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Maizuru Repatriation Memorial Museum — Attraction in Maizuru

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Maizuru Repatriation Memorial Museum
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Maizuru Repatriation Memorial Museum
JapanKyoto PrefectureMaizuruMaizuru Repatriation Memorial Museum

Basic Info

Maizuru Repatriation Memorial Museum

Japan, 〒625-0133 Kyoto, Maizuru, Taira, 1584 内 引揚記念公園
4.2(805)
Closed
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Ratings & Description

Info

Cultural
Accessibility
Family friendly
attractions: , restaurants:
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Phone
+81 773-68-0836
Website
m-hikiage-museum.jp
Open hoursSee all hours
Tue9 AM - 5 PMClosed

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Reviews

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Wed, Dec 10 • 10:00 AM
626-0423, Kyoto, Ine, Yoza District, Japan
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Reviews of Maizuru Repatriation Memorial Museum

4.2
(805)
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2.0
9w

This museum tells you about the repatriation of the Japanese who were sent to Russia during WWII. It gives you an insight about their point of view in limited English. The museum tells about the terrible and harsh circumstances the Japanese has to endure in -30 °C in Siberia, for example. But there's absolutely no word about the cruelty and numerous war crimes of the Japanese themselves during WWII. There's no accountability of their roles of the extreme and terrible things they did to human kind that actually explains why they were sent off.

So, because this museum lacks explaining about the Japanese part and the war crimes they have committed, this museum doesn't give you an honest, truthful and complete history lesson.

There's free WiFi, so you can use your Google...

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5.0
3y

舞鶴の引揚記念館にも行きました。 ここは第二次世界大戦後、敗戦した日本人軍隊がシベリア抑留で連行され、強制労働させられた当時の資料が展示されています。 ロシアで数年間働かされた後、日本に帰国して家族と再会を果たした地とされています。 広島の原爆ドームと並び、日本人の一人として一度は訪れておきたい地です。

実は亡き祖父も戦後、シベリアに連行されて強制労働させられてました。 あちらの冬は-40度にもなり、寒いという次元を超えて身体中が凍傷だらけになるそうです。 おかげで抑留中に亡くなられた方も多々居たようでした。 祖父母も生きてた頃に抑留からの帰国当時の感動を振り返り、この地を訪れたそうでした。 徴兵制があった時代はこの「赤紙」が役所から届くと軍隊に行かなければなりませんでした。 太平洋戦争が酷くなると国民も総出で出撃を命じられ、出兵の年齢幅も拡がり、当事者は出征前に家族と記念写真を撮影したそうです。 しかしその写真が遺影となってしまうことも少なくなかったようで、家族らも悲痛な顔で写ってました。

シベリアで捕虜として生活していた収容所の模型もあります。 食べ物の差し入れ等があると取り合いになることもあったようですが、ノミやシラミが大量に発生し、衛生面も劣悪だったようです。 抑留者には十分な食料も与えられず、伝染病も多く発生したようです。

冬のシベリアの模型もあり、第二次世界大戦終結時に海外に取り残された日本人は660万人以上と言われ、その方達を帰国させたことを「引き揚げ」と言いますが、戦争経験者にとって舞鶴は「帰還の港」でも「引き揚げのまち」でもあります。 人間らしい生活ができなくなる戦争だけは何としても避けなければならないものです。 戦後75年以上の時を経て、今の日本はどんどん戦争に近付いてますが、バブルが弾けて以来、今の日本人のゆとりのなさというのも1920年代の世界恐慌から第二次世界大戦までの二の舞を踏んでいる気がしてなりません。 歴史は繰り返され、忘れた頃に悲劇は起きますが、過ちは心にゆとりがない時に起きるもので気を付けたいものです。 どこの国でもいつの時代でもそうですが、戦争が近くなるとまずは政治家からおかしくなっていきます。 次いで国民も譲り合いというものを忘れ去り、どんどん喧嘩っ早い性格になっていきます。 日本はどこと戦争しても確実に負けますし、今度は私達が相手国の捕虜にされる可能性が十分にあるので平和だけは守り抜きたいですね。

数年前の時点でも日本の安倍晋三、アメリカのトランプ、北朝鮮の金正恩は世界の三大独裁者と言われてましたが、平和であるのは有り難い反面、政治に無関心というのは思いの外、恐ろしいことなんですね。 二度と同様の悲劇を繰り返さない教訓を引き継ぎ、後世にも平和を伝え継ぐことは日本人としての大きな使命である事...

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5.0
7w

Balanced explanation of Japanese soldier and civilians repatriated from the colonies and occupied states after the war and the life under Soviets labour camps, with real and well-preserved exhibits that might not be leant from the history textbooks.

Quite far from the town centre so better travel to this museum by...

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はやぶささくらはやぶささくら
舞鶴の引揚記念館にも行きました。 ここは第二次世界大戦後、敗戦した日本人軍隊がシベリア抑留で連行され、強制労働させられた当時の資料が展示されています。 ロシアで数年間働かされた後、日本に帰国して家族と再会を果たした地とされています。 広島の原爆ドームと並び、日本人の一人として一度は訪れておきたい地です。 実は亡き祖父も戦後、シベリアに連行されて強制労働させられてました。 あちらの冬は-40度にもなり、寒いという次元を超えて身体中が凍傷だらけになるそうです。 おかげで抑留中に亡くなられた方も多々居たようでした。 祖父母も生きてた頃に抑留からの帰国当時の感動を振り返り、この地を訪れたそうでした。 徴兵制があった時代はこの「赤紙」が役所から届くと軍隊に行かなければなりませんでした。 太平洋戦争が酷くなると国民も総出で出撃を命じられ、出兵の年齢幅も拡がり、当事者は出征前に家族と記念写真を撮影したそうです。 しかしその写真が遺影となってしまうことも少なくなかったようで、家族らも悲痛な顔で写ってました。 シベリアで捕虜として生活していた収容所の模型もあります。 食べ物の差し入れ等があると取り合いになることもあったようですが、ノミやシラミが大量に発生し、衛生面も劣悪だったようです。 抑留者には十分な食料も与えられず、伝染病も多く発生したようです。 冬のシベリアの模型もあり、第二次世界大戦終結時に海外に取り残された日本人は660万人以上と言われ、その方達を帰国させたことを「引き揚げ」と言いますが、戦争経験者にとって舞鶴は「帰還の港」でも「引き揚げのまち」でもあります。 人間らしい生活ができなくなる戦争だけは何としても避けなければならないものです。 戦後75年以上の時を経て、今の日本はどんどん戦争に近付いてますが、バブルが弾けて以来、今の日本人のゆとりのなさというのも1920年代の世界恐慌から第二次世界大戦までの二の舞を踏んでいる気がしてなりません。 歴史は繰り返され、忘れた頃に悲劇は起きますが、過ちは心にゆとりがない時に起きるもので気を付けたいものです。 どこの国でもいつの時代でもそうですが、戦争が近くなるとまずは政治家からおかしくなっていきます。 次いで国民も譲り合いというものを忘れ去り、どんどん喧嘩っ早い性格になっていきます。 日本はどこと戦争しても確実に負けますし、今度は私達が相手国の捕虜にされる可能性が十分にあるので平和だけは守り抜きたいですね。 数年前の時点でも日本の安倍晋三、アメリカのトランプ、北朝鮮の金正恩は世界の三大独裁者と言われてましたが、平和であるのは有り難い反面、政治に無関心というのは思いの外、恐ろしいことなんですね。 二度と同様の悲劇を繰り返さない教訓を引き継ぎ、後世にも平和を伝え継ぐことは日本人としての大きな使命である事柄を認識したいものです。
Wai Yat LoWai Yat Lo
Balanced explanation of Japanese soldier and civilians repatriated from the colonies and occupied states after the war and the life under Soviets labour camps, with real and well-preserved exhibits that might not be leant from the history textbooks. Quite far from the town centre so better travel to this museum by car or taxi.
osuman wankonosuman wankon
亡くなった祖父のルーツを知りたく訪ねた。普段物静かだったが、酔うとシベリア抑留の話を少ししたらしい。 外で立ち小便すると、瞬時に凍る。凍ったパンで釘打ちができた。 でも、本当の地獄のことは、誰にも話すことはなかった。 以下は、自分が調べた話。(記憶違いがあると思うので、1つの私見として) 1 終戦一週間前に始まった100万人を超えるソビエト連邦の急な参戦。利権獲得(領土や奴隷)を目的としたため、ポツダム宣言の適応外につけこみ、9月末まで進行は続いた。 2 逃げ遅れた民間人や軍人。時代に翻弄され、シベリア抑留に巻き込まれ50万人を超える人々が捕虜となった。 3 人命や人格など、人権を軽視したスターリン体制のソビエト連邦。 捕虜となら、日本に帰れると言われ、軍人は列車に乗せられた。 駅に降りた時から始まった強制労働。 疫病、厳しいノルマ設定による肉体労働。不達成ならば、ただでさえ少ない食事を半分以下まで減らされるなど罰。 スパイと疑われれば、厳しい取り調べや、厳しい拷問による自白の強要。 騙されたことを恨む猶予もなかった。 祖国に帰れず命を失い、英霊となった方は数万から数十万人とも言われる。 4 想像を絶する過酷な環境で何とか生き延びた人々。 仲間を密告しなければ、自分が標的にされる。日々仲間が倒れていく。極限状態の中、仲間を生け贄にして、祖国日本に帰れた人。 赤思想に染まったふりをした人。 実際に染まった人。 そうして、帰国できた人も多数いた。 帰国した人々を乗せた船を受け入れたのが、ここ舞鶴だった。 5 ここには書かれていないが、故郷に戻ってからも赤のスパイと差別をされて、村八分に逢う。 そうして、故郷を離れなければならなかった人も多数いた。 わが祖父もそうだったのか。恐ろしくて、祖母には絶対に聞けない。 6 所感 この資料館に来て、祖父の置かれた状況や過酷さが大分分かりました。戦争を悲惨さを後世に伝える、貴重な記念館でした。
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舞鶴の引揚記念館にも行きました。 ここは第二次世界大戦後、敗戦した日本人軍隊がシベリア抑留で連行され、強制労働させられた当時の資料が展示されています。 ロシアで数年間働かされた後、日本に帰国して家族と再会を果たした地とされています。 広島の原爆ドームと並び、日本人の一人として一度は訪れておきたい地です。 実は亡き祖父も戦後、シベリアに連行されて強制労働させられてました。 あちらの冬は-40度にもなり、寒いという次元を超えて身体中が凍傷だらけになるそうです。 おかげで抑留中に亡くなられた方も多々居たようでした。 祖父母も生きてた頃に抑留からの帰国当時の感動を振り返り、この地を訪れたそうでした。 徴兵制があった時代はこの「赤紙」が役所から届くと軍隊に行かなければなりませんでした。 太平洋戦争が酷くなると国民も総出で出撃を命じられ、出兵の年齢幅も拡がり、当事者は出征前に家族と記念写真を撮影したそうです。 しかしその写真が遺影となってしまうことも少なくなかったようで、家族らも悲痛な顔で写ってました。 シベリアで捕虜として生活していた収容所の模型もあります。 食べ物の差し入れ等があると取り合いになることもあったようですが、ノミやシラミが大量に発生し、衛生面も劣悪だったようです。 抑留者には十分な食料も与えられず、伝染病も多く発生したようです。 冬のシベリアの模型もあり、第二次世界大戦終結時に海外に取り残された日本人は660万人以上と言われ、その方達を帰国させたことを「引き揚げ」と言いますが、戦争経験者にとって舞鶴は「帰還の港」でも「引き揚げのまち」でもあります。 人間らしい生活ができなくなる戦争だけは何としても避けなければならないものです。 戦後75年以上の時を経て、今の日本はどんどん戦争に近付いてますが、バブルが弾けて以来、今の日本人のゆとりのなさというのも1920年代の世界恐慌から第二次世界大戦までの二の舞を踏んでいる気がしてなりません。 歴史は繰り返され、忘れた頃に悲劇は起きますが、過ちは心にゆとりがない時に起きるもので気を付けたいものです。 どこの国でもいつの時代でもそうですが、戦争が近くなるとまずは政治家からおかしくなっていきます。 次いで国民も譲り合いというものを忘れ去り、どんどん喧嘩っ早い性格になっていきます。 日本はどこと戦争しても確実に負けますし、今度は私達が相手国の捕虜にされる可能性が十分にあるので平和だけは守り抜きたいですね。 数年前の時点でも日本の安倍晋三、アメリカのトランプ、北朝鮮の金正恩は世界の三大独裁者と言われてましたが、平和であるのは有り難い反面、政治に無関心というのは思いの外、恐ろしいことなんですね。 二度と同様の悲劇を繰り返さない教訓を引き継ぎ、後世にも平和を伝え継ぐことは日本人としての大きな使命である事柄を認識したいものです。
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