2023年8月18日に散策しました。 秋田県の仙北地方を治めていた小野寺氏の配下となった佐々木(後に鮭延)貞綱が、天文4年1535年に築城しました。永禄6年1563年に庄内の武藤(大宝寺)氏から岩鼻楯を攻められ、鮭延貞綱は、次男の鮭延秀綱2歳を人質に取られてしまいました。永禄8年1565年に鮭延貞綱は亡くなり、武藤氏の城代が置かれました。悪屋形と呼ばれた武藤(大宝寺)義氏から鮭延秀綱は、天正10年1582年に鮭延城を任され、城主となります。武藤(大宝寺)義氏は、翌天正11年1583年に家老前森蔵人の裏切りにより、自刃して果てました。そのまま武藤氏側の守将として鮭延秀綱は、城主を務めますが、最上義光の庄内侵攻を迎えることになります。天正13年1585年に最上義光の降伏勧告を受け入れ、以後、鮭延秀綱は、最上氏の家臣となりました。元和8年1622年に最上氏が改易され、鮭延秀綱は、土井利勝の預かりとなり、鮭延城を離れました。替わって元和9年1623年に戸沢政盛(初代新庄藩主)が入城しました。寛永2年1625年に新庄城が完成し、戸沢政盛が本拠地を移したため、鮭延城は、廃城となりました。 旧城主の鮭延秀綱は、茨城県古河市で正保3年1646年に84歳で亡くなられました。鮭延城下にある正源寺に鮭延秀綱の供養塔があります。 3つの散策コースから本丸へ登って行けます。今回は、Aコースから登ってみました。本丸からは、真室川の町が見おろせます。一人でしたので、熊除けの鈴を鳴らしながら歩きました。湯沢の小野寺氏、山形の最上氏、庄内の武藤氏が攻めぎあう激戦地であったとは、想像もつかぬほど、のどかな田園風...
Read more慶長出羽合戦で上杉本陣に迫るほど奮戦し、「鮭延が武勇、信玄・謙信にも覚えなし」と直江兼続に言わしめた名将、鮭延秀綱が治めた城。Google...
Read more某PCゲームデフォ城を巡る旅 220704
久しぶりの更新 ゲーム上では真室城でしたね 延沢城からか鶴岡城からの攻め込みでどちらか一方敵方だと後詰に来ちゃいますよね?!
車で来たので大手門口へ 踏切渡って左の切り返しはちとキツイ
車を停めて登って行きます左手は沢筋で右手に曲輪跡 少し行くと竪堀っぽいのが
もう少し歩いて広場に到着 搦手側は景色が開けてます 今は線路と県道が通ってますが 川が外堀替わりにしていたんだろうか?
反対の山側に目を向けると人が歩ける道跡も 地元の人が山菜でも取りに行ってたのか 遺構の延長なのか定かで有り...
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