HTML SitemapExplore
logo
Find Things to DoFind The Best Restaurants

Isehara Daijingu Shrine — Attraction in Isehara

Name
Isehara Daijingu Shrine
Description
Nearby attractions
Sakuramichi Park
3 Chome-17 Isehara, Kanagawa 259-1131, Japan
Daihoji
1 Chome-311 Higashiodake, Isehara, Kanagawa 259-1133, Japan
Isehara Science Center
76 Tanaka, Isehara, Kanagawa 259-1142, Japan
Isehara Tourism Association
1 Chome-1-5 Isehara, Kanagawa 259-1131, Japan
Kanayama Park
1 Chome-25 Isehara, Kanagawa 259-1131, Japan
Nearby restaurants
ドゥジェム
Japan, 〒259-1145 Kanagawa, Isehara, Itado, 433-1 MIビル 1F
こみや料亭
2 Chome-9-29 Isehara, Kanagawa 259-1131, Japan
CIZA Restaurant&Bar
442 Itado, Isehara, Kanagawa 259-1145, Japan
Ebisuya
3 Chome-8-15 Isehara, Kanagawa 259-1131, Japan
チャイニーズダイニング樓蘭
249-7 Itado, Isehara, Kanagawa 259-1145, Japan
Tsukijikaihin Iseharaten
3 Chome-5-3 Isehara, Kanagawa 259-1131, Japan
Sagami Isehara
740-1 Itado, Isehara, Kanagawa 259-1145, Japan
魚㐂代(ウオキヨ)
3 Chome-12-4 Isehara, Kanagawa 259-1131, Japan
酒菜の隠れ家 月あかり伊勢原北口店
1 Chome-3-17 Isehara, Kanagawa 259-1131, Japan
鮨・和風料理 瓢亭
Japan, 〒259-1131 Kanagawa, Isehara, 1 Chome−5−4 サンライトビル1階
Nearby hotels
Hotel Select Inn Isehara
3 Chome-1-7 Isehara, Kanagawa 259-1131, Japan
Related posts
Keywords
Isehara Daijingu Shrine tourism.Isehara Daijingu Shrine hotels.Isehara Daijingu Shrine bed and breakfast. flights to Isehara Daijingu Shrine.Isehara Daijingu Shrine attractions.Isehara Daijingu Shrine restaurants.Isehara Daijingu Shrine travel.Isehara Daijingu Shrine travel guide.Isehara Daijingu Shrine travel blog.Isehara Daijingu Shrine pictures.Isehara Daijingu Shrine photos.Isehara Daijingu Shrine travel tips.Isehara Daijingu Shrine maps.Isehara Daijingu Shrine things to do.
Isehara Daijingu Shrine things to do, attractions, restaurants, events info and trip planning
Isehara Daijingu Shrine
JapanKanagawa PrefectureIseharaIsehara Daijingu Shrine

Basic Info

Isehara Daijingu Shrine

3 Chome-8-1 Isehara, Kanagawa 259-1131, Japan
4.2(505)
Open 24 hours
Save
spot

Ratings & Description

Info

Cultural
Scenic
Family friendly
Off the beaten path
attractions: Sakuramichi Park, Daihoji, Isehara Science Center, Isehara Tourism Association, Kanayama Park, restaurants: ドゥジェム, こみや料亭, CIZA Restaurant&Bar, Ebisuya, チャイニーズダイニング樓蘭, Tsukijikaihin Iseharaten, Sagami Isehara, 魚㐂代(ウオキヨ), 酒菜の隠れ家 月あかり伊勢原北口店, 鮨・和風料理 瓢亭
logoLearn more insights from Wanderboat AI.
Phone
+81 463-96-1611
Website
daijingu.net

Plan your stay

hotel
Pet-friendly Hotels in Isehara
Find a cozy hotel nearby and make it a full experience.
hotel
Affordable Hotels in Isehara
Find a cozy hotel nearby and make it a full experience.
hotel
The Coolest Hotels You Haven't Heard Of (Yet)
Find a cozy hotel nearby and make it a full experience.
hotel
Trending Stays Worth the Hype in Isehara
Find a cozy hotel nearby and make it a full experience.

Reviews

Nearby attractions of Isehara Daijingu Shrine

Sakuramichi Park

Daihoji

Isehara Science Center

Isehara Tourism Association

Kanayama Park

Sakuramichi Park

Sakuramichi Park

3.7

(12)

Open until 12:00 AM
Click for details
Daihoji

Daihoji

3.8

(25)

Open 24 hours
Click for details
Isehara Science Center

Isehara Science Center

4.0

(221)

Closed
Click for details
Isehara Tourism Association

Isehara Tourism Association

4.1

(9)

Open 24 hours
Click for details

Things to do nearby

No tourist traps, Samurai sword &archery training
No tourist traps, Samurai sword &archery training
Mon, Dec 8 • 10:00 AM
194-0013, Tokyo Prefecture, Machida, Japan
View details
Taste and compare premium sake
Taste and compare premium sake
Tue, Dec 9 • 3:00 PM
220-0005, Kanagawa Prefecture, Yokohama, Japan
View details
Kamakura History Walk: Buddha, Bamboo & More
Kamakura History Walk: Buddha, Bamboo & More
Sat, Dec 13 • 12:30 PM
248-0012, Kanagawa Prefecture, Kamakura, Japan
View details

Nearby restaurants of Isehara Daijingu Shrine

ドゥジェム

こみや料亭

CIZA Restaurant&Bar

Ebisuya

チャイニーズダイニング樓蘭

Tsukijikaihin Iseharaten

Sagami Isehara

魚㐂代(ウオキヨ)

酒菜の隠れ家 月あかり伊勢原北口店

鮨・和風料理 瓢亭

ドゥジェム

ドゥジェム

4.3

(120)

Click for details
こみや料亭

こみや料亭

4.3

(53)

$$$

Click for details
CIZA Restaurant&Bar

CIZA Restaurant&Bar

3.9

(24)

Click for details
Ebisuya

Ebisuya

4.1

(19)

$$

Click for details
Get the Appoverlay
Get the AppOne tap to find yournext favorite spots!
Wanderboat LogoWanderboat

Your everyday Al companion for getaway ideas

CompanyAbout Us
InformationAI Trip PlannerSitemap
SocialXInstagramTiktokLinkedin
LegalTerms of ServicePrivacy Policy

Get the app

© 2025 Wanderboat. All rights reserved.
logo

Reviews of Isehara Daijingu Shrine

4.2
(505)
avatar
4.0
1y

伊勢原観光協会にも 伊勢原大神宮 と紹介されているが、いましらべたところでは、正式には 神明社 であるようである。

ただ他の機会で読んだ本で、改称したとの記憶もおぼろげながらあるので、その本に出合ったらまた修正をしていこうかと思う。

_____________________

❸【参考 大山不動と日向薬師 1981年】 ❹【参考 史跡と文化財のこの町を語る 1981年】

伊勢原神明社 (1981年のこの神社の紹介文となる)

伊勢原では通称 大神宮さん と呼ばれている。 当社は伊勢神宮と同じように、神明づくりで、内宮と外宮があるのが特徴である。

むかしはこの辺りを 千手ケ原(せんじゅがはら) と呼んでいた、とある。 鎌倉の 湯浅清左エ門(せいえもん)は大山参りの途中で行き暮て、この千手ケ原で野宿をした。夜中にふと清水の音を聞き、住居に適することを知り、幕府に新田の開発を願い出たという。

1619年(元和5年)に草原を開発して住み着いたという。 やがて近在の人々や伊勢国_宇治山田の 山田曽右衛門(そうえもん) らも住み着き一集落ができたので、伊勢の大新宮を勧請して鎮守とした。 伊勢原の名はここから起こったといわれている。

境内に別当寺の 普化(ふげ)禅宗の神宮寺があったが、明治4年の 太政官布告(だじょうかんふこく) により普化(ふげ)禅宗は廃宗となり 神宮寺 は廃寺となった。 今は遺構がわずかに残る。神宮寺の建物はその後、恢立館(かいりゅうかん)と名を着けられ伊勢原小学校の基となったという。

_____________________

風土記には末社として11社記載されているが、1981年には春日神社1社となっている。

❷【参考 神奈川県神社誌 1981年】

神明社 (1981年のこの神社の紹介文となる)

元和6年(1620年)創祀。 此の年伊勢国の人来り開墾して、ここに住し、故国を慕い当社を建てたという。 正徳2年(1712年)に社殿を造営する 享保16年(1731年)大鐘鋳造 明治6年(1873年) 村社 に列される。 明治44年(1911年) 神饌幣帛料供進神社 に指定される

[鎮座地] 伊勢原市伊勢原244-1 [祭神] 天照大御神 豊受姫大神 [境内社] 春日神社 [例祭日] 9月21日 [境内地面積] 907坪

境内のお寺 神宮寺 があったとある。 普通に考えると神宮寺が神明社の別当をしていたと考えるが、風土記には 神明社は村持ち と書かれている。間違いなのかそうでないのか、すこし面白い。

❶【参考 新編相模風土記稿 1830年】

神明社 (江戸の頃のこの神社の紹介文となる)

伊勢原村の鎮守である。 内外の両社が並び建って、拝殿、神楽殿、供所(くしょ)等あり。 伊勢原村の開墾の頃に勧請された所にして、伊勢神宮の神廟になぞらえて、21年目毎に社頭修理を加え、遷宮の式がある。

[神体] 内宮の神体は銅像・・ 長さ6㎝(2寸)背後に運慶19代、大佛師田中刑部 正徳4年(1714年)5月吉日 とある。 外宮の神体は木像・・ 長さ13㎝(4寸1分)背後に運慶19代、大佛師田中刑部 正徳4年(1714年)5月吉日 とある。

△社僧神宮寺 神明社と同時の起立した。 [號]照見山と号す。 [宗教] 普化禅宗 武蔵国青梅 鈴法寺 末 [開祖] 雲晴風月 寛永13年7月11日 卒 [本尊] 宗祖_普化の書像を本尊とする

[鎮座地] 伊勢原村 [例祭日] 6月15日~16日の両日である [管理] 村 [末社] 愛宕虚空不動合祀(愛宕は村人加藤氏の者が勧請した。鐘楼あり、享保15年の鋳造鐘をかけている。序銘あり。文中に伊勢原村開墾および、本社勧請等の事が記されている。里人の言い伝えと同じである) 稲荷 三峯 恵比寿 道祖神 大黒秋葉 弁天 ...

   Read more
avatar
5.0
9y

伊勢原市のシンボルとも言える神社⛩️ですね! 境内には、お伊勢さんの「外宮」と「内宮」が鎮座しております。また、同じく境内には、旧神明社(大神宮)管理の別当の寺が置かれていました。いまは、「照見山神宮寺遺跡」の案内板が御神木の大ケヤキの足元で静かに、今も地蔵菩薩立像が変わりなく見守っておられます。

社号:伊勢原大神宮 祭神:天照大御神(内宮)、豊受姫大神(外宮) 境内社:春日神社、稲荷総社 住所:伊勢原市伊勢原3-8-1

【新編相模国風土記稿による伊勢原大神宮の由緒】 (伊勢原村)神明社 村の鎮守なり、内外の両社並び建り、拝殿・神楽殿・供所等あり、内宮の神体銅像、長二寸、背に運慶十九代、大佛師田中刑部正徳四年午五月吉日と彫れり、外宮神体木像、長四寸一分、背後の銘上に同、當村開墾の頃勧請せし所にて、伊勢の神廟に擬し、二十一年目毎に社頭修理を加へ、遷宮の式あり、例祭六月十五・十六の両日なり、村持。 末社。愛宕虚空蔵不動合祀、愛宕は村民加藤氏の者勧請す、鐘楼あり、享保十六年の鋳鐘をかく、序銘あり、文中に當村開墾及本社勧請等の事を載、土人の傳に異ならず。 稲荷、三峰、恵比須、道祖神、大黒秋葉、辨天、天神、八幡、天王、金比羅。 社僧神宮寺。照見山と號す、普化禅宗、武蔵国青梅鈴法寺末、本社と同時の起立にて開祖雲晴風月、寛永十三年七月十一日卒、宗祖普化の画像を本尊とす。(新編相模国風土記稿より)

【境内掲示による伊勢原大神宮の由緒】 当社の創建は、江戸時代初期の元和年間(一六一五〜一六二四)のことであると伝えられております。 元和六年(一六二〇)伊勢の国の人、山田曾右衛門と鎌倉の人・湯浅清左衛門は、大山参詣の途中、千手原という松原に一夜の宿を求めたところ、水音を聞いて開墾可能であることを悟り、当時このあたりを支配していた中原代官成瀬五左衛門の許可を得て、開墾に着手したのです。そこにだんだんと粕屋あたりより人が集まり、現在の伊勢原市街の基礎が形成されました。曾右衛門は、この新しい開拓地の鎮守として、故郷である伊勢の神宮の神様を勧請し、奉斎することにいたしました。こうして創建された当社の御祭神に由来して当地は伊勢原と呼ばれるようになりました。 伊勢の神宮では、天照大御神が内宮に、豊受姫大神が外宮に、それぞれ奉斎されています。当社もこれにならい両宮が別々に奉斎されています。全国でも珍しい社殿構造は、江戸時代に編纂された「新編相模国風土記稿」にもみられ、創建以来の伝統として現在も受け継がれております。境内には神宮遥拝所が設けられ、当地より伊勢の神宮をお詣りすることができます。(境内掲示より)

【照見山神宮寺遺跡】 伊勢原の町が開かれたのは江戸時代のはじめ、元和年間(一六二〇年頃)と伝えられています。旧神明社(大神宮)創建と同じころ、神社の管理に当たる別当寺が境内に置かれ、それが照見山神宮寺という普化禅宗の寺でした。 普化宗は中国(唐)の普化禅師を祖として、鎌倉時代に禅僧と共に渡来したと言われ、尺八の音と結びついて広まりました。 普化宗の僧は虚無僧と呼ばれ、江戸時代に入ると徳川幕府の庇護もあって武士が入門し、寺の通行手形を持って全国往来が自由でした。 天蓋をかぶり、免状(本則等)をふところに尺八を吹き、托鉢吹禅をしながら各地を歩いて修行を重ねました。 虚無僧が吹いた尺八の曲は、無名の人々によって吹き継がれ、今日に至っています。 普化宗は、明治四年太政官布告により廃宗となり、神宮寺の建物は明治七年には、一時期、伊勢原小学校の前身として使われましたが、今は境内に石灯篭を残すのみです。 照見山神宮寺は活惣本山鈴法寺(東京都青梅市)末寺頭として相模、足柄、小田原、伊豆一円を寺場とし巡回した記録が残されています。 鈴法寺で幕府と普化宗についての多くの記録を残している嘯山勇虎をはじめ神宮寺歴代の墓は大福寺にあります。(照見...

   Read more
avatar
5.0
27w

伊勢原駅を北口に降りると、デカい鳥居がお出迎えするんですが、これは、大山阿夫利神社の参道スタートの鳥居で、伊勢原大神宮さんの参道ではありません。ただ、僅かですが短絡路にはなりますので、ここを抜けて県道に出て北へ向かっていくと、右手に境内地が見えてきます。クルマの方は、R246を駅入り口で左折すると、すぐに境内車寄せ(狭い)にアタマから突っ込めます。歩きの方は、カフェが目印。このカフェ、「とこわか」と言って、もぉ いかにもお宮然とした建物で、神社直とゆうのがわかります。和の茶店なので甘味だけを一通りそろえていまして、ところてんとか磯辺焼きなどのしょっぱいものは置いていません。 境内の南側が くの字...

   Read more
Page 1 of 7
Previous
Next

Posts

oki hiroshioki hiroshi
伊勢原市のシンボルとも言える神社⛩️ですね! 境内には、お伊勢さんの「外宮」と「内宮」が鎮座しております。また、同じく境内には、旧神明社(大神宮)管理の別当の寺が置かれていました。いまは、「照見山神宮寺遺跡」の案内板が御神木の大ケヤキの足元で静かに、今も地蔵菩薩立像が変わりなく見守っておられます。 社号:伊勢原大神宮 祭神:天照大御神(内宮)、豊受姫大神(外宮) 境内社:春日神社、稲荷総社 住所:伊勢原市伊勢原3-8-1 【新編相模国風土記稿による伊勢原大神宮の由緒】 (伊勢原村)神明社 村の鎮守なり、内外の両社並び建り、拝殿・神楽殿・供所等あり、内宮の神体銅像、長二寸、背に運慶十九代、大佛師田中刑部正徳四年午五月吉日と彫れり、外宮神体木像、長四寸一分、背後の銘上に同、當村開墾の頃勧請せし所にて、伊勢の神廟に擬し、二十一年目毎に社頭修理を加へ、遷宮の式あり、例祭六月十五・十六の両日なり、村持。 末社。愛宕虚空蔵不動合祀、愛宕は村民加藤氏の者勧請す、鐘楼あり、享保十六年の鋳鐘をかく、序銘あり、文中に當村開墾及本社勧請等の事を載、土人の傳に異ならず。 稲荷、三峰、恵比須、道祖神、大黒秋葉、辨天、天神、八幡、天王、金比羅。 社僧神宮寺。照見山と號す、普化禅宗、武蔵国青梅鈴法寺末、本社と同時の起立にて開祖雲晴風月、寛永十三年七月十一日卒、宗祖普化の画像を本尊とす。(新編相模国風土記稿より) 【境内掲示による伊勢原大神宮の由緒】 当社の創建は、江戸時代初期の元和年間(一六一五〜一六二四)のことであると伝えられております。 元和六年(一六二〇)伊勢の国の人、山田曾右衛門と鎌倉の人・湯浅清左衛門は、大山参詣の途中、千手原という松原に一夜の宿を求めたところ、水音を聞いて開墾可能であることを悟り、当時このあたりを支配していた中原代官成瀬五左衛門の許可を得て、開墾に着手したのです。そこにだんだんと粕屋あたりより人が集まり、現在の伊勢原市街の基礎が形成されました。曾右衛門は、この新しい開拓地の鎮守として、故郷である伊勢の神宮の神様を勧請し、奉斎することにいたしました。こうして創建された当社の御祭神に由来して当地は伊勢原と呼ばれるようになりました。 伊勢の神宮では、天照大御神が内宮に、豊受姫大神が外宮に、それぞれ奉斎されています。当社もこれにならい両宮が別々に奉斎されています。全国でも珍しい社殿構造は、江戸時代に編纂された「新編相模国風土記稿」にもみられ、創建以来の伝統として現在も受け継がれております。境内には神宮遥拝所が設けられ、当地より伊勢の神宮をお詣りすることができます。(境内掲示より) 【照見山神宮寺遺跡】 伊勢原の町が開かれたのは江戸時代のはじめ、元和年間(一六二〇年頃)と伝えられています。旧神明社(大神宮)創建と同じころ、神社の管理に当たる別当寺が境内に置かれ、それが照見山神宮寺という普化禅宗の寺でした。 普化宗は中国(唐)の普化禅師を祖として、鎌倉時代に禅僧と共に渡来したと言われ、尺八の音と結びついて広まりました。 普化宗の僧は虚無僧と呼ばれ、江戸時代に入ると徳川幕府の庇護もあって武士が入門し、寺の通行手形を持って全国往来が自由でした。 天蓋をかぶり、免状(本則等)をふところに尺八を吹き、托鉢吹禅をしながら各地を歩いて修行を重ねました。 虚無僧が吹いた尺八の曲は、無名の人々によって吹き継がれ、今日に至っています。 普化宗は、明治四年太政官布告により廃宗となり、神宮寺の建物は明治七年には、一時期、伊勢原小学校の前身として使われましたが、今は境内に石灯篭を残すのみです。 照見山神宮寺は活惣本山鈴法寺(東京都青梅市)末寺頭として相模、足柄、小田原、伊豆一円を寺場とし巡回した記録が残されています。 鈴法寺で幕府と普化宗についての多くの記録を残している嘯山勇虎をはじめ神宮寺歴代の墓は大福寺にあります。(照見山神宮寺奉賛会掲示より)
さんさとさんさと
伊勢原駅を北口に降りると、デカい鳥居がお出迎えするんですが、これは、大山阿夫利神社の参道スタートの鳥居で、伊勢原大神宮さんの参道ではありません。ただ、僅かですが短絡路にはなりますので、ここを抜けて県道に出て北へ向かっていくと、右手に境内地が見えてきます。クルマの方は、R246を駅入り口で左折すると、すぐに境内車寄せ(狭い)にアタマから突っ込めます。歩きの方は、カフェが目印。このカフェ、「とこわか」と言って、もぉ いかにもお宮然とした建物で、神社直とゆうのがわかります。和の茶店なので甘味だけを一通りそろえていまして、ところてんとか磯辺焼きなどのしょっぱいものは置いていません。 境内の南側が くの字 に凹んでいまして、鳥居をくぐって、正面左右に社殿が並び建ち、左が内宮、右が外宮と、だからお賽銭は最低でも2回分必要になります。どちらが大きいとゆうわけでもなく、お伊勢さまと同様に、やはり内宮に主祭神となっているようです。授与所は左手にあり、ここの品揃えがクセ者で、先日お参りした際には、ブツブツ言いながら茶店で休んでいた方がいました。伊勢原市のゆるキャラに"くるりん"とゆうのがいて、そのイラスト入りのお守りがあると人から聞いてきたら、無いと言われたそうで、いけないのが、その理由。「Ⓒの問題で・・もう無い」と説明があったそうなんですが、この人たち市役所の職員さんたちで(そんなこと聞いたことない,と)怪訝な顔をされていました。もうお一方は市内に多くの事業所を新しく開いた方で、各事業所に神棚を祭るにあたって、氏神様が(この神社の)兼務社であることを比々多(相模三之宮の神社)さんから教えてもらってきてたものの、その神札が、年末年始しか用意できないと言われたそうで、神宮大麻とセットで買うつもりだったのを諦め、箱根神社で毎年揃えることにしたそうです(阿夫利神社では神宮大麻は扱っていない)。伊勢原大神宮の授与所には、願意は一通りそろっており、茶店や清潔な境内、新しい社殿はあっても、参詣者と直接接触するのは授与所ですから、年半ばで伊勢原市内に転入してくる方もいるわけで、兼務している神社があるのなら、各神札は通年本務社で用意しておくのが常識です。その説明で行きますと、3月に転入してきた方が伊勢原大神宮へ参り、兼務社さんの神札を求めに来て、無ければ、残りの9か月は神棚が整わない状態で過ごさないといけないと嘆いていました(まさか"氏子に訊け",とは言ってないと思うが)。これでは怠業も甚だしい社務と言えます。お守りも同じく、いい加減なことを申したら、たちまちにバレますから、噂は噂を呼んで初穂料増収をみずから遠ざける禍事(まがごと)を呼び込むことになります。備えるべきものはつねに備え、正しい受け応えを心掛けてほしいものです。
芹沢安久芹沢安久
伊勢原市に有る神社です。建立は、元和6年(1620年)その昔、伊勢の国「山田曾右衛門」と鎌倉の「湯浅清左衛門」によって開墾された「伊勢原」。この地の鎮守として曾右衛門が伊勢神宮の神様を勧請し、奉祭する為、創建されたのが「伊勢原大神宮」です。 伊勢の神宮にならい、内宮は天照大神。外宮は豊受姫大神を御祭神とする内宮・外宮二社殿形式。 この神社のシンボルマーク「紅白の🥚珠」は、内宮と外宮を表現したものとの事で、丸と四角・赤と白・人と自然をイメージしてデザイン化されたとの事。「ひとりよりふたり」「ひとつよりふたつ」のテーマによりお互いが存在して、はじめてつり合いがとれ、平穏な世の流れを生み出し、【縁結び・夫婦円満・子宝】など、人生諸事何事も和やかにいくよう【万事円満】を祈念する伊勢原大神宮の象徴となっています。 小田急小田原線「伊勢原駅」北口下車より中央通り沿い徒歩10分。無料駐車場有り。 境内には茶屋があって「おしるこ」等食べる事もできます。
See more posts
See more posts
hotel
Find your stay

Pet-friendly Hotels in Isehara

Find a cozy hotel nearby and make it a full experience.

伊勢原市のシンボルとも言える神社⛩️ですね! 境内には、お伊勢さんの「外宮」と「内宮」が鎮座しております。また、同じく境内には、旧神明社(大神宮)管理の別当の寺が置かれていました。いまは、「照見山神宮寺遺跡」の案内板が御神木の大ケヤキの足元で静かに、今も地蔵菩薩立像が変わりなく見守っておられます。 社号:伊勢原大神宮 祭神:天照大御神(内宮)、豊受姫大神(外宮) 境内社:春日神社、稲荷総社 住所:伊勢原市伊勢原3-8-1 【新編相模国風土記稿による伊勢原大神宮の由緒】 (伊勢原村)神明社 村の鎮守なり、内外の両社並び建り、拝殿・神楽殿・供所等あり、内宮の神体銅像、長二寸、背に運慶十九代、大佛師田中刑部正徳四年午五月吉日と彫れり、外宮神体木像、長四寸一分、背後の銘上に同、當村開墾の頃勧請せし所にて、伊勢の神廟に擬し、二十一年目毎に社頭修理を加へ、遷宮の式あり、例祭六月十五・十六の両日なり、村持。 末社。愛宕虚空蔵不動合祀、愛宕は村民加藤氏の者勧請す、鐘楼あり、享保十六年の鋳鐘をかく、序銘あり、文中に當村開墾及本社勧請等の事を載、土人の傳に異ならず。 稲荷、三峰、恵比須、道祖神、大黒秋葉、辨天、天神、八幡、天王、金比羅。 社僧神宮寺。照見山と號す、普化禅宗、武蔵国青梅鈴法寺末、本社と同時の起立にて開祖雲晴風月、寛永十三年七月十一日卒、宗祖普化の画像を本尊とす。(新編相模国風土記稿より) 【境内掲示による伊勢原大神宮の由緒】 当社の創建は、江戸時代初期の元和年間(一六一五〜一六二四)のことであると伝えられております。 元和六年(一六二〇)伊勢の国の人、山田曾右衛門と鎌倉の人・湯浅清左衛門は、大山参詣の途中、千手原という松原に一夜の宿を求めたところ、水音を聞いて開墾可能であることを悟り、当時このあたりを支配していた中原代官成瀬五左衛門の許可を得て、開墾に着手したのです。そこにだんだんと粕屋あたりより人が集まり、現在の伊勢原市街の基礎が形成されました。曾右衛門は、この新しい開拓地の鎮守として、故郷である伊勢の神宮の神様を勧請し、奉斎することにいたしました。こうして創建された当社の御祭神に由来して当地は伊勢原と呼ばれるようになりました。 伊勢の神宮では、天照大御神が内宮に、豊受姫大神が外宮に、それぞれ奉斎されています。当社もこれにならい両宮が別々に奉斎されています。全国でも珍しい社殿構造は、江戸時代に編纂された「新編相模国風土記稿」にもみられ、創建以来の伝統として現在も受け継がれております。境内には神宮遥拝所が設けられ、当地より伊勢の神宮をお詣りすることができます。(境内掲示より) 【照見山神宮寺遺跡】 伊勢原の町が開かれたのは江戸時代のはじめ、元和年間(一六二〇年頃)と伝えられています。旧神明社(大神宮)創建と同じころ、神社の管理に当たる別当寺が境内に置かれ、それが照見山神宮寺という普化禅宗の寺でした。 普化宗は中国(唐)の普化禅師を祖として、鎌倉時代に禅僧と共に渡来したと言われ、尺八の音と結びついて広まりました。 普化宗の僧は虚無僧と呼ばれ、江戸時代に入ると徳川幕府の庇護もあって武士が入門し、寺の通行手形を持って全国往来が自由でした。 天蓋をかぶり、免状(本則等)をふところに尺八を吹き、托鉢吹禅をしながら各地を歩いて修行を重ねました。 虚無僧が吹いた尺八の曲は、無名の人々によって吹き継がれ、今日に至っています。 普化宗は、明治四年太政官布告により廃宗となり、神宮寺の建物は明治七年には、一時期、伊勢原小学校の前身として使われましたが、今は境内に石灯篭を残すのみです。 照見山神宮寺は活惣本山鈴法寺(東京都青梅市)末寺頭として相模、足柄、小田原、伊豆一円を寺場とし巡回した記録が残されています。 鈴法寺で幕府と普化宗についての多くの記録を残している嘯山勇虎をはじめ神宮寺歴代の墓は大福寺にあります。(照見山神宮寺奉賛会掲示より)
oki hiroshi

oki hiroshi

hotel
Find your stay

Affordable Hotels in Isehara

Find a cozy hotel nearby and make it a full experience.

Get the Appoverlay
Get the AppOne tap to find yournext favorite spots!
伊勢原駅を北口に降りると、デカい鳥居がお出迎えするんですが、これは、大山阿夫利神社の参道スタートの鳥居で、伊勢原大神宮さんの参道ではありません。ただ、僅かですが短絡路にはなりますので、ここを抜けて県道に出て北へ向かっていくと、右手に境内地が見えてきます。クルマの方は、R246を駅入り口で左折すると、すぐに境内車寄せ(狭い)にアタマから突っ込めます。歩きの方は、カフェが目印。このカフェ、「とこわか」と言って、もぉ いかにもお宮然とした建物で、神社直とゆうのがわかります。和の茶店なので甘味だけを一通りそろえていまして、ところてんとか磯辺焼きなどのしょっぱいものは置いていません。 境内の南側が くの字 に凹んでいまして、鳥居をくぐって、正面左右に社殿が並び建ち、左が内宮、右が外宮と、だからお賽銭は最低でも2回分必要になります。どちらが大きいとゆうわけでもなく、お伊勢さまと同様に、やはり内宮に主祭神となっているようです。授与所は左手にあり、ここの品揃えがクセ者で、先日お参りした際には、ブツブツ言いながら茶店で休んでいた方がいました。伊勢原市のゆるキャラに"くるりん"とゆうのがいて、そのイラスト入りのお守りがあると人から聞いてきたら、無いと言われたそうで、いけないのが、その理由。「Ⓒの問題で・・もう無い」と説明があったそうなんですが、この人たち市役所の職員さんたちで(そんなこと聞いたことない,と)怪訝な顔をされていました。もうお一方は市内に多くの事業所を新しく開いた方で、各事業所に神棚を祭るにあたって、氏神様が(この神社の)兼務社であることを比々多(相模三之宮の神社)さんから教えてもらってきてたものの、その神札が、年末年始しか用意できないと言われたそうで、神宮大麻とセットで買うつもりだったのを諦め、箱根神社で毎年揃えることにしたそうです(阿夫利神社では神宮大麻は扱っていない)。伊勢原大神宮の授与所には、願意は一通りそろっており、茶店や清潔な境内、新しい社殿はあっても、参詣者と直接接触するのは授与所ですから、年半ばで伊勢原市内に転入してくる方もいるわけで、兼務している神社があるのなら、各神札は通年本務社で用意しておくのが常識です。その説明で行きますと、3月に転入してきた方が伊勢原大神宮へ参り、兼務社さんの神札を求めに来て、無ければ、残りの9か月は神棚が整わない状態で過ごさないといけないと嘆いていました(まさか"氏子に訊け",とは言ってないと思うが)。これでは怠業も甚だしい社務と言えます。お守りも同じく、いい加減なことを申したら、たちまちにバレますから、噂は噂を呼んで初穂料増収をみずから遠ざける禍事(まがごと)を呼び込むことになります。備えるべきものはつねに備え、正しい受け応えを心掛けてほしいものです。
さんさと

さんさと

hotel
Find your stay

The Coolest Hotels You Haven't Heard Of (Yet)

Find a cozy hotel nearby and make it a full experience.

hotel
Find your stay

Trending Stays Worth the Hype in Isehara

Find a cozy hotel nearby and make it a full experience.

伊勢原市に有る神社です。建立は、元和6年(1620年)その昔、伊勢の国「山田曾右衛門」と鎌倉の「湯浅清左衛門」によって開墾された「伊勢原」。この地の鎮守として曾右衛門が伊勢神宮の神様を勧請し、奉祭する為、創建されたのが「伊勢原大神宮」です。 伊勢の神宮にならい、内宮は天照大神。外宮は豊受姫大神を御祭神とする内宮・外宮二社殿形式。 この神社のシンボルマーク「紅白の🥚珠」は、内宮と外宮を表現したものとの事で、丸と四角・赤と白・人と自然をイメージしてデザイン化されたとの事。「ひとりよりふたり」「ひとつよりふたつ」のテーマによりお互いが存在して、はじめてつり合いがとれ、平穏な世の流れを生み出し、【縁結び・夫婦円満・子宝】など、人生諸事何事も和やかにいくよう【万事円満】を祈念する伊勢原大神宮の象徴となっています。 小田急小田原線「伊勢原駅」北口下車より中央通り沿い徒歩10分。無料駐車場有り。 境内には茶屋があって「おしるこ」等食べる事もできます。
芹沢安久

芹沢安久

See more posts
See more posts