導かれた倭姫(やまとひめ) 様々な御神徳がある霊地(パワ-スポット)
倭姫「汝が国の名は何ぞ?」 太田「さこくしろ(世界の中心)宇遅の国」 __と答え、御止代の神田を進呈した。 倭姫「佳き宮の場所はあるや」 __と問うと、 太田「非常に素晴らしい、世界の中心である __宇遅の五十鈴の河上は、 __大日本の国の中にも殊勝なる霊地です。 __霊物もございます。 __光り輝くこと日の如し。」 __と答えました。
倭姫(やまとひめ)が 「奈尾之根宮」で、もてなしを受けた際、 太田命(おおたのみこと) から声をかけられた際のやりとりです。
そこで倭姫は霊地に行き、霊物を見てみると、 昔、天照大御神(皇太神、大神)が誓願した、 豊葦原瑞穂国の内の 伊勢の風早(かさはや)の国に 美しい宮の場所ありと見定めた、 天上から投げ降ろした 天の逆太刀・逆桙・金鈴などが、 そこはありました。
二十六年丁巳冬十月甲子、 天照太神を奉遷し、 度会の五十鈴の河上に遷し 現在の地に遷座されることとなりました。
天孫降臨より瓊瓊杵尊と共に 地上に降りた八咫鏡は、 この約束の地に留まる事となりました。 ついに、倭姫命の長き旅は終焉を迎えます。
そして、この地に導いた、太田命こそ 猿田彦大神の裔(えい)と伝わり、猿田彦神社 宇治土公宮司家の祖先といわれる人物です。
猿田彦大神は、ものごとの最初に現れ、 万事良い方向へおみちびきになる大神で、 ・建築 ・方位除け ・災難除け ・開運 ・事業発展 ・五穀豊穣 ・大漁満足 など、みちひらきの御神徳で知られています。 そのため、 新しいことを始めようとしている人、 道に迷っているタイミング などに参拝に行くと最も良い方向に 導いてくれると言われています。
【境内社...
Read moreNice place if a little bland. The most memorable section to me was that their cleaning station was covered in cool stickers from all around. If you're interested in Shinto shrines I would definitely say check it out, especially on the was to the grand shrine nearby, but if you're not a shrine enjoyer you can find something more...
Read more旧社格は無格社。 伊勢神宮内宮へ導くところに鎮座。
資料によると、 日本神話によれば、猿田彦神はニニギの天降りの先導を終えた後、伊勢の五十鈴川の川上に鎮まった。 『倭姫命世記』によれば、その子孫の大田命は天照大神を祀る地として倭姫命に五十鈴川川上の地を献上した。大田命の子孫は宇治土公(うじのつちぎみ)と称し、神宮に玉串大内人として代々奉職したが、その宇治土公が邸宅内の屋敷神として祖神の猿田彦を祀っていた。明治時代に入り、神官の世襲が廃止されることになって、屋敷神を改めて神社としたのが猿田彦神社である。
玉串大内人(たまぐしおおうちんど)という職は、式年遷宮で、心御柱と御船代(みふなしろ)を造り奉るなど重要な役割をはたしてきたことから、建築の神、みちひらきの神とされる。それゆえ神棚において、猿田彦大神の御札は、道を切り開く意味を持ってお祀りする御札となるため、天照皇大神宮の御札より手前(少しずらして先導役をする)に祀る習わしになっている。
猿田彦神がニニギの先導をしたということから、みちひらき・交通安全・方位除けの神社として信仰されている。
境内には、天降りの際に猿田彦神と応対した天宇受売命を祀る佐瑠女神社(さるめじんじゃ)が猿田彦神社の本殿に向かい合うように建っており、芸能の神として信仰されている。
境内の中央にある古殿地には、八角形の方位石が置かれています。 石には干支が刻まれており、社殿にお参りしてから自分の干支や今年の干支等を撫でると、運気を上昇させることができるといわれています。 石の触り方については決まったルールはありません。 とあります。
主祭神は、猿田彦大神と、その子孫の大田命。
参考として、 猿田彦神社が神宮内宮の近くにあることや、猿田彦大神を祀る各地の神社で椿大神社とつながりのある神社は少数しか存在しないことから(「椿大明神」を祭る「椿神社」は全国各地に存在している)、猿田彦神社が猿田彦神を祀る神社の総本社と考える...
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