観音寺城主の佐々木六角氏六角高頼が被官であった三雲氏に命じて造られたのが三雲城🏯です。1487年築城で山城になります。観音寺騒動のときなどに、六角氏の避難城として機能しています。三雲氏といえば甲賀市いったいを合議制で治めていた甲賀53家の一つで最有力であったといいます。足利幕府の攻撃を受けてしろの築城を命じたとされています。信長の家臣佐久間信盛の攻撃を受けたときに1570年に三雲城は落城しました。その後は織田信雄、蒲生氏郷に仕え、江戸時代ななは、1000石の旗本として江戸幕府に仕えてました。幕末まで家を存続しています。大手道を登って10分ほどで、三雲城跡につきます。主郭の回りには、土塁、大きな石で造られた枡形虎口、穴太衆の石垣、穴太衆が積んだ6メートルある井戸、土塁の下に垂直に竪堀などあります。石垣には、矢穴のついた石が使われています。大きないしをクサビで割る時に使われた跡です。滋賀県では1400年代に造られた証拠で他には観音寺城にも残されてています。各曲輪の下段に敵の情報を見たという大きな八丈岩があります。八丈岩のてまえにある大岩に六角氏の家紋がほられています。最近では、倒れそうで倒れない大岩がそびえ立っている形態から落ちないと受験生が訪れていりようです。甲賀忍者の猿飛佐助の育った城としても有名です。司馬遼太郎が風神の門の小説に三雲佐助賢春が猿飛佐助であると書かれています。甲賀忍者は大阪冬、夏の陣の時に豊臣氏に仕えていたので活躍したといいます。子供の時三雲城趾で育ち近くにあります八丈岩で修業したといいます。甲賀53家は六角氏を支えていた地侍をいっていました。その後甲賀流忍術の中心となった家々といわれています。JR三雲駅から三雲城跡入り口まで旧東海道を歩いて約1時間で、そのあと10...
Read more生憎の雨でしたが 伺ってみました。
雰囲気は里山にある城跡でしたが 振興住宅の奥にあるので 道からの案内板もしくは ナビがなけれぱ なかなかたどり着けない感じです。
住宅地を抜けると アスファルトの山道が城跡の 登り口まで続いていましたが 車で行くと駐車スペースが 2~3台ですので 停められないケースも ありそうです。
登り口から 城郭近くにある見張り台まで 階段の山道を上がると 視界は良く 遠くに「三上山」が見えました。 隣の「八丈岩」の大岩も 迫力満点の存在感でした。
また、 噂通り 落ちそうで落ちない この大岩の感じは やはり受験生には 肖りたいシチュエーションかなと 思えます。
その後 「馬の背」を通り 「土塁」や「虎口」、「古井戸」を 見て回りましたが各ポイントへと続く 通路、階段は整備されており 足元もしっかりと認識して散策できる レベルでした。
ドラマ「スカーレット」での 撮影された場所もある、 というだけあって 眺望もなかなかでした。
最後に、 心残りなのは 六角氏の家紋の「刻印」の入った岩です。
近くまで行ったのですが その「刻印」を 見付けられなかった事でしょうか…。 見る角度が悪かったのか 見落としていたのか 残念でした。
天気や時期が良ければ、 ハイキング、...
Read more六角さんも、たびたび逃げ込む、南近江の堅牢な山城。 甲賀のこの地に、珍しく石垣あるとのことで、訪問。
縫うように、住宅街の案内板の表示を辿り、車で、上りを攻める。 登城口、駐車場まで軽快にワインディング。
登城口案内板、綺麗に整備されてる感じから、攻城意欲湧く。 ここで、落ちそうで、落ちない石あるのに、気づく。丹波の赤鬼さんにもあったなぁ。 こちらは、後で。
早速登城。 直ぐに石垣見えるが、これは、最近積んだ模様。見事だけど、惑わされるw。
枡形虎口からの主郭までは、そんなにかからず。遺構としては、点在する石垣、井戸跡、土塁がチラホラ。
更に上の展望台目指し、開けた先には、野洲市方面からの琵琶湖、対岸まで一望。 戸田恵梨香さんと景色共有?
付近の放射状に伸びた郭を見たあとは、馬の背通り、六角の岩へ。 家紋は、見つけたが、その上の岩には、どうやって登るのだろう。チャレンジするが、ルート分からず断念。プラの足台あるが、役に立つとは思えず。
先の八丈岩、おーっ。これは、見る角度によっては、ホント落ちてきそう。通り抜けるには、勇気いる?
祈願の名所、皆さん思い思いに願ってらっしやる。私? 私はどこへいっても望みは、こ...
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