小牧山歴史館二階で見れる動画で小牧長久手の戦いで家康の本陣が小牧山、秀吉の本陣が楽田と知り楽田城址も見ておかなければと思い来てみました。 楽田駅の線路の東側を南に少し歩いた所のはずが中々見つからず楽田小学校の周りをウロウロしてしまい、不審者と思われそうだと、諦めかけて帰る前にグーグルマップのルート案内が示していた楽田小学校の入口まで戻り木の影に停めて涼んでいた車の横に説明板のような物が見えたので近寄って見ると有りました。完全に停車中の車が目隠しなっていただけでした。 これを見て道順が難しそうだと誤解する方がいるといけないので、補足しますと最初に書いた道順で真っ直ぐ歩きつきあたりです。迷う道ではありませんし、駅から5分程度の道のりです。 城址は石碑と説明板で、城の面影はありませんが、楽田本陣と小牧山本陣のわずか6キロ位の距離で秀吉と家康が睨み合っていた想像すると、チョットした事で歴史は変わっていたかもと思います。 はじめに、迷った話を書いて脱線したせいで長文になって...
Read more楽田城(がくでんじょう)は、尾張国丹羽郡楽田(現在の愛知県犬山市楽田)にあった日本の城である。楽田の地は濃尾平野の東部、犬山の南・小牧の北に立地し、尾張の中心部と信濃の木曽を結ぶ木曽街道が通る近辺にあった。平城。小牧・長久手の戦いで前線基地となり、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の部将であった堀秀政が入り、さらに秀吉自身も陣所としたという。戦後、楽田城は廃城となった。現在ほとんど遺構は残っていないが、「天守」に当たる建築物を建てたとの記述が歴史文献にある城としては最も古いとされる。遺構は大正年間まではある程度残っていたが、犬山市立楽田小学校の用地となって徐々に失われ、昭和55年(1980年)には天守台跡も運動場とするために撤去されている。現在では天守台跡から建造物としては移築した...
Read more城は楽田小学校を中心に周辺住宅地も含む範囲にありました。楽田駅を東に行った所にも小さな石碑があり、裏門の跡を示しています。 主郭たる楽田小学校は高台になっており、城の雰囲気を出しています。ここには「天守閣があった」という伝承がありますが、詳細は不明です。かつては小学校の校庭にそれっぽい土塁があったようですが、昭和50年代の校庭拡張で消滅してしまったようです。 小学校の北側の須賀神社の石碑には「楽田城小城跡」とあり、主郭の出丸のようなものの跡だそうです。
城は天正12年(1584)の小牧合戦で秀吉が本陣を置いたことで有名です。現在の遺構や構えはこの時のものになります。それより前に、織田守護代家の一族織田久長によって築か...
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