立派な模擬天守が建っている上野城に行ってきました。 こちらの模擬天守は民族博物館となっているようです。
上野城の前には遊具がたくさんある綺麗に整備された公園があります。 子供たちを連れてきたら喜びそうですが、真夏の暑い日だったので誰もいませんでした。 石碑などは模擬天守の隣にある神社にあります。 一条氏は鎌倉時代から続く名門で、さらにそのあとを継いだのが武田信玄の弟。 そして、最後まで武田氏として勇敢に戦ったことなど、歴史に残る人物であったそうです。
【歴史】 上野城は、武田信玄の弟である一条右衛門大夫信龍の居城として知られています。一条氏は甲斐源氏の名門であり、先祖は武田信義の嫡男である一条次郎忠頼です。忠頼は源頼朝に誅殺され、その後、石和信光の次男信長が家を継ぎました。信長の孫である時信は多くの子を持ち、その子孫たちは後に「武川衆」として知られる一族を形成しました。
一条氏は武田信玄が家督を継ぐころには絶家となっていましたが、信玄は名家の断絶を惜しみ、弟の信龍に一条氏を継がせて再興しました。信龍は武田一門の猛将として知られ、騎馬200騎を率いて戦いに臨む勇敢な武将でした。彼は派手な軍装を好んだとされ、戦場ではその姿が際立っていたことでしょう。
天正3年(1575年)の長篠の戦いでは、信龍は佐久間信盛の陣地に攻撃を仕掛け、二重の馬防柵を破るほど奮戦しました。しかし、最終的には武田勝頼が無事に戦場を脱出するのを見届けてから撤退しています。
天正10年(1582年)の武田氏滅亡の際、信龍は上野城で徳川軍を迎え撃ち、最後まで名門武田氏の一門としての誇りを持ち、勇戦の末に討ち死にしたと伝えられています。この戦いでの彼の最期は、武田氏の一門としての誇り...
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