蘇我氏の血が入らない敏達帝の孫である田村皇子が、蘇我蝦夷により聖徳太子の嫡男であり蘇我馬子の孫にあたる山背大兄皇子を選ばずに舒明天皇となっている。
その舒明天皇が、飛鳥の岡本宮から田中宮、そして最後にここ百済に宮を変遷している。
つまり舒明天皇が飛鳥を本拠とする蘇我蝦夷からの離反を示した変遷を物語るとしている。
蘇我蝦夷が推古天皇と聖徳太子が進めた政策に反発した結果として蘇我氏と血のつながらない舒明天皇を作り、推古天皇と聖徳太子が築いた小墾田宮を捨て飛鳥へ宮を移した。
しかし、血の繋がらないことの結果はやはり大きかった。舒明天皇とやはり蘇我氏の血が入らない皇后である後の皇極帝との間にできた中大兄皇子に蘇我蝦夷の息子である蘇我入鹿は唆されて、蘇我氏の血を引く聖徳太子の嫡男である山背大兄皇子を含めた聖徳太子の子孫一族全員を斑鳩の里で殺した後、息子である入鹿が中大兄皇子に殺されること...
Read more「くだらじ」と読む。滋賀県の湖東三山のひとつ百済寺は「ひゃくさいじ」と読むからややこしい。もっとも今は歴史の教科書でも国名の百済を「くだら」「ひゃくさい」と併記する。この「くだらじ」も当然、古代の百済国と関係があるのかと思ったが、確実な史料はないらしい。伝承では飛鳥時代創建の百済大寺(平城京の大安寺の前身)の旧地とされているが、歴史学者からは疑問視されている。それでも三重塔は鎌倉時代中期の建立で重要文化財になっているから、相当由緒のあるお寺であることは間違いない。本堂の名称が「大織冠」(藤原鎌足の尊称)というのが面白い。この辺りは古くから多武峰領で談山神社から移築されたものと知って納得した。現在はお寺としての機能はどうなってるのか知らないが、隣接する春日若宮神社の管理下にある。藤原氏の氏寺、氏神である多武峰(談山神社は本来は寺院)や春日大社の管轄...
Read more広陵町には「百済」という地名があり、おそらくは、新羅に滅ぼされた百済の人々が多く移住してきた地なんでしょう。
住宅街の中に突如現れる三重塔は素晴らしいです。この塔は鎌倉時代の建立とのことですが、国宝級美しさです。
私はナビで行きましたが、なぜか(ナビがあほなのか)南側のほそーい道から案内されましたが、北側の奈良県道112号田原本広陵線から来た方が無難です。
車は百済寺公園に停められますし、きれいなトイレもあ...
Read more