帝釈寺、兵庫県美方郡香美町香住区下浜。 本尊=帝釈天。喜見山、高野山金剛峯寺。 海辺の民宿街や漁港の村、山の稜線上に続く丘上へ寺域を持つ。初期は七堂伽藍とし、現在は、本堂(帝釈天)、持仏堂、薬師堂(薬師如来)、淨聖殿(聖観世音菩薩)、鐘楼を置くほか、枕石が見える。 本堂は、宝形造、桟瓦葺、五間とし、赤みがかった瓦を特徴とする。隣の持仏堂などと並んで建ち、最も大きな構造物とする。大きな柱が見え、五間すべてに障子戸を付け、外側に縁側となる廊下を配す。正面は石段を持つ。 本堂の中央に厨子が置かれ、本尊とする、木造帝釈天倚像を収める場所がある。幕が張られ、厨子の有無も視覚的には分からないが、豪華な装飾に囲まれている。 持仏堂は、入母屋造、桟瓦葺、三間、平入とする。方丈形式、3つの部屋を持つ形で、前後2間、奥側へ仏像を安置する。縁側が手前にあり、正面へ石段を付ける。隣接する建物をつなぐため、渡り廊下を備えている。色濃い瓦と、白い壁、渡り廊下の黒が重厚な印象を与える。 薬師堂は、切妻造、瓦葺き、一間、平入とする。三番叟の舞台としても機能する造りで、大きな引き戸を付けている。簡素な造りだが、芝居の大道具を収めるに相応しい。床張り。 淨聖殿は、宝蔵、コンクリート製の頑丈な造りで、聖観世音菩薩を収める。宝形造、瓦葺き、一間とし、分厚い扉を付けるが、内側に障子戸を配す。正面に石段を付ける。内部は、木造とし、奥へ厨子を置く。
枕石は、寺域の入口へ並べられた、大きな板状の石で、解説には、6世紀へ言及があり、蘇我氏と物部氏の仏教に係る争いが見える。石については、白鳳4年(676)、本尊が漂着した際、波打ち際で枕にして横たわったとする浄石で、運び上げられたものとする。人工的と思しき穴が数か所に空けられている。
帝釈天は、帝釈寺の本尊として、本堂中央の厨子内に安置される。木造帝釈天倚像、倚像(いぞう)とは、椅子に腰掛け、両足を前に垂らす姿勢を取るもので、帝釈寺の像は、筆を持っているのが特徴となる。光背部に法輪を持ち、炎をまとっている。象に乗る姿は典型的だが、空海の解釈によるものと聞く。 古い作で、表情は質素な印象も持つが、まっすぐと見つめる視線は、実直なもので、ややこわばったような表情にも感じられる。ふくよかな顔に、口元は、穏やかなものを見る。 聖観世音菩薩は、大宝2年(702)、法相宗開祖の道照上人が刻んだとされるもので、帝釈天の脇仏として祀られ、寺の創建時に道場を建立したと云う。本堂裏手の蔵・淨聖殿へ、逗子に収まる。 印象として、彫りものが消えかかっていて、表情がおぼろげなものとなっている。 木像立像で、宝冠をかぶり、頭のこぶは肉髻とする。顔はふくよかな印象だが、静かな表情をしている。奥深くに力強さを感じる。右手は下ろしており、与願印とし、左手は何かを持つような仕草に見えるも、はっきりしない。但馬の仏像では、蓮華を持っていたと書かれている。桧の一木造り、伝承と異なり、平安時代後期の作とする。 薬師如来坐像は、右手を上げ、施無畏印を示し、左手は、薬壷を持つ。穏やかで、静かな表情を見せ、澄ましたような口元に感じられる。舟形光背とし、大きな背を持ち、雲模様を付ける。蓮台に乗り、大きな蓮弁、螺旋を描く受け皿、反花、框とする。 香美町指定文化財とし、桧の一木で造り、内刳りを作り込んだという、割矧造の像と紹介される。後世の補修があるものの、主幹部は当初ままを残す。平安後期、12世紀の特徴を持ち、なだらかな彫りの衣文を見せる。 修行大師は、立像で念珠と五鈷杵を持つ。空海の姿を模している。遍路ができない人は、修行大師を参拝することにより、代わりに遍路を行ってもらえるという信仰がある。 ほか、水...
Read moreMake your way to inland toward route 178 you may notice there is a uniquely shaped brown Temple roof. The name of this temple is Taishakuji of Kami-cho. The temple is designated as a very important cultural asset enshrining a statue of Taishaku Tenkizo curved in 16th century. There are two shinto shrines right next to the temple named Houtei Shrine and Yahata Shrine.
Trans-word+ :...
Read more重要有形文化財です。 できたのは16世...
Read more