ここには1度立ち寄りました。 平戸サムソンホテルに隣接しています。駐車場は4台くらいあったように思います。 平戸島で捕らえられ、平戸島と対岸の田平の突端で火炙りによって命を奪われたイタリア人宣教師を追悼するために造られた公園です。 炎と光を模したモニュメントが目を引きますが、裏(海の方)へ回って見てみると、モニュメントの薄っぺらさにガッカリしました。 平戸市ではなく、地元のクリスチャンが作った公園で、地元のクリスチャンが生活費を遣り繰りしながらをコツコツ浄財を集めてモニュメントを作って今も公園を維持しているので、まあこんなもんかな。というのが実情です。 季節によっては地元のクリスチャン有志が手入れをしたり花壇に花を植えているようです。 どのような経緯で火炙りになったかは、石碑に目を通すとわかります…と言いたいのですが、その石碑も風化が始まり、一部読み...
Read more「やいざ」と読みます。 ここで殉教した宣教師の、命を奪った刑罰の名前がそのまま土地の呼び名になっているとは。
そんな衝撃的な歴史・悲劇とは裏腹に、ここからは平戸瀬戸越しに、「舞鶴城」とも形容される平戸城がその美しい姿を見せています。
ここで焼罪に処されたカミロ・コンスタンツォ宣教師は、「バテレン追放令」により1605年にマカオへ送還されます。 十数年のち、日本に潜入。唐津や不動山(現・嬉野市)で布教活動を行っていましたが、平戸藩領・宇久島で捕らえられます。1622年9月15日、この地で火刑に処せられ、殉教しました。
なお、カミロ神父に協力した生月島の人々も捕らえられ、中江ノ島(世界遺...
Read more平戸・サムソンホテルの裏になんか公園あるぞ・・・と散歩気分で行ってみると、なんとそこは「焼罪史跡公園」。「焼罪」は「やいざ」と読むそうです。
なにやらおっかない名前だなと思ったら、キリスト教禁令時代に火刑になったイタリア人宣教師カミロ・コンスタンツォ神父の殉教地だそうです。
まさかホテルの裏にこんな史跡があるとは思わず驚きました。長崎生まれですのでこういった殉教地が身近にありましたが、ここにも悲しい歴史が...
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