「三春町を一目で見下ろせる👀」「伊達政宗の愛姫ゆかりの地👘🌙」「VR三春城は現地でダウンロード困難🥽⚠️」「頂上付近に折り返しの難しい駐車場あり⚠️🚗」「続日本100名城」
観光案内がある散策路で、本丸跡を中心に、二の丸や東館跡をめぐる散策路が整備されており、石垣や堀切、土塁などの遺構をイージーに見ながら歩くことができます🚶。
ヘッドマウントディスプレイを使って、江戸時代の三春城をVRで体験できます。また、スマートフォンアプリ「ストリートミュージアム」をダウンロードすれば、城跡でスマホの画面越しにかつての三階櫓や本丸御殿、城下町などを再現したパノラマVRを楽しむことができます。但し現地ではダウンロードが失敗したので、事前準備が必要かもしれません⚠️。
三春城は、1504年に戦国大名の田村義顕が居城を移した際に築城されたと伝えられています。入城した朝、上空を鶴が舞ったことから「舞鶴城」とも呼ばれるようになりました。戦国時代は田村氏の居城として、伊達政宗の正室・愛姫(めごひめ)が生まれた場所としても知られています。江戸時代には、松下氏、加藤氏、そして秋田氏が藩主となり、明治の廃城まで三春藩の藩庁として機能しました。戊辰戦争で無血開城され、明治の廃藩置県により廃城となりました。現在、藩校明徳堂の表門のみが三春小学校の校門として移築され現存しています。
【駐車場】...
Read more続日本100名城に選出された城。 整備はある程度されているが、駅から徒歩で向かうと城の場所を示す指標は見当たらない。登り口もいろいろあり、坂にも名前はついているが、城を示す指標はなかった。搦手方向の三分坂から上ったものの搦手門跡に向かう坂はなぜかロープが張られている。(上から周るしかなくなる) 二の丸跡にある概略図と本丸付近の標柱の表記が一致していない。 これは標柱が示すものは戦国時代の名称で、概略図は江戸時代の構成での表記のためで、分かり辛い状態になっている。 江戸時代の二の丸跡は城山公園(児童公園)で、かなりの高低差がある。三の丸跡の東館(戦国時代の名称)もかなり離れた場所にある。そのため全てを見て回ると結構な時間を要し、曲輪も複数見られるが、何処に何があるのか指標が立っていないため縄張図を片手に持って行かないとわからなくなる。 私が行ったときには、スタンプ置場に...
Read more続100名城の三春城です。 三春城は、永正元(1504)年に戦国大名の田村義顕(たむらよしあき)が築いたと伝えられ、義顕が入城した朝、城の上空を鶴が舞ったので「舞鶴城」とも呼ばれるようになったと言われています。 急峻な岩山の上に築かれた三春城は、容易には攻めがたい要害堅固な山城でした。
田村氏が改易されると、会津に入った蒲生氏の支城として本丸に石垣が築かれました。 寛永4(1628)年、松下長綱が三春藩主になると城の改修を行い、山頂部の本丸には城主の御殿のほかに、三階の櫓や二階建の表門や裏門といった白い漆喰壁に黒い瓦を葺いた高所建築物が建てられ、江戸時代らしい城が整備されました。 現在は城山公園となっており中腹にある駐...
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