Founded in the year 708, Matsunoo-dera is a Shingon sect temple that serves as stop #29 on the Saigoku 33 Kannon pilgrimage. The current hondo was rebuilt some time in the 1600's after a fire, as is, unfortunately, so common among temples of this age.
Rarely crowded, very quiet, and gorgeous -- well...
Read more西国三十三所観音霊場の参拝でお伺いしました。 真言宗醍醐派のお寺で青葉山松尾寺といい、霊場第二十九番札所になります。 御本尊は「馬頭観世音菩薩坐像」で西国三十三所観音霊場で唯一の観音像になります。 松尾寺は和銅元年(708年)に唐僧の威光上人が中国の霊峰である馬耳山によく似た青葉山に草庵を結び松の樹の下で感得した馬頭観世音菩薩を祀ったことにはじまる、時の元明天皇がこの話を聞いて堂宇を建立し寺としての基礎が築かれた。 養老年間(717年~724年)に白山を開いた泰澄が、元正・聖武天皇の勅願によって奥之院を建立し妙理大権現を祀ったという。 正暦年間(990年~995年)に一条天皇の詔によって馬頭観世音菩薩が造立され威光上人が感得したという像がその胎内に納められた。 馬頭観世音菩薩は観音ながら忿怒の相を示し、諸悪を取り除き六道の畜生道に配されてここに堕ちた獣類を救うとされる。 平安時代の末に鳥羽天皇と美福門院が松尾寺に行幸し、寺領を下賜して堂塔の整備を命じた、寺に伝わる《普賢延命菩薩像》はこの時納められた美福門院の念持仏であるといわれ、現在は京都国立博物館に寄託されています。 お寺には鎌倉時代の名工である快慶作の阿弥陀如来像(重要文化財)も残ることから鎌倉時代も引き続いて寺が繁栄していたことがうかがえる。 松尾寺は戦国時代織田信長の軍勢により伽藍が焼かれたが、江戸時代を通じて歴代田辺藩主が再建したものである。 松尾寺がある場所は、京都府(丹後の国)と福井県(若狭の国)の国境にあり、この地方は奈良朝との深い関係から独自の仏教文化が成熟して古寺社が多く残り「海のある奈良」とも言われている。 奈良時代の女帝の元正天皇との縁がふかく松尾寺も他の若狭の諸寺院と同じ文化圏に属する。 毎年五月八日に釈迦如来・大日如来・阿弥陀如来のお面付けて、雅楽の「越天楽」に合わせて舞う《仏舞》は重要無形民俗文...
Read more西国巡礼第29番札所の青葉山 松尾寺は京都府舞鶴市字松尾に行きました。
そのかみは 幾世経ぬらん 便りをば 千歳も ここに 松の尾の寺
駐車場は約100台スペース有500円です。 拝観料はなしでした。 西国霊場唯一の観音を祀る山の中腹に建っ
京都、福井の府県境にまたがる青葉山は、福井側から見ると東西二つの峰が重なって裾広がりの美しい三角形を見せることから〔若狭富士) の名前で知られる。 山中には険しい岩場が多く、かっては修験道の行場として栄えたと伝えがあります。 この地を訪れた唐の僧侶、威光上人は、母国の霊山〔馬耳山)にも似るこの青葉山の山中にある松の大樹の下で馬頭観音を感得、庵を結んだのが松尾寺の起こりで、西暦708年と伝えられる。 1300年を超える歴史のなかで、1119年に鳥羽天皇の行幸啓があり、七堂伽藍の御寄進を受け、坊舎は65を数えたという。普賢延命像はこの地方唯一の国宝絵画で、一説に美福門院の念持仏と伝わる。 度重なる火災に見舞われ、現在の本堂府指定文化財は1730年に修築された。 仁王門右手の宝物殿では、国宝、重文など指定文化財を春秋に2ヶ月ほど展示公開。 さらに33段の石段を上がれば正面が、二層の宝形造りの屋根を持つ本堂で、手前の灯明堂の屋根と合わせて重層的な景観が印象的でした。
西国三十三霊場で唯一の本尊馬頭観世音菩薩が祀られています。 漁労農耕や畜産、交通の守り仏としてさらに競馬関係者に至るまで、ひろく人々の信仰を集めている松尾寺です。 マイ...
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