母方の先祖が田沼意次の家臣だった?そう。小さい頃の記憶、相良の実家には太刀、脇差が数本あった。脇差は何故かいっぱいあって2本貰ってきた。小学3年の時に友達と真剣でチャンバラごっこをし歯をボロボロにして親に怒られた。というよりよくケガをしなかったなと思う。
平日ふらっと立ち寄り。資料館周辺も徹底的に破壊されたというだけあり遺構はほぼゼロ。諸説あるようですが田沼意次の資料がキチンと残されて公開されている事が重要。興味薄いながらも色々拝見してきました!
貸切状態だったので帰りがけ職員さんとお話、実家がこのようですがと言ってみると、なんと調べてくれました。調べられるモノなの!? なんと子孫同士のネットワークがあるらしく個々に残されている文献資料に遺物なんかのデータベースがあるとの事。今回は田沼意次の家臣名簿からの該当。 何がビックリかって言うと、家臣って勝手に20人くらい?って思ってたら300人くらいいたのがビックリだ。今さらながら「家臣ってなに?」と思ったけど対して興味もないので調べずにおこう。
追記 写真みっけたので追加しました。
3回目再訪R5/1月。 近くにある小堤山公園で散歩。歩いてるうちに古墳ありそうな場所だなあと思っていたら頂上部に遺構さえないけど横穴群のパネル発見。出土品は牧之原資料館に、と記載あったので行ってみました。田沼意次コーナーばっかりで古墳時代どころか縄文弥生は一切ない。ん?と思って近くにいた職員さんに聞くと「いやあすいません。いま田沼意次推しでして!ほとんど田沼意次になってます。古墳の出土品は収蔵こそしてますが展示は、、。少なくともあと3年はこんな展示だと思います!」との事。じゃあ3年間はいっそのこと「田沼意次/資料館」に改名しろ!と思ってしまった。しかも嬉しそうに言うのでイラッときた。
こういうのって田舎でも都市部でも同じ事が言えるけど収蔵しっぱなしはやめてほしい✋定期的に常設展示の入れ替えされてるトコロ、企画展やって色んな人に見てもらおうというトコロが少ない。明治とか昭和初期はこれといった正式な保管場所がなかったから県外の中央集権の博物館へ、という事も多かった。勿論現在も公開される訳でもなく収蔵しっぱなし。地元に返される事も聞いた事がない。まあ個人経営ならわかるけど一応税金使ってるっていう意識は欲しいかな。どう見てもココ...
Read more一言で言えば田沼意次Loveをテーマとした資料館です。 どうしても田沼意次と言うと一般には金権政治家の印象が強く「越後屋、お主もワルよのぅ〜、おおっ菓子折りの下には山吹色が!!ウハハハ・・」のようなイメージが染み付いてしまっています。まぁ重商主義的な景気刺激策をとったが故の、世相の反映ではあるんですけどね。
しかし、今の酷いイメージは明らかに実態を表したものではなく、主に政敵であった松平定信が自らの緊縮財政等の施策を正当化する為、前政権の責任者である意次を意図的に貶めたものです。
ちなみに相良は旗本から大名にまで出世し、当時飛ぶ鳥を落とす勢いの田沼家に与えられた領地だったのですが、新しい領地にかける意次の意欲は並々ならぬものがありました。相良城を築くと同時に道路や水運を整備し(費用は主に江戸の大商人からの寄付金で賄われ、地元に財政負担はかけなかったようです)さらに産業を興して地元の発展に尽くし、その姿は正に名君そのものです。だからこそ数百年たった今でも地元では意次を慕って、資料館まで出来てしまうのですよ。
相良城は東西500メートル南北450メートルの規模を持ち、総石垣で三重の天守まである壮麗を極めたものだったそうですが、完成後たった8年で意次失脚後に政権を握った松平定信によって徹底的に破壊され今は跡形もありません。何やら権力の凄まじさや儚さ、アホらしさを示すような話ではあります。この資料館はその跡地に建っています。
この資料館の展示内容は「郷土の偉人」である意次の実態を知ってもらい、名誉回復を目的としたものと言っても過言ではありません(笑)。 城は残らなかったが意次への想いは残ったワケで、歴史の別な一面が見...
Read more田沼意次が治めた遠江相良藩(現静岡県牧之原市)の相良城趾にある城っぽさのある外観の資料館です。相良城の敷地は、今、相良小学校、相良中学校になっており、校庭の外れに城趾の石碑や田沼意次像があります。 旧相良町の偉人や歴史の資料館で、江戸時代の田沼意次、ビタミンを発見した農学者の鈴木梅太郎博士にまつわる貴重な展示が多く、文献、武具、籠など展示されています。 2025年8月現在、NHK大河ドラマ「べらぼう」の蔦重が生きた時代の為政者が田沼意次ということもあり2階は大河ドラマ館で入場無料でした。 田沼意次は「賄賂」「金権政治家」の悪いイメージがありますが、江戸時代において新進気鋭の財政政策の先駆者とする見方も浸透してきて、時代とともに評価が変わっている歴史上の偉人です。 展示物に意次公の遺訓もありましたが、温かな人情家で民を愛し公平で律儀な性格という印象しかありませんでした。 田沼意次意知親子も松平定信も、治めた領地で領民に愛され、時をへた今なお地元で名君として名高い偉人です。地元民の記憶から消したい悪人なら300年もの期間「田沼街道」「田沼」といった地名として残らないはずです。 当時も今も、前任者を追い落とすネガティブキャンペーンの一環の全否定や悪評の流布(=後任側の残した記録)が歴史に刻まれるものなのだと感じました。勝てば官軍負ければ賊軍、歴史は勝者が書き換える、です。 受付で大河ドラマ誘致のために出版された田沼意次の歴史マンガを400円で売...
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