「丸亀市:塩飽勤番所跡」 本島に来た目的のひとつでした。本島の歴史にまつわる資料が多く残っています。大きく分けて「島と権力者の関係」と「咸臨丸」についての説明が多かったです。
建物自体についてですが、この勤番所は塩飽諸島の650人の船形を束ねた4人の年寄たちが交代で政務を執った場所で、四方を土塀と立派な長屋門で囲まれた約450坪の敷地に本館や朱印蔵があります。
中に入ると、まずは信長・秀吉・家康から与えられた朱印状や海路図をはじめ、塩飽の歴史を物語る史料が展示されています。 戦国時代、島民を束ねる島の有力者たちは案内人や戦力として協力を求められ、その見返りとして自治権を認められました。後年、その自治権が株化され、支配権が継承されていくという「人名制度」となっていきます。
続いて、咸臨丸についてのコーナーがあります。日本が2番目に保有した西洋式軍艦です。この操船には熟練した船乗りが必要で技能に長けていた塩飽漁師たちが(乗組員50人の内)35人が参加しました。その時の航海日誌や持ち帰った品を見ることができます。
最後は島の偉人コーナーで、小説家の大倉桃郎氏、スーパーエリート医の長尾優氏の功績や叙勲宝章を見ることができました。
小さな島ですが、戦国時代から現代まで、相当な影響力を持った人物や集団があったのだと驚かされます...
Read moreこの塩飽勤番所は、香川県丸亀市本島町泊に位置します。ここは、本島町泊港から北東方面に徒歩(約600m)で10分ぐらいの場所にある。この勤番所は江戸時代後期に造られたもので、ここで塩飽諸島の政治を行っていた。本島の三人の年寄りが交代で行い、幕府に変わつて税や幕府からの触れ書きを配布したりしていたのである。年寄り名は、宮本氏、入江氏、吉田氏である。この塩飽諸島は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康等歴代から人名制が認められているので、その責任者が年寄り三人である。現在の塩飽勤番所は、国史跡で丸亀市の博物館(1977年に公開)になっていて、当時の建築内に(寛政10年〘1798年〙建築で文久二年〘1862年〙に改築復元)当時の文化財や古文書が多数保管され、閲覧出来るようになっている。一度、見に行かれたらどうかな!?毎月20日は丸亀港から本島町泊港までの乗船(乗船客の...
Read more塩飽28島は豊臣時代から江戸時代まで海上運送の功労により朱印状を得て「人名(にんみょう)」と称する船方650人が共有する領知として自治が認められており、年寄が一切の政務を取り仕切っていた。最初は年寄4人が輪番で自宅で政務を執っていたが、18世紀末の島治改革を機に勤番所が新築され、ここで入札(選挙)で選ばれた年寄3人が交代で政務を執るようになった。 現在の建物は、幕末に改築され、明治以降村役場・丸亀市役所支所として1972年まで使用されていた。建物内には、朱印状やそれを容れていた朱印箱、高松藩との漁場争いの裁許書(署名した8奉行の中に大岡越前守がいる)などの文書(写し)のほか、水夫50人のうち塩飽諸島出身の水夫35人の水夫を占めていた咸臨丸の模型や水夫の日記等が展示されている。 ガイドさんの話を聞きながら...
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