◆目の前に黒島。遠く対馬を望見する丘陵にあります。 ◆蒙古は高麗を従属し、蒙古・高麗の連合軍で、対馬(現在の長崎県)に侵攻しました。日本側の守護代・宗助国は、わずかな手勢とともに対馬・小茂田浜で迎え撃ち、壮烈な戦死を遂げました。 ◆宗助国は、蒙古と高麗の侵攻(文永の役)を速報するため、家臣の小太郎を大宰府に派遣しました。小太郎は、対馬に戻らず、博多の防衛戦に参加し、弘安の役では少弐景資の配下として鷹島で戦闘中に負傷し死去します。 ◆「故郷の対馬が見える場所に葬ってほしい」との遺言の通り、この場所に墳墓が建てられています。 ◆地元の方々が、「対馬さま」として親しみ、このため現在でも、手入れをしお参りを欠かしていないようで、墓石まわりも、すが...
Read moreお墓の周りにはたくさんの石が積まれております。この丘陵自体が御神岩のように感じます。「我が屍を埋むるに対馬を望むべき丘陵においてせよ」と遺言があったそうです。故郷の対馬を後にしてさぞ心残りであったと思います。故に命を賭して奮闘奮戦、戦死されたと思います。また元軍の情報をいち早く伝えた事で撃退に繋がったんだと思います。お掃除が行届き綺麗に整備され、関係者各位、並びに地域の皆々様のご苦労様とお陰様に感謝致します。気持ち良く参拝さ...
Read more松浦市立埋蔵文化財センターの案内ビデオで、ナレーターとして登場していたので興味を持ちました。 蒙古襲来時、元との戦いで重症を負い自刃したと伝えられる対馬小太郎。「我が屍は対馬を望む丘に埋葬せよ」と言い残したそうですが、実際にはそれほど高い場...
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