわかる空気感に変わります。
本堂では休憩もさせていただけます。子どもたちへも温かく接してくださいます。
また、2月3日には護摩業があり、役行者もこられます。こうした方に日々守られて生活させていただいていることを感じさせていただけます。
It was built halfway up Mount Ikoma from Zushi Valley, which is a mountain trail and a Shugendo path.
As soon as you step inside, you are greeted by a solemn atmosphere, and it is clear that this is where En no Gyoja trained.
You can also take a rest in the main hall, and the temple is warm and welcoming to children.
In addition, on February 3rd, a goma ceremony is held and En no Gyoja also attends. It makes you feel that we are living our lives under the protection of such...
Read more【興法寺】(こうほうじ)は、役行者が開基し、弘法大師空海が諸堂を整備したと伝説される寺院です。 伝説では、千手寺を開いて神並村(こうなみむら)にあった役行者は、生駒山の東に吉祥を表す雲がたなびくのを見て、氷室滝(ひむろのたき)という滝にちかづいてみると、そこに氷室権現という神があらわれて、「大聖歓喜天(だいしょうかんぎてん)」いわゆる「聖天(しょうてん)」像を授けられたといいます。平安初期は弘仁六年(815)、弘法大師空海がこの地に参籠のおり、九頭龍(くずりゅう)権現が出現して、役行者が授けられた聖天像を授けます。そこで弘法大師は、この地に諸堂を建立し、鎮護国家の道場としたと伝えられています。しかし、南北朝時代は正平三年(1348)に起こった四条畷合戦によって諸堂消失。永禄六年(1363)に大西丹後守浄味が再興し、参道に桜を植えたといいます。 【興法寺】が本尊としているのは、元正天皇の代、行基菩薩が勅をうけて造立したという伝承される千手観音です。しかし、実際は平安後期の作で、大阪府指定文化財とされています。また、聖天は境内に入ってすぐ右にある聖天堂に祀られています。境内の左には護摩堂があり、本尊は烏枢沙摩(うすさま)明王で、左右に不動明王と役行者を奉祀しています。烏枢沙摩明王は、不浄を消し去る明王とされ、寺院ではしばしばトイレに祀られる明王です。興法寺の烏枢沙摩明王は、他の寺院ではあまり拝することの出来ない、大変大きな姿をしています。
住所:大阪府東大阪市上石切町2-1533 アクセス:近鉄奈良線「石切...
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