The Temple No. 53 of the Shikoku 88 Temple Pilgrimage. So blessed to have the time to visit it. So solemn,, so peaceful and the feeling of spiritualty lingers in the air. A place of prayer and meditation.. Highly recommended for self-reflection and...
Read moreこの日お遍路最後の53番円明寺。 44からスタートし、1日で10カ所回ることが出来た。 キリシタン灯篭があるのが特徴である。
四国八十八ヶ所霊場会HPより 圓明寺には、アメリカ人巡礼者が発見した四国霊場最古の銅板納札が保存されている。 大正13年3月、シカゴ大学のスタール博士が四国遍路をしている途次、寺の本尊・阿弥陀如来像を安置している厨子に打ち付けてあったのを見つけた。江戸時代の初期にあたる慶安3年(1650)の銘があり、縦24cm、幅が9.7cm、厚さ約1mmで破損のない納札としては、現存最古で例のない銅板製である。 奉納者の樋口平人家次は、京都・五智山蓮華寺の伽藍を再興して、五智如来石仏を造立したことなどで知られるが、この納札でとくに注目されるのは、初めて「遍路」の文字が記されていることでもある。 縁起によると天平勝宝元年、聖武天皇(在位724〜49)の勅願により、行基菩薩が本尊の阿弥陀如来像と脇侍の観世音菩薩像、勢至菩薩像を彫造して安置し、七堂伽藍を備えた大寺として建立したのが創建とされている。当時は、和気浜の西山という海岸にあり「海岸山・圓明密寺」と称したという。 のち、弘法大師が荒廃した諸堂を整備し、霊場の札所として再興したが、鎌倉時代に度重なる兵火で衰微、元和年間(1615〜24)に土地の豪族・須賀重久によって現在地に移された。さらに、寛永13年(1636)京都・御室の覚深法親王からの令旨により仁和寺の直末として再建され、寺号もそのとき現在のように改められている。 圓明寺はまた、聖母マリア像を浮き彫りにしたキリシタン灯籠...
Read more自転車遍路でお邪魔しました。 52番札所太山寺からは3km弱で、太山寺の参道を過ぎると平坦なルートでした。
円明寺は和気の住宅街にある比較的小さなお寺で、地域の方からは「和気の円明さん」と呼ばれて親しまれています。 749年(天平勝宝元年)年に聖武天皇の勅願で、行基が本尊の阿弥陀如来像を彫られ安置、七堂伽藍を備えた大寺を建立したと伝えられています。 現在のお寺の位置よりも海岸に近い場所で開創されたそうで、元々の山号「海岸山」は立地に由来しているそうです。 鎌倉時代に度重なる兵火で衰退していきます。 元和年間に豪族や須賀重久によって現在地に移され、1636年(寛永13年)に仁和寺の末寺として再興しています。
大師堂の脇にはマリア像らしきものが浮き彫りにされたキリシタン灯籠があります。 禁教時代に隠れキリシタンが信仰したものだと言われています。 大正時代にアメリカ人巡礼者スタール博士によって納められた、銅製の納め札が発見されています。 その納札には江戸代初期、1650年(慶安3年)の銘があり、「遍路」の文字が記されてい...
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