口之津港の海岸線から直線で400m位内陸に入った所にある。口之津開田[ひらきだ]公園の一角にある。駐車場やトイレは完備されている。 史跡としては石碑や説明板が設置されていて、開田公園には中世ヨーロッパの街並みをイメージした建物が建つ。開田公園の中程に立ち、海側を望むと確かに昔は湾だったような窪みを感じる。
さて、日本に初めて南蛮船が来航(漂着)したのは、ご存知の通り天文十二(1543)年種子島へのポルトガル船漂着である。その後、天文十八(1549)年ザビエルが薩摩に来て島津貴久と一宇治城内で会見した。豊後の大友宗麟も天文二十(1551)年ザビエルと豊後府内で会見し交易を盛んにした。 肥前では平戸が天文十九(1550)年に開港、その後横瀬浦が永禄五(1562)年開港したが、ここを翌年反大村純忠勢力が焼き払ったため、永禄八(1565)年福田へ港を移した。しかし、福田は良港ではなかったのである。 そこで、いよいよ、永禄十(1567)年に口之津港が開港となる。最初は三隻のポルトガル船が来航したのであるが、その後は中国や他の国の商人も集まる賑やかな港となった。 元亀二(1571)年には福田港に替わり長崎港が開港し栄えたが、天正七(1579)年にヴァリニャーノ(天正遣欧少年使節を派遣)が上陸したのは口之津港であった。《...
Read more口之津にも南蛮船が来航したのですね 。知りませんでした。 この案内板に書いてるように。私の故郷は西海市 横瀬浦です。 歴史にもしもがあったらここが今の長崎と言われています。 長崎にある思案橋 丸山 上町 下町 跡が史...
Read more地元のおじさんと話しました!三池から船で石炭が運ばれて来てたとの事!真ん中にある噴水の丸いプールにメダカ入れてたけど水出し口が空いてたから流れて行ったみたいだと。悲しい気持ちになり別れました!南蛮船での人身...
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