昭和20年代にJR奈良線で良く土砂崩れが起こる場所だったため拡幅工事が行われ偶然に邪馬台国論争のカギの一つであった「三角縁神獣鏡」が全国で初めて多数(33枚)出土した古墳です。
今迄にない大発見に卑弥呼の墓説も登場。後に黒塚古墳でも発見されたことで今までナゾだった鏡の置き方などが分かると刀や剣と頭部に置かれていた画文帯神獣鏡に比べ被葬者を囲むために多用された鏡が本当に卑弥呼の鏡なのか?と疑問視されています。発掘データの積み上げで予定数を大幅に超える数量に達したのも一役かと。
数の多さは奴国大乱後に30ほどの国に減ったので各国からのお供え物だとか、生前にお墓を用意していたが悪事を働いたので封印のためだとか答えの出ないであろう話しは今も尽きないようです。
古墳時代前期で全長175mと尾根筋を削って築かれた国内有数の巨大前方後円墳です。 鏡以外にも武器、武具、工具、農具や漁具なども収められていて木簡などを削るのに使用する刀子は日本最古例だそうです。
JR上狛駅からの山背古道のハイキングで立ち寄る方が多いです。 一駅間のハイキングだとしても寺院など全て周ると結構疲れます。平日に運行されている木津川市のコミュニティバス(200円)を組み合わせてみるのも良いかと思います。 自動車は住宅地なのでオススメしません。
JR線西側の方墳部分は家が建つ個人宅なので東側円墳部中心の見学となります。
上狛駅からだと道案内で進みJRを越して個人宅を通り抜けると円墳部へ出ます。 オススメは北側からでJRの下を潜った少し先に新たに道ができたので階段を登ると円墳登り口前へ出られます。
上狛駅から徒歩20分ほどの「ふるさとミュージアム山城」にはジオラマや水銀朱、鏡の破片や複製品などが数点展示されていました。
古墳や歴史研究を牽引してきた所ですが観光だと黒...
Read more山背南部を治めていたヤマト王権メンバーの大王墓と考えられている古墳時代前期を代表する撥型の前方後円墳で円墳部は四段築成の葺石有り埴輪は見つかっていません。後円部の周溝に見える部分の地下に一段目の葺石が埋まっているので築造当時よりかなり小さいです。
円墳部を東側にした東西方向に築かれているのですが円墳部はJR奈良線で半分ほど墳丘が失われていたり前方部には民家が建っているので巨大古墳なのに存在感は乏しいです。今も奈良街道が横を通っているので出来た当時は良く目立っていたのでしょう。
埋葬施設は竪穴式石廓で持送りではなく板石で塞ぐタイプです。見つかった多量の鉄製品や銅鏡などの副葬品はその後の古墳(古代史)研究の基礎史料として不可欠な物となっています。特に銅鏡は有名で32枚も見つかった三角縁神獣鏡には卑弥呼が魏に朝貢した「景初三年」の銘が含まれていた事もあり卑弥呼の墓だとの噂も飛びかうほどでした。
出土品は京都大学所蔵ですが大学の博物館では展示されていませんでした。京都府立山城郷土資料館(ふるさとミュージアム山城)にはホンモノの銅鏡破片や銅鏃や水銀朱などと神獣鏡のレプリカが数枚展示されています。古墳近くまで行ける木津川市のコミニティーバスが停まるJR棚倉駅近くの『アスピアやましろ』にもレプリカが展示されています。
駐車場は無くなりました。
バス停から奈良街道を進むとある案内図には新しく出来た道が載っていないのでかなり遠回りになります。案内図では戻れUターンと案内されている北側の道をそのまま進むと右手に階段があり円墳部近くへでます。JR線路下を潜って直ぐの右手の高まりが後円部で線路に沿って登れたのですが危険なので...
Read more椿井大塚山古墳(つばいおおつかやまこふん)は、前方後円墳で国の史跡に指定され、出土品は国の重要文化財に、石室天井石は木津川市指定有形文化財に指定されています。古墳は3世紀中頃の古墳時代初期に築造されたと考えられています。破壊が進んでおり、本来の正確な規模は不明です。後円部はJR奈良線によって分断されています。 墳丘は全長約175m、後円部は直径約110m、高さ20mです。前方部は長さ約80m、高さ約10mと推定されています。墳丘の大部分は自然の山を利用しています。 埋葬施設は、南北長6.9m、幅1m、高さ3mの竪穴式石室に板石・割石を積んで壁を立ち上げ、天井も板石を置き粘土で厚く覆っています。床には板石・礫・砂を敷き、その上に粘土を施し、長大なコウヤマキの割竹形木棺を安置しています。石室内には朱が塗られ、粘土床には10キログラムを超える水銀朱がまかれていました。 昭和28年(1953)、国鉄奈良線の拡幅工事の際に竪穴式石室が偶然発見され、当時最多の三角縁神獣鏡32面が出土しました。それ以外には三角縁神獣鏡より少し古い内行花文鏡2面、方格規矩鏡1面、画文帯神獣鏡1面が出土し、総計36面以上の鏡と武具が出土しました。また、日本最古...
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