このGoogleマップを見てて、今回の目的地近くの海岸沿いにある大境洞窟住居跡が目に止まった。 洞窟遺跡はウッドサークルのようなインパクトはなく地味だけど、地球の子宮である聖地として祈りつづけられた場所に違いない。 よし、今回はここにしよう、と。 漁港の灯台方向が霊峰白山を指し示すように、立山連峰の信仰より、ここでも白山信仰が根づいてたんですね。 洞窟遺跡をご神体とする、白山社があった。 地図の段階では、よくある神社だしと注目してなかったが、海の向こうにその姿を見た後だったので腑に落ちた。 意識せずともなぜかいつも白山つながりで、偶然と思えないご縁を深く感じる。 お詣りをすませ、社殿の裏に回るとやっと見えた。 案内板によると、日本で最初に調査された洞窟遺跡。 だからか、原始人イメージの住居跡となってるけど、いやいや違うでしょ。 縄文と一言でいっても1万年以上あるけど、ここは縄文中期から近世までの複合遺跡となってる。 高度な縄文文明をなめちゃいけない。 山の上に聖地をつくり、洪水や津波の来ない標高の高い場所で定住してたんだから、ここは漁で通い、お祭りしたり祈ったりした聖地でしょ。 開口部は大きく開いてるけど、最奥は深くて真っ暗。 新しい祠が建ってる辺りとか、もともと祭祀空間だったことがうかがえる。 直感では、伊平屋島に行ったとき感じた、クマヤ洞窟の祭祀空間にそっくりだったのだ。 このタイミングで、ここに来れて本当によかった。 鳥居と拝殿のあいだの石燈籠が崩れ落ちていて、震災の爪痕を初めて感じることができ、この先つづく旅の心...
Read moreIt's a little cave, out of the way from most things in Himi. But if you're in the Nadaura area and like Japanese history, this is a good...
Read moreThe signs were a little dirty but the information was interesting. There are many movement alarms in the area...
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