三重県松阪市松ヶ島町に有る城址です。
かつて織田信雄が築いた五層の天守が有り、蒲生氏郷が入城後に現在の松阪城を築き移ったした後は、この付近は漁師町となったと説明されています。
県道699号線で松ヶ島町の集落に入って南に進むと松ヶ島城跡の看板が有る曲がり角を東へ入り、道なりに進んで行った先で、舗装路が終わり、農地の様な所へ着いた後、ビニールハウスが並んでいる脇の細道を進んで行くと城址に辿り着きます。
以前からこの近くまでは来ていたのですが、城址に辿り着けなかったのですが、今回は第63回氏郷まつり序章編として、思い切ってビニールハウス脇の細道を発見して進入してようやくたどり着くことが出来ました。訪問した日もビニールハウス近くに自転車が止まっていたことから、ビニールハウス内で作業していた人が居たと思われます。私有地の様な細道を通るので不安でも有りました。(特に何も言われませんでしたので、本当に私有地ということは無いと思うのですが・・・?)
城跡は小さな丘の様になっていて、石碑と説明文が書かれた看板、松ヶ島城址付近遺跡の地図が設置されていました。丘の上にはベンチが有りました。 松ヶ島城址付近遺跡の地図には蒲生屋敷跡や寺、神社跡や周辺地名の記載が有り役に立ちました。
丘の上に登って、いつの日か自分が氏郷役として松阪城へ入城出...
Read moreゲーム『信長の野望』でかなり昔からその存在は知っていた城郭、松ヶ島城。
伊勢の国司、北畠具教(きたばたけ...
Read more松ヶ島城跡 [三重県松阪市]
松ヶ島は参宮古道に沿い、 三渡川の河口を控えた海陸交通の要衝であった。
天正八年(一五八〇)、織田信長の二男である信雄は 南伊勢統治の拠点を田丸城(度会郡玉城町)からこの地に移し、松ヶ島城と称し、 かつては五層の天守がそびえていたという。
その後、城主は信雄の家臣の津川義冬から滝川雄利と経て、同十二年、豊臣秀吉の家臣であった 蒲生氏郷が十二万石の大名として入城しましたが、 翌年の地震で大きな被害を受け、 松坂城...
Read more