Izumo Daijingu : Tamba Izumi Daijingu Shrine is located in the central part of the course of Shichifukujin Meguri Tour in Chitose-cho. The structure of the shrine was originally built in 709. In ancient times the moluntain behind the shrine ( Mt. Mikage ) itself was considered a sacred place, therefore the shrine was established in this place to enshrine its guardian. Despite there are many other shinto shrines nationwide holding a name of Izumo by enshrining a divided tutelary deity of Izumo Taisha ( the main deity held in the head of Izumo ), this Izumo Taisha does not belong to Izumo Taisha of Shimane. The shrine is an individual entity. ( Trans-word+ TGM...
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京都市内の出雲路橋に小さなグランドがあって、そこで火曜日・木曜日は部活。当時はなんの疑問もなく、出雲という言葉を使っていました。 出雲阿国も含め、京都市内の出雲は、島根県の出雲と思い込んでおりましたが、ある時、出雲路橋から始める出雲への道程とはどのような経路なのか、グルーグルマップで探っていると、亀岡に丹波国の一ノ宮として出雲大神宮があるではないか?と出雲大神宮を発見。そこなら、鞍馬口通りから金閣寺、竜安寺、仁和寺、山越えを抜けて清滝から亀岡への経路が描ける。 平安京ができる前から、出雲氏が京都に暮らしていて、賀茂(鴨)氏とともに部落を形成、上御霊神社がその氏神としての歴史を背負っていると知ったとき、がぜん、出雲への興味が沸き上がり、出雲の意味合いを探るようになりました。 (出雲大社は杵築大社、明治以降に出雲大社と呼ばれるようになった。) (京都の氏子勢力図から京都を見直すとまた違った京都が見えてきます。今宮神社の氏子である私は、以前から上御霊神社勢力が不思議だった。松尾大社、八坂神社など京都のお祭りエリアから探ることもできます。)
で
巫女さんに、なぜ亀岡に出雲なのか
尋ねてみた。
大和朝廷との接点だったと聞いております。
やっぱり。 出雲とは大和政権が確立される前から、日本海を中心に栄えた国のようなまとまりをもつ勢力であったことがうかがえます。そしてその拠点としての出雲大神宮。山のふもとに存在する境内、その戦略的な地理的条件を考えると、単に神様を崇めるだけの場所じゃないような気もしています。 真名井という言葉も非常に引っかかります。 古事記や日本書紀に封印された出雲の歴史、国譲り、神有月、徐福、秦氏、鉄、三種の神器の剣、なぜ熱田神宮、海部氏、物部氏、・・・。 最後に、なぜ最上級のだし昆布は東京に行かず京都に集まるのか。 この世を去るまで興味の絶えないところだと感謝しております。
出雲路橋から始まる出雲路の謎は始まったばかり。 出雲大神宮に立ち...
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