大谷口歴史公園は、千葉県松戸市大谷口の高台にある公園で、小金城(大谷口城)の城跡を松戸市が公園として管理しています。畝堀(うねぼり)や障子堀(しょうじぼり)、虎口門(こぐちもん)などの遺構が残っています。
『小金城(大谷口城)』は天文6年(1537年)に下総の戦国武将、高城胤吉(たねよし)が建てた城で、3代にわたり居城。 高城氏は下総原氏(千葉氏の家老)の重臣であったとされています。
小金城は、下総国における城郭の規模としては最大級で豊臣軍に敗れるまでは難攻不落とされていたようです。 北に金杉口、東に大手口、丑寅に達磨口、西に横須賀口、南に大谷口と、東西南北に城の虎口を設け、さらに横須賀口には家臣を居住させていたそうです。
胤吉は松戸市根木内に『根木内城(ねぎうちじょう)』を構えていましたが、城が手狭になったため小金城を7年間かけて築城し、天文6年に本拠を移しました。
胤吉は北条氏綱に従い、天文7年の『第1次国府台の戦い』で足利義明を破り、さらに『第2次国府台の戦い』では里見義弘を撃退します。この頃から小金城は徐々に栄えはじめたようです。
小金城に居城したのは、胤吉・胤辰・胤則の3代です。1590年、孫の胤則(たねのり)の代に、豊臣軍の浅野長政に降伏し、戦わずして城を明け渡したといわれています。
北国分から矢切のあたりを回っていた際に、この地が戦国時代の有名な武将の名が出てくるような史実が多く見受けられ、学問としての歴史ではなく身近な生活圏に矢が飛び交うような戦いが繰り返されたという事実を知りました。最近松戸近辺を400年前の歴史に想いを馳せながら自...
Read more県内最大級ともいわれた小金城の一部分の跡地で、現在は森林浴に適した公園になっています。適度に階段があり、広場にはベンチも設置されています。お子様連れのファミリーや、ご年配の方々もいらっしゃいました。 お堀の跡が各所にあり案内板も設置されています。堀に色々な加工を施してあるのは、お城を治めていた高城氏がついていた、北条氏側のノウハウのようです。粘土質なのでなかなか敵が這い上がるのが難しいように造っていたのかもしれませんが、遺構は時を経て風化が進んでいるようです。
本城と呼ばれる、天守閣のようないわゆるお城が建っていた場所は、ここからさらに歩き小金大谷口城跡の碑がある場所の奥ですが、完全に住宅地になっていて現在は跡がありません。 その向こう側の大谷口本城大橋から見ると、森林で囲まれているのが辛うじてわかり、「大谷口」という地名を残すのみとなっています。 一帯の地名には「本城大橋」「馬屋敷緑地」「番場公園」など、形はなくなっても、名前は残るところに...
Read more松戸市の北部には、戦国時代、下総国で最大級の巨大な城郭・小金城がありました。現在では、宅地開発が進み、城そのものはありませんが、大谷口歴史公園では当時の面影をわずかながら見つけることはできます。
小高い丘を登り切ったところは、ちょっとした広場になっていて、広場の周囲には土塁や空堀の跡もあり、分かりやすく城の構造などを解説した案内板もあります。
小金城主の高城氏は、関東を支配した北条氏の傘下に入っていたので、北条氏から攻め込まれることはありませんでした。しかし、1590年の豊臣秀吉による小田原攻めによる北条氏滅亡の際、小金城も降伏しました。
北条氏の滅亡後、徳川家康が関東を治めるようになってから、小金城はその役割を終え、廃城となりました。城がなくなり、時が経つうちにその遺構も消えていく中で、当時の面影は大谷口歴史公園や近隣の...
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