坂東33ヵ所観音霊場第7番札所の金目観音さまにお詣りします。 小田急線秦野駅の駅前から神奈川中央交通バスの平塚駅行きに乗ります。のどかな田園風景の中をバスは走り、東海大学湘南キャンパスの校門前を過ぎればすぐに「金目駅バス停」です。鉄道も走っていないのに「金目駅」なんておかしいなと思いましたが、もと もと駅とは古代の駅伝の制にもとづいて 街道に置かれた人馬の乗継所を指す言葉で、これに後から鉄道のTrain stationの訳を当てたのですね。現代でも道の駅がありますね。でもこの「金目駅と言うバス停の名前」の由来は違っていて、かつての国鉄がバス会社と連絡輸送を行っていた時代につけられた名称です。今でもJRと多くの私鉄は連絡輸送契約を結んでいますからJRの駅と私鉄の駅では相互の切符が買えますね。以前はこの神奈川中央交通バスの「金目駅」というバス停とJRの駅相互の連絡乗車券を買うことができたのです。そのため乗換えの平塚駅で切符を買い直す手間がかからず便利でした。既にバス会社とJRとの連絡輸送は廃止されていますが、バス停の名称だけがかつての名残りを止めています。バス停から西の金目川に向かって歩きます。川越しに純白の富士山が青空にくっきりと浮かびます。夏富士は墨色で風景に沈み込む感じになりますが、冬の富士はキリリと風景から浮き出し崇高な感じがします。観音橋の手前を左折し金目川沿いの道を進むとすぐに「坂東第七番 金目山光明寺」の石柱が建っています。バス停から3分で着きますのでお詣りにとても便利なお寺です。仁王門を潜ります。仁王門の中に立つ金剛力士像は関東最古と言われる県指定重要文化財でとても力強い仁王さまです。境内に入ると正面に屋根が美しい弧を描く宝形造りの観音堂が現れます。室町時代後期の明応年間(1492~1500)建立の観音堂は平塚市内最古の建造物でこれも県指定重要文化財ですが、最近の解体修理によりとても500年も経った建物とは思えないほど美しく保たれています。しかしこの本堂も明治維新の頃には廃仏毀釈という時代の嵐を受け寺は著しく荒廃したと伝えられます。そのような不運の時代でも由緒ある寺と観音さまを守り抜いたご住職や地元の信者の方々の努力には頭が下がります。本堂には大提灯が下がり、沢山の千羽鶴が飾ってあり長い歴史ある札所独特の雑然とした、そして数えきれない程多くの巡礼たちの祈りを感じさせる雰囲気です。この札所にはバスで巡っている団体の参拝者が大勢いて、白衣の先達の発声と鉦に併せて盛んに読経しています。私もお 線香をあげ、ロウソクに火を灯し、靴を脱いで本堂に登りお賽銭を上げて参拝します。そして団体の後ろからそっと小声で般若心経を唱えます。ご本尊は聖観世音菩薩さま。ご本尊は厨子の中に安置されていますが高いまげを結い目は伏せて直立され、素朴で温かみのある彫りだそうです。前立の観音さまも優しいお顔でした。この厨子も前立観音さま(室町時代中期の明応年間(1492~1501)の造立)も国指定重要文化財です。寺の縁起によれば飛鳥時代の末期の大宝二年(702年、大宝律令で有名な元号です。大和朝廷による中央集権国家が完成した時代です。)金目川が大磯で相模湾に注ぐ辺り(下流では花水川と名前が変わります)の小磯の浜で潮汲みの海女の桶に七寸(約21cm)の観音像が入り、海女はこの観音像を我が家に祀ったと言います。後に僧行基が五尺九寸(1.7m)の観音像を刻みその胎内に先の像を納めたのが本尊とされます。(行基は奈良時代のお坊さまですが、当時の仏教は「国家鎮護」のための宗教であり民衆に布教することはありませんでした。僧侶は今で言う国家公務員のような存在だったのです。そのような時代に行基は貧民救済に取り組んだり、橋を架けたり、貯水池を掘削したりして仏教を通して民衆を救おうとした方でした。朝廷からは異端の僧とされたびたび弾圧されました。後に朝廷もその実力を無視出来なくなり奈良東大寺の大仏造営を依頼します。坂東札所14番の横浜・弘明寺は僧行基の開創と伝えられます。)ご本尊の胎内に観音さまが納められているので「お腹ごもりの観音さま」と言われ安産守護の観音さまとして信仰を集めて来ました。源頼朝の妻・北条政子も源実朝出産のおり金目観音に安産祈願をしたことが鎌倉時代の歴史書「吾妻鑑」に記載があります。今でも安産祈願のため「お腹帯」を受けにみえる方は多いそうです。また札所のご詠歌に「何事も今はかなひの観世音」と詠われるとおり「かなひの観音さま」とも呼ばれますが、その由来について諸説あり「所願みな叶う」と言う有難いものから「最初海女の家内に祀ったため」とする素っ気ないものまで有ります。お詣りを済ませて納経所に向かうと、ここも団体さんの納経帳やら掛け軸やらが山と積んであり、お寺の方も大忙しの様子です。立っていると旅行会社の添乗員さんが「個人の方を先にやってあげてください」とお寺の方に声をかけて下さり、すぐに墨書・押印してくださっ...
Read moreSmall temple in a quiet neighborhood along a small river. Home to two Important Cultural Properties. Station 7 on the Bandō Sanjūsankasho (Kantō 33 Kannon Pilgrimage). Worth a visit if one is in the area. I enjoyed the quiet, peaceful atmosphere and the...
Read more2016/04/05参拝しました。この日は渋田川「鷹匠橋」で満開の桜を見た後、平塚市金目の坂東三十三観音霊場の第七番札所まで足をのばしました。 いつもなら自宅伊勢原から片道1時間位で歩いてお参りしています。 通称「金目観音」と呼ばれている天台宗の寺院で、仁王門前に相模湾に注ぐ金目川が流れています。昔は、上流の小田急線の鉄橋が流された事もある、上流の丹沢水系に一度大雨が降れば、暴れ川となり金目地域まで濁流はながれ狂いましたが、河川の護岸整備や砂防堤が造られてからは、大人しい川になってしまいました。 仁王門には真ん中に赤い「金目観世音」の大きな提灯が架かり、右側に大きなわらじが掛かっています。また金目川の右側手前には石造りの「摩尼車」が取り付けてあります。 山門の正面が本堂で左側に歓喜堂、更に左側に「文殊普賢堂」があり、本堂から右側が大師堂でその右手が庫裏になり御朱印や授与品の取扱いがあります。庫裏の手前本堂側に「水琴窟」があり、心が洗われ...
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