Awesome place . I went here with my sister and that too in rainy day it was little dangerous because we were in fear of slippery road . The road towards the mountains is little congested and while coming back we faced some difficulty when one more car came in front of us . So new drivers be careful . But worth going we loved it . O my god the smell of real nature you really can feel the smell of trees 🌲mountains and air .so I came again here with my family and this time we came here in sunny 🌞 day it was awesome feeling must visit place . Toilet is available. Mask is compulsory. Parking...
Read more近畿三十六不動尊霊場の参拝でお伺いしました。 真言宗犬鳴派の大本山で犬鳴山白雲院七宝瀧寺といい、不動尊霊場第三十三番札所になります。 御本尊は倶利伽羅大瀧不動明王です。 斉明天皇七年(661年)に役小角によって大峰山山上ケ岳が開かれる六年前に開山したと伝わり元山上(もとさんじょう)と呼ばれている、古くは犬鳴山を含む和泉山系全体を「葛城」と呼びその中でも犬鳴山は西の行場・東の行場を持つ葛城二十八宿修験道の根本道場であった。 平安時代初期の大干ばつに見舞われた際に雨乞いを祈願して雨が降り、それを知った淳和天皇が「七宝瀧寺」と名付けたという、宇多天皇の時代の寛平二年(890年)三月に紀伊国の猟師がこの山域で狩りをしていた際に連れていた犬が突然激しく鳴き出し、結果猟師が射ようとしていた鹿が逃げてしまった、怒った猟師は犬の首をはねたのだがその首はそれでも飛び跳ね今まさに猟師に襲いかかろうと狙っていた大蛇に噛み付いた、犬は主人が大蛇に狙われているを知って鳴いていたのであった、愛犬に救われたと気付いた猟師はこれを悔いて七宝瀧寺の僧となって愛犬を供養した、このことを聞いた宇多天皇はいたく感動して七宝瀧寺に「山号を犬鳴山」と改めよと勅号を賜ったと伝えられている。 南北朝時代の正平十七年(1326年)南朝方の橋本正高が志一上人を犬鳴山に招いて不動堂を建立して中興した、七宝瀧寺は室町時代に栄えたが戦国時代になると織田信長に寺領を没収され、天正十三年(1585年)には豊臣秀吉の根来寺攻めによって七宝瀧寺も本堂以外の堂舎が焼き払われ一時は廃絶同然となったが、後に豊臣秀吉の寄進によって滝本坊が再建され御供養米として三十石が寄進されている、江戸時代には岸和田藩主の岡部行隆より新田五反歩の寄進を受けるなどして現在見られるまでに寺は復興した。 明治時代になると廃仏毀釈で被害を受けた上に修験道が禁止され七宝瀧寺は著しく衰えたが明治時代後期には再興された。 昭和二十五年(1950年)には真言宗犬鳴派を設立し葛城修験道の根本道場として修験道総本部を設置した。 本堂には御本尊の倶利伽羅不動明王像(役行者作の木造立像)が祀られている、今まさに利剣を呑み込まんとする龍の姿をしていますが秘仏であり辰年辰の月(現在の四月)・酉年酉の月(現在の九月)に御開帳法要が営まれる。 境内の身代り広場には像高七メートルの大きな身代り不動明王が安置されています、また山中には犬鳴川が流れており「行者の瀧」など計七...
Read moreThis was my 4th visit 😆 I took the bus from Hineno station fee 460¥ , and it takes about 20 mins (the bus comes every hour) .We got off at the last stop and walked about 30 mins. During the rainy season, the forest was soooooo green, there were 2-3 waterfalls with crystal clear water 😃 Dont forget to check for the last bus from...
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