20/11/3 参拝。 江戸幕府の名により薩摩藩が木曽三川分流工事を請け負い、家老平田靱負(ひらたゆきえ)及び薩摩藩士84名がその任に当たりました。工事は完成したものの多くの藩士が命を落とす事になり、平田はその責任を負って自害されました。 犠牲は伴ったものの、地元の民は大いに恩恵を受け、代々恩を忘れる事はありませんでした。時が経ち昭和13年、平田大人を神と讃える地元の民が建立、彼を御祭神とし犠牲になった薩摩藩士と共に祀りました。 境内には尾張の地であっても、薩摩藩の家紋が誇らしげに記されています。 水害から守ってくれる非常に強い神として、全国から個人、企業問わず参拝者が来られます。
この日は木曽三川公園に最後のコスモス観賞に訪れました。その横にあるのでここにも立ち寄りました。時間は朝の10:00過ぎ、公園にはボチボチ家族連れや散歩に来られた方々が見られましたが、こちらにはあまり人は見受けられません。公園側から階段を下りると神社本殿の横に行けるのですが、外の道から鳥居のある表参道へ回ります。 道路から少し階段を下りたところに参道があります。境内は貯水池沿いにあり、こちらが水に関わる神だとよく分かります。鳥居の手前に神社名が書かれた石碑が見えます。その横に東郷平八郎...
Read more10月30日509回目のサイクリングに自宅を7時30分出発。秋めいた季節となり早朝は夏仕様のサイクルウェアでは肌寒く感じます。一宮138ツインタワー周辺サイクリングロードにはカラフルなウェアを着たサイクリストが次々と走り去って行きます。木曽川中洲川島町外周道路を2周、河川環境楽園外周道路を1周して木曽川堤防道路を南下。頬を掠める風が心地良くペダルの回転もいつにも増して滑らかです。木曽川祖父江緑地で今日初めての休憩です。馬飼大橋を渡り木曽川と長良川の中道へ。中道を走行する親子連れに遭遇。かなり走り込んている様子が窺えます。子供は12〜13歳の男の子。必死で親子を追うのですが縮まるどころか差は開く一方です。最初は30m程でしたが中道10kmを走り終える頃には約200mの差になっていました。ハアハアと息が上がります。木曽三川公園展望タワー前に鎮座する治水神社に立ち寄りました。治水神社は岐阜県海津市海津町油島にあります。木曽三川の水害に悩む濃尾平野西南部の住民を救うため薩摩藩士が治水工事を完遂したと云う歴史があります。治水神社はその功績を称え昭和13年に創建されました。御祭神は平田靱負正輔大人命(ひらたゆきえまさすけうしのみこと)です。御神徳は除災招福、心願成就、家内安全、国土安穏です。サイクリングの続きです。長良川大橋、立田大橋を渡り木曽川堤防道路を北上。東海大橋から八開稲沢線512号経由稲沢へ。14時10分自宅に到着。走行距離103kmで6時間40...
Read more木曽三川公園センターへ行くと帰りにいつも治水神社が気になってました。 御朱印巡りしてます(主に全国一之宮巡り) この日は公園へチューリップを見た帰り信号で待ってたら なんとな~く治水神社へ行ってしまった。
宝磨治水(ほうれきちすい)工事に尽力した薩摩義士を祀ってるようです。 HPに・・徳川幕府は、木曽三川の水害で悩む濃尾平野西南部の 住民を救うため薩摩藩にお手伝い普請を命じました。 薩摩藩士らは、経験したことのない水の流れに苦しみながら この地方の住民のため、多大の犠牲を払い 万難を排して工事を見事完成させました・・以下省略
大鳥居から左手には揖斐川(三重県側) 手水舎・社務所・治水昭和之宮・伊藤光好胸像・薩摩義士像 育て松・隼人橋、その他歴史に関係ある方の記念碑がたくさんあります。 家紋が2つあるようです。 島津家家紋~丸に十の字 平田家家紋~丸に上り二つ引両 そして建物が面白いと思いました。 本殿・祭文殿・拝殿が、渡殿で連結されてます。 御朱印で参拝ではなかったのですが御朱印帳は自宅待機 書置きを拝受いたしました。 自分の前にみえた方が御朱印に直筆で御朱印を頂いてましたが 今の時期、コロナで書置きが多いです。 今度は御朱印帳を持参して改めて参拝させて頂きたいと思います。
こぼれ話・・ 薩摩繋がりで九州の方から参拝に来られる方が多いそうです。 工事に携わってた方々が病気で亡くなられ 羽島の方にも埋葬されてるような事を聞きました。 (...
Read more