聞きしに勝る。どこからともなく現れたガイドの方に「今歩いてる地面の、そこら中にある丸みのある石もこの墓を葺いたものですよ」と言われ、足元にはそれらを知らず踏んでいては(紀元2世紀末の弥生時代後期の、その上に今いるとは…)と恐懼。実際、その巨大すぎる環状列石の上に哄笑するムスカ大佐が降臨し「君はラピュタ王の前にいるのだ」と言われておかしくない。そして実際、ここは何かを契機に成立した吉備王権の最初の陵墓なのである。
ガイドの方からもう一つ聞いたことは昭和を代表する作庭家・庭園史家の重森三玲(岡山県加賀郡吉備中央町出身)もここに来たことがあり、感銘を受けたとか。なるほど、道理でと合点がいく。京都東福寺龍吟庵庭園などを手掛けた氏の、「賛否両論ある」作庭に通底するものはここの体験なのであろう。近隣の岩倉神社の列石群と比べるとここの列石群は形態がかなり異なり、デザインや配置に何らかの意識をしたことは確かに思われるが、それを鑑賞を目的とする庭園に適用したのは早計ではなかったか。しかし、それぐらい強烈な体験になったことも想像はできるというものであり、当時は御神体の旋帯文石も間近に見れたとすれば尚更とも言えよう。旋帯文石と併せて「体験」に値する遺跡である。
尚、吉備王権は水田開拓と製塩で繁栄したとかで、すると同じく倉敷市内の児島で大規模塩田開発を成功させ、日本の製塩業を牽引し、貴族院議員まで輩出した「塩田王」野崎家とその事業(宏壮な旧野崎家住宅が今も現存)がまるで吉備の王霊の地の相を繰り返し体現したかのように立体的に立ち現れてくるではないか。この時を超えた符...
Read more【ジャパニーズ・ストーンヘンジ】前方後円墳のルーツに触れる
古墳が大好きなもので、録画した世界ふしぎ発見!で紹介されていたのを見て、翌日さっそく家族といってきました。
古墳時代に突入する以前に作られた、弥生時代最大級の墳丘墓です。私たちには持ち上げることも動かすこともままならない巨石が、円形に近い状態で立ち並んでいる姿に、ものすごくロマンを覚えました。めっちゃ頑張って運んだな!
番組に登場された考古学者の方によると、円形の墳丘の前後に斜めに参道が配置されており、それを通って参列者が儀式を行う墳丘へと向かったのだとか。この形は双方中円形と呼ばれるそうです。
そのうち権力者の存在が一般人と切り離され、特別な人しか儀式に招き入れられなくなったため、参道が一本になり、墳丘全体がより高く大きくなっていったそうです。つまりその残った一本の参道が前方後円墳の「前方」部分ってことですね。
神格化っていうんでしょうか。まあ、日本で公式に人間が神格化されてんのは天皇家だけですが。
円形に巨石が並んだ中央部分に、石を組み立てた小さな祠があります。大正時代初期まで「楯築神社」として祀られていたそうです。
ご神体として弧帯文様の刻まれた石が安置されていたそうですが、今はそばの収蔵庫に収められています。窓からのぞいてみたけど、残念ながらよく見えませんでした。
「楯築」の名前は温羅(うら)伝説から来ているそうで、吉備津彦乃命が温羅との戦いに備えて石楯を築いて防戦を期したからなんだとか。絶対コレのことだろ!っていう平べったい巨石があるので、ぜひ鬼退治ロ...
Read more岡山の古代の歴史を感じさせる、日本でも貴重なストーンサークル #楯築遺跡 にお邪魔しました。岡山駅から車ですぐ、倉敷に行くまでの途中です。近くまできたところ、、王墓はこちら!と、わかりやすい標識もあり、迷いませんでした。近くに駐車場もありました。 少し歩くと、王墓の公園ということで、お手洗いもありました。虫が多そうで、お邪魔はしませんでしたが(゚Д゚;)(笑)
弥生時代から古代に作られたと見られる 旋帯文石 もありました!貴重な石らしいのですが、いや、岩?かなり大きいものが納められている小さな白い小屋があり、その小さな小屋の小さな窓から、めっちゃ一生懸命みたら、やっと見える程度。人に見せる気はなさそうです(笑) こちらは、ブラタモリ...
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