一宮浅間神社(いちのみやせんげんじんじゃ)。山梨県西八代郡市川三郷町高田。
式内社(名神大)論社、旧村社。 古くは単に「一宮」や、「一ノ宮明神」「市川一の宮」などと称された。
主祭神:木花咲耶姫命 (このはなのさくやひめのみこと) 相殿神:瓊瓊杵命 (ににぎのみこと) 彦火火出見命 (ひこほほでみのみこと)
資料によると、 社伝によれば景行天皇朝の創祀で、『日本三代実録』に864年(貞観6年)に起きた富士山の貞観大噴火を受けてその神の神意を慰めるため、翌865年(貞観7年)に勅命によって甲斐国八代郡に創建され、官社に列されるとともに祝と祢宜が置かれたという「浅間明神の祠」に相当し、『延喜式神名帳』に載せる甲斐国八代郡の名神大社「浅間神社」であり、「一宮」の古称も甲斐国の一宮とされたことに因むものであるという。 もっとも式内名神大社の「浅間神社」の比定には笛吹市の浅間神社か富士河口湖町の浅間神社(河口浅間神社)が有力視されており、甲斐国一宮は通説として笛吹市浅間神社に当てられているので「一宮」の称も鎮座地である旧市川郷のそれであると考えられる。なお、750メートルm程隔たった地に「二の宮」と称される弓削神社が鎮座するが、甲斐国の二宮は笛吹市の美和神社とされているので、これも同様に市川郷の一宮であった当神社に対しての「二の宮」の称であったと考えられる。
貞観の創建は富士山の神である木花咲耶姫命が現鎮座地南方の御正体山(みしょうたいざん)に噴火の難を逃れるために遷ったのが契機であったといい、その後924年(延長2年)に御正体山に対する里宮であった現社地へ遷座、山上の旧址には山宮として山祇社を奉斎した。 『甲斐国社記・寺記』(以下『社記』と記す)によると、朝野の崇敬篤く延長2年(924年)10月、永万3年11月(1167年 - 1168年)、1186年(文治2年4月)、1382年(永徳2年10月)の社殿造営が知られる他、神領地30町(およそ3,600坪)を有し、社家12人が所属していたという。
神獣鏡1面(考古資料、1979年(昭和54年)6月6日) 1894年(明治27年)に市川三郷町大塚の鳥居原狐塚古墳から出土し、当神社に奉納された銅鏡(四神四獣鏡)。鏡背の内区には四神像と四獣像を交互に配し、外区には右廻りで「赤烏元年五月廿五日丙子 造作明竟 百凍清銅 服者君侯 宣子孫...
Read more市川三郷町にある一宮浅間神社は、景行天皇の御代に創建された古社です。 貞観6年(864)富士山大噴火の翌年12月、勅命により、正体山に浅間大社を祀り官社に列せられたのを延長2年(924)10月現在地に遷宮したと言われています。 神社境内には各種つつじが植えてあり、満開時は一面がピンク色になります。主祭神 木花咲耶姫 いい雰囲気の神社 静か 拝殿に御朱印あり 拝殿 右にとうろぶつさんと言われている石像があり 書いてある説明文を見るとよくある重軽石 念じて願いが叶うなら軽い 叶わないなら重い 仏様を持つのはちょっと躊躇しますが張り紙に試してみてくださいってありましたのでやってみました。 ん~わからない...
Read more2024.3 【御祭神】 木花咲耶姫 【由緒】 社伝によれば景行天皇朝の創祀で、『日本三代実録』に864年(貞観6年)の富士山の大噴火を受けてその神の神意を慰めるため、翌865年(貞観7年)に勅命によって甲斐国八代郡に創建され、官社に列されるとともに祝と祢宜が置かれたという。 貞観の創建は富士山の神である木花咲耶姫命が現鎮座地南方の御正体山(みしょうたいざん)に噴火の難を逃れるために遷ったのが契機であったといい、その後924年(延長2年)に御正体山に対する里宮であった現社地へ遷座、山上の旧址には山宮として山祇社を奉斎した。
郷社としては立派な造りで、地域の方々に大切にされているのを感じます。 御朱印は書置きのものがラ...
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