何時も通るR476、気になっていた板取宿に立ち寄って来た。 訪れる人は少ないと思われる。国道の坂道カーブに気を取られこの宿に気が付かない。 上手く整備されているので歩いて欲しい。20分も有ればok 案内板に以下のように記されている! 「板取宿の由来 戦国時代までの越前への陸路は山中峠を越える古道(万葉道)と木の芽峠を越える北陸道(西近江路)だけであった。 柴田勝家が北ノ庄に封じられ信長の居城安土に赴く最短路として、天正六年(一五七八年)栃ノ木峠の大改修を行って以来、人馬の往来は頻繁となり、越前南端の重要な関門の地として板取宿を置き、宿馬三十頭、人足六十人が常備された。板取宿は北国街道(東近江路)の玄関口として、あるいは近江・越前・両国を結ぶ要の宿として発達したのである。 江戸時代には家康の子、結城秀康が入国以来関所を設けて旅人を取り締まった。 後に板取番所として、藩士が駐在した。 番所の構造は、 宏荘な門構えの内に、間口三間、奥行三間半の平屋建ての棟を設け、刀、弓矢、火縄銃、 具足を備え、役人三人、足軽一人が常駐し、厳重な警戒に当たっていた。板取には幕末の頃、戸数五十三戸・うち三軒の問屋をはじめ、 七軒の旅籠、...
Read moreその昔、滋賀県近江から福井県越前に抜けるには、この「木ノ芽峠」を通過する「北陸道」しかなく、そのため、信長の戦略的重要路として整備され、この板取という地に宿馬と人足を常駐させた「板取宿(しゅく)」を作ったそうです。 江戸時代になるとその重要路が更に発展を遂げ、旅人を取り締る関所が設けられ、「板取番所」として藩士も常駐する拠点になったそうです。こんな歴史を思い浮かべながら訪れると、また感慨深いものかと思います。 しかし時の流れには逆らえず、当時五十三戸もあった宿も次第に廃れ、現在では保存という努力の中で三戸のみが現存しています。 雪深く、山奥の史跡ということで、保存もかなり困難なことかと思いますが、こうした歴史の足跡を是非とも残してほしいものだと思います。つくづく、日本という国は、文化保存、継承ということに対し...
Read more3月末、まだ雪がしっかり残っていました。 古民家が5-6軒ある程度です。行く道もここでいいんか、と躊躇しました。(道は合ってた) 何か公開している建物があるわけではないです。 ガスはプロパンガスで生活している様子がわかりました。 雪がなければ、もう少し風情を楽...
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