Beautiful building with a nice restaurant and museum. The building and some others nearby represents the wealth that came from what was once the largest mine in Asia and the building is beautiful. The explanations in English and Japanese give us an interesting insight into the skills, hard work and leadership that built this company and its town. It's a mining company still...
Read more小坂町の小坂鉱山事務所に行きました。
表の銅像と一緒に記念写真を撮りました。^^;
入館料は380円です
病院跡地に移築したということです。
明治38年(1905年)に建設。明治期から大正期にかけて鉱産額日本一を誇った小坂町のシンボル。 近代化産業遺産として認定(経済産業大臣)され国の重要文化財にもなっています。
「旧小坂鉱山事務所」の誕生は、小坂鉱山近代化の歴史に深くかかわっています。江戸時代も幕を引こうとしたころ発見され、明治時代の近代化の息吹とともに躍動を始めた小坂鉱山。
後に日本鉱業界の父と呼ばれた大島高任や「お雇い外国人」として日本鉱業界を牽引したクルト・アドルフ・ネットーらに支えられ、明治初期の「富国強兵」「殖産興業」政策に貢献した小坂鉱山。
その流れは、明治17年(1884)に払い下げを受けた藤田組にも引き継がれ、主要鉱山の地位を確立します。そして迎えた明治30年代、土鉱とよばれた鉱石が底をつき沈滞期を迎えていた小坂鉱山に「黒鉱自溶製錬」の成功は、新たな活気をもたらしました。その起死回生にたずさわった技術者たちが、その後の日本鉱業界に大きな影響をおよぼすこととなります。
そんな順風満帆の時代、小坂鉱山を新時代のリーダーに発展させたいという藤田組の強い意志があり、明治38年(1905)に巨費を投じて豪壮華麗な「旧小坂鉱山事務所」は建設されたのです。まさに旧小坂鉱山事務所は日本一の大鉱山のシンボルでもあったのです。
閉館まで時間が無いので急いでみました。
木造3階建て、ルネッサンス風の華麗な外観。 正面中央のイスラム風といわれるバルコニー付きポーチ。 ルネッサンス風の基調となるのは、屋根の3つのドーマーウィンドー(飾り窓)と、外観に連続する三角形のペディメント(窓飾り)付き窓が付いています。
玄関ホールを入ると見事な「らせん階段」が1階から3階まで通じています。 柱には一本の秋田杉が使用されおり、手摺りは緩やかで美しいで曲線を描いています。
小坂鉱山は日本初の溶鉱炉があったということです。
小坂鉱山は、足尾・別子とともに日本三大銅山と称され、小坂鉱山の生産額は日本一...
Read moreIt describes the mine’s influence on the town. Was one of the most profitable mines in Japan , which brought alot of culture to...
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