竹野神社参道を歩いていると右側に表示と手摺があり直ぐに分かりますし 距離も250mと右側全体が「古墳」と思われる近さでした。 前方後円墳の丸い場所に石碑と綺麗に雑草が刈り取られていて迷うこともなくきれいに整備されていて、地元の方々や市が大切に保存管理れていることが伝わります。曇っていたので「青い海」は観れませんでしたが、大成古墳群も車で5分もかからない場所にあることを思えば・・・・ 「丹後大国」がまさに「大国」であったことを物語り 朝鮮半島との往来も「命懸け」で渡ってくるだけの価値があったのでしょう。土器や形あるものが出土するが 言葉(書物)が残ってないのが残念でなりません。 ただ、1500年以上前から人が住んでいたことが大切なんですね。 202205...
Read more神明山古墳(しんめいやまこふん) 墳丘長190mの前方後円墳、築造時期は4世紀末~5世紀初頭と推定。 国指定史跡。 古墳へは竹野神社の脇道から登ることができる。 古代の海岸線と平行に築造されており、海上からは古墳一面に張られた葺石を目印に港が確認できたはずで、当時は一種のランドマーク的な役割があったのかもしれない。 以下、解説板より。 「この古墳は全長180mをこえる丹後地方では最大級の前方後円墳です。 竹野川流域の平野や、遠く日本海を見下ろす丘の上に築かれたこの古墳は、今から約1600年前にこの地方を支配していた豪族の墓です。 古墳には埴輪が並べられ、斜面は葺石と呼ばれる河原石で飾られていました。 竪穴式石室と呼ばれる死者を埋葬した部分はすでに破壊されていますが、 碧玉製の盒子など当時の豪族の権力を示すような遺物が出土しています。...
Read more4世紀前葉〜中葉には、200m級の巨大古墳はヤマト以外では、ほとんど築かれなかった。
例外は大阪府摩湯山古墳、兵庫県五色塚古墳と、タニハの網野銚子山古墳・神明山古墳だけである。しかも墳丘の形をみると、ヤマトの佐紀稜山古墳と・・・網野銚子山古墳はそっくり・・・神明山古墳は佐紀の五社神古墳に近いという。つまり三大古墳は、ヤマトの佐紀古墳群と深い関係を持ち、倭王一族に次ぐ地位にあった人物の墓と考えるのが自然である(京都府の歴史35頁)。
とのようにヤマト政権と外戚関係にあったというタニハですが、墳丘からの景色も抜群で、もっと観光地化してもいいと思うぐらい環境のいい場所ですが、いかんせん首都圏からは遠いのでなかなか行くのは難しい場所です。
天の橋立に来たらぜひ立...
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